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グローバルアイ 20号「国家性悪説」に立った愚かなる宰相どもに空費させられた"空白の十年"の虚しさ
平成16年11月15日更新記事
昭和天皇崩御と角栄失脚のあと、日本を覆いつくしたのが社民主義という生ぬるい空気だった。
平和、人権、護憲、反権力と耳ざわりがよい言葉だけが行き交い、政治や経済、外交のリアリティが見失われたのだ。
ちょうどそのとき、世界のパラダイムが地殻変動をおこしたごとく激変した。
わずか十年で日本が三流国家へ転落した経緯を検証する。
反権力を標榜するふしぎな内閣誕生
この失われた十年で、日本の変貌ぶりには目をみはらざるをえない。
もっとも大きく変化したのは国家観念であろう。
十年前の首相は橋本龍太郎だが、その前年まで政権の座にあったのは旧社会党の村山富市だった。
死者六千人、負傷者四万人をだした阪神・淡路大震災の折り、自衛隊ぎらいの村山や革新県知事は自衛隊の出動要請を渋ったばかりか、米軍ら海外の救援を断り、瓦礫の下の多くの国民を見殺しにした。
自民党の単独政権が崩壊したのち細川護煕をへて老マルキスト村山富市にいたる左翼政権は、国民の生命や国益を軽んじ、捜査当局が十分な証拠を挙げていたにもかかわらず、北朝鮮の拉致事件を黙殺するなど国家観念や国権を放棄したじつに怪しげな権力構造だった。
湾岸戦争では130億ドルを支援しながら自衛隊の派遣を拒否した海部俊樹や自虐史観を政策化した"近隣条項"の宮沢喜一、日本を侵略国家と断じた細川護煕のあと、アジアへの謝罪しか念頭になかった社会党左派の村山富市が政権に就くと、反自衛隊・反日主義者の野中広務がそれをバックアップする「反国家主義」内閣の構造が完成し、それが日本をながきに渡って支配することになる。
非常識が横行した"失われた10年"
ひるがえって、今日の状況をみると北朝鮮の拉致問題に世論が一丸となり、小泉内閣は敢然としてイラクへ自衛隊を派遣した。
外務省が主導してきた中・韓・朝への土下座外交も鳴りをひそめた。
日本はアジアに謝罪しろという声が巷にあふれた当時とは隔世の観がある。
日本はたしかに変わった、だがそれは、それ以前の日本があまりにも異様だったからともいえる。
当時、政界のプリンスとよばれた加藤鉱一は「国民ではなく世界市民」とのべて左翼マスコミから絶賛を浴びたものだが、竹下以降の十年におよぶ政治の空白にはびこったのが、国家性悪論とこの手の夢想的平和主義、そして人権主義だった。
わたしも平和を愛し、人権を重くみることについても人後に落ちないつもりだ。
ところが、当時、平和や安全を維持するには軍隊や警察が必要だ、人権は弱者や犯罪者だけのものではない、と常識論をのべるも者は、マスコミから右翼呼ばわりされたものである。
この失われた十年を――わたしは「人権」と「国家」の逆転による国家衰退のプロセスとみる。
だがそれは、国家を害悪視し、被害者のそれよりも加害者の人権を重くみる、一般常識とも、世界世論とも折り合いのつかない、非常に偏ったものだった。
失われた十年の不毛は、この非常識によってもたらされたと考える。
少なくとも、海部、宮沢、細川、村山とつづく左翼型の政権は経済、外交、治安に何一つ功績がなく、ただひたすら日本の戦争犯罪を懺悔してきた。
国家観念を失った政治は無様なものである。
鈴木首相・宮沢官房長官時代の「教科書誤報問題」あるいは中曾根首相・後藤田官房長官時代の靖国神社の参拝挫折が、中国の反日政策に油をそそいだことからも明らかなとおり、政治家が国家観念を捨てると、それがそのまま国益の損失という形でふりかかってくる。
時代を逆行した日本の誤った選択
かつて自民党は、まがりなりにも国家を見据えていた。
ところが角栄が「ロッキード事件」で倒れてのち政治家の国家観念が急速に薄れてゆき、日本の保守政治から「国を想う」という視点がそっくり消えてしまった。
国家というキーワードを投げ捨てた自民党は、国権より人権を大事にする社会・公明にすりより、保守政党としての存在理由をみずから放棄して社民主義へ宗旨変えするのである。
竹下以降、日本の政治が坂道をころげおちるように力を失っていった背景に1990年の「ベルリンの壁撤去」と1991年の「ソ連邦解体」による"冷戦構造崩壊"があったのはいうまでもない。
世界が地殻変動をおこしはじめた、そのころに、日本では、土井たか子ブームがおき、海部俊樹や宮沢喜一という国家観念が乏しい人物が相次いで首相になる。
日本は、冷戦構造の崩壊によって国家の自立性をもとめられはじめたその時期に、反国家という正反対の方向へ歩み出し、その迷妄を、小渕政権まで、延々と十年近くもひきずるのである。
ソ連邦と東欧が消えたのち、アジアの一隅にマルキストを首班とする連立政権が誕生したのは歴史の皮肉だが、この誤った選択によって日本は、不況と治安悪化、外交的な地盤沈下という三つの体制的衰弱にとりつかれ、はなはだしく国力を衰弱させてゆく。
野中に折られた自民党の背骨
