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記者の目:
イラク派遣隊員家族の思い
自衛隊のイラク派遣基本計画について政府は9日、派遣期間の1年間延長を閣議決定する。14日の期限切れを目前に控えた先月、山形県東根市に司令部を置く陸自第6師団を基幹とする第4次イラク復興支援群(約500人)が3陣に分かれてサマワに向かった。派遣隊員家族を取材する中で、言い得ぬ不安を押し殺して我が子、あるいは夫である隊員を送り出していることを知った。宿営地に砲弾が撃ち込まれ治安悪化が伝わる中、5時間ばかりの現地視察で「安全だ」と言われても、家族の不安をぬぐい去ることはできない。延長という重い決断を下す政府は果たして日本国民を納得させられる言葉を持っているのだろうか。
「ものすごく悩みました」。ある隊員の母親は、知人を介し手紙で取材に応え、心の内をそう明かした。息子から「イラクに行くことになりそうだ」と聞かされたのは今年1月末。母親は「自衛隊を辞めてはどうか」とまで思い詰めたが、「自分が行かないとほかの誰かが行く。後ろ指をさされるようなことはしたくない」と言われ、止めるのをやめたという。
私が東根市で現地取材を始めたのは、次の派遣部隊が第6師団を中核に編成されるとの見方が一段と強まった今夏。隊員本人への取材を試みたが、一様に口は重く「任務ですから」という通り一遍の答えしか返ってこなかった。そこで取材の焦点を家族に移した。隊員たちの声を代弁できるのは、日々身近に接している家族しかいないと思ったからだ。「派遣隊員の家族」という視点で、イラク派兵を考えてみたかった。取材した家族らは数十人に上る。
忘れられない光景がある。東根市の神町駐屯地では11月28日、第3陣約120人の出国報告会が開かれた。見守る家族は約400人。バスに乗り込み窓から顔を出す隊員に、子供を抱きかかえて手をつながせたり、携帯電話のカメラで記念撮影したりする姿があちこちで見られた。そうした中で「しっかりな」とひときわ大きな声をあげ、とびきりの笑顔で手を振る初老の夫婦がいた。バスの中から顔を出す20代の隊員が「うちの家族は涙もないね」と言うと、夫婦は相好を崩しながら「全然悲しくないよ」と応じた。
「元気な見送りですね」と声を掛けると、「うちの家族は明るいのが取りえ」と話してくれた。続けて「イラクでは治安悪化も伝えられます」と問いかけると、夫婦の顔は一転して曇った。「深刻な状況にあることはニュースなどで知っています。これから仙台空港まで息子を見送りに行きます。笑顔で送らなければと思っていますが、果たして空港で明るくしていられるか。それ以上に息子が行ってしまってから、これまで通り平穏な生活を送っていけるかどうか……」
突然の変化に私は動揺した。これまでの取材で多くの家族は「現地は安全だと信じています」などと軽く受け流すのが常だったからだ。夫婦の動揺に、他人には決して明かすことの出来ない家族の苦悩を垣間見た思いがした。
こんな場面にも遭遇した。11月13日に第1陣が出発するのに伴い、大野功統防衛庁長官が出席して隊旗授与式が開かれた。大野長官が「元気で頑張って下さい」と訓示を締めくくったことに、夫が派遣隊員だという中年の女性は「夫は命を懸けてイラクに行こうとしている。そんなに軽いことなのでしょうか。がっかりしました」と語った。
テロが激化しても小泉純一郎首相の国会答弁は「自衛隊が活動する地域は非戦闘地域」ということで一貫している。だが身内をイラクに送り出している家族の覚悟に比べると、首相の言葉の軽さが際立つ。
米国がイラク戦争の名分にかかげた「大量破壊兵器保有」は幻だったことが明らかになり、「大義なき戦争」だったことがはっきりしてきた。そうした中で「人道復興支援」と声高に叫んでもどれほど国民の心に響くのか。むろん、派遣隊員家族の多くは「国際貢献のため息子はイラクに行った。しっかり任務を果たしてほしい」と口をそろえる。だが突き詰めて聞くと「派遣は仕方ないこと」という、あきらめにも似た言葉に変わっていった。
大野長官は5時間半の現地視察で「サマワの治安はかなり安定しており、隊員の安全は高いレベルで確保されていた」と力説した。だが隊員家族の側から見れば、今求められているのは抽象論ではなく、実態をとらえた誠意ある言葉だろう。9日に行われる首相記者会見を注視している。【山形支局・辻本貴洋】
毎日新聞 2004年12月9日 0時33分
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/kokkai/news/20041209k0000m070151000c.html