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北朝鮮による曽我ひとみさん(45)拉致事件で、工作員に協力した日本人が現在も、新潟県真野町(現佐渡市)に在住している可能性が3日までに浮上した。拉致議連幹事長の西村真悟衆院議員(民主党)が衆院拉致問題特別委員会で明らかにしたもので、西村氏は捜査当局がこの人物から事情聴取するよう政府に働きかけているという。
日本人協力者の存在が判明すれば、曽我さんと一緒に拉致されたものの、北側が「入国の形跡がない」とウソをつき通す母親、ミヨシさん=失跡当時(46)=の消息についても、手がかりが得られる可能性がある。
西村氏は昨2日の拉致特別委で、「曽我さんを袋に入れて北朝鮮工作員に引き渡した日本人は、今も真野町に住んでいる。曽我さん自身が(平成14年10月の帰国後に)この日本人と街で会っている」と指摘した。
曽我ひとみさん母娘が最後に目撃された場所を検証する捜査員。“西村証言”で新展開はあるのか?=平成14年10月
西村氏はこの後、記者団に対し、「曽我さんから直接聞いたわけでなく、昨年11月に周囲にいる人から聞いた。曽我さん本人が昨年秋ごろ、この人物を見掛けたことをケースワーカーに明かした」と説明した。
さらに「この人物に事情聴取するよう政府に働き掛けている。曽我さん自身も話していいと言っている」と述べた。
北朝鮮側はこれまで、曽我さん拉致事件について、「日本人請負業者に依頼した」などと説明し、日本人仲介者の存在に言及していた。
この問題について、曽我さんは拉致被害者支援室の問い合わせに対し、「知らない」と答えたという。
曽我さんは佐渡総合病院で准看護婦(当時)をしていた昭和53年8月12日夕、ミヨシさんと一緒に「お盆の買い物に行ってくる」と言い残して行方不明になった。
曽我さんの証言によると、ミヨシさんと買い物をした後、3人の男に襲われて袋に詰められて拉致された。小舟に乗せられ、川から海に出て大きな船に乗り換えたという。船上には日本語を話す女性が1人いたが、発音から日本人ではないようだったという。
母親の安否については、「まったく分からない」と答えている。
曽我さん一家は当初3日夕、滞在先の米軍キャンプ座間(神奈川県)から佐渡市に戻る予定だったが、帰郷が延期されることになった。
司法取引が認められ、脱走と利敵行為に関する軍法会議に基づく刑期が短縮された夫のジェンキンスさん(64)は形式上、「休暇」をとって帰郷する予定だったが、米軍側による除隊の事務手続きが手間取っているためだという。
ZAKZAK 2004/12/03
http://www.zakzak.co.jp/top/2004_12/t2004120301.html