元凶は野中だが、自民党が竹下の亡霊というべき売国政治家の支配に甘んじたのは"角栄潰し"のツケである。
角栄を捨てて竹下になびいた橋本以下の旧田中派はただの利権派閥になりさがっていたのだ。
野中はその後、社会党の代わりに、人権主義と夢想的平和主義を唱ええる公明党を政権に引き入れ、自民党を、憲法論議もろくにできない、骨抜き政党にしてしまう。
これで自民党の命脈がつきた。
かつて単独で過半数を制してきた自民党は、共産主義の脅威が消えたとたん、みずから左傾化して保守政党の看板を捨て、池田大作の軍門に下るのである。
創価学会という毒饅頭を食った自民党はもう二度と単独で政権をとることはできない。
池田大作と野中の思う壺にはまったのである。
マスコミと官僚にねじ曲げられた日本
マスコミの影響も大きかった。
ロッキード事件で角栄を、リクルート疑惑で竹下を潰したマスコミが"第四の権力"として華々しく登場してきたのがこの時期だった。
とくに戦後、一貫して左翼思想を宣伝してきた朝日・毎日が「ニュース・ステーション」(テレビ朝日)と「NEWS23」(TBS・毎日系)という人気番組をとおして日本人に反国家主義と人権思想を植えつけるたのである。
その結果、日本人の意識も急速に変化していった。
筑紫の極左思想と久米の朝日仕込みの反日主義が、徐々に日本人の常識となってゆくのである。
東京裁判史観を叩き込まれてきた戦後の日本人は、朝日・岩波に代表される左翼出版・マスコミを評価する傾向が強い。
くわえて霞ヶ関は官僚社会主義という特有の体質をもっている。
自民党が国家観念を喪失すると、第四の権力となったマスコミの支援をうけて官僚が次々と社会主義的な政策をうちだしてくる。
北朝鮮拉致問題や竹島・尖閣諸島問題の凍結、外国人参政権や靖国神社の形骸化と国立戦没者慰霊施設計画、中国ODAや北朝鮮コメ援助の推進から、憲法・教育基本法の改定の棚上げ。
さらにゆとり教育、フェミニズム法と、左傾化した自民党と霞ヶ関は反日の方向にむかい、国体を危うくするのである。
これではとうてい、国家の体裁をたもてない。
政・官一体となって中・韓へ土下座外交
案の定、このころから中・韓・朝は、日本を好き放題に小突き回しはじめる。
ポル・ポトのカンボジア大虐殺が、北京政府の指導でおこなわれたことが世界に知られ始めると中国は、突如として南京大虐殺の大デマを宣伝しはじめる。
韓国が、日韓併合や従軍慰安婦を問題にしはじめ、北朝鮮が拉致問題をいいがかりと一蹴し、加藤鉱一や野中に「コメ援助」を命じるのもこの時期からだ。
日本は、中・韓・朝から"包囲網"を敷かれたようなものだが、このときの日本の対応が不可解きわまりないものだった。
反論するどころか、歴史的デッチ上げにたいして謝罪をくり返し、反論を試みた大臣をあわててクビにする始末だった。
そればかりか、中・韓の気に入る歴史教科書をつくるための「専門者会議」を提案するなど、腰をかがめてご機嫌伺いをするのである。
わが国の歴史教科書を、わが国を敵視する国と相談しながらつくるという発想は宮沢の"近隣条項"に倣ったものだが、これは、国権の自己否定である。
歴史の解釈権は、国家主権のあかしだが、文化防衛の原点でもある。
ところが日本は、政府・霞ヶ関が一体となって中・韓の対日謀略に平伏するのである。
いったい何のために、日本の政権担当者たちは、自分の国を賤しめることに情熱を傾けたのであろうか。
いずれにしろ、この十年間の日本の自己卑下によって中・韓・朝は日本にたいして大きな政治的アドバンスを手に入れる。
従軍慰安婦など日本の戦争犯罪を暴き、謝罪をもとめることが中・韓・朝の習い癖となったのは、日本に謝罪させることが、カネをまきあげる絶好の口実になるからだった。
それを知ってか知らずか、朝日・毎日らの左翼メディア、反日勢力は、まるで熱病にうかされたように、執拗に謝罪をもとめ、"日本性悪論"を吐き散らしてきた。
国家意識が消えてはびこってエゴイズム
森・小泉政権でやや是正されたものの、この左翼色の一部は民主党に移植され、その民主党が参院選で自民党を追い詰めるという、二重にも三重にもねじれた政治現象をひきおこした。
私は、角栄失脚以降の日本の惨状が、国家意識の後退に由来していると分析する。
国家観が希薄になれば、徳性がすたれ、エゴイズムがはびこる。
このエゴイズムやミーイズムが正当化するのが人権である。
人権が幅を利かせる社会では、"和の精神"が形成されず、摩擦がふえ、非効率がはびこる。
雪印や三菱自動車のような企業不祥事が次々に発覚したのも、そのこととけっして無縁ではない。
和の精神が失われると、企業モラルまで崩壊してしまうのである。
名誉心も、国家観念からうみだされる。
かつての経営者は少なからぬ国家意識をもっていた。
ところが、昭和天皇が崩御されて政権・マスコミが左傾化した十年間に代替わりした経営者は、国家意識ではなく合理理主義をモットーとした。
合理主義がはびこれば、社会的使命感や名誉心が消え、社会モラルは全面的に崩壊していく。
それに拍車をかけたのが小泉の「改革主義」である。
旧弊を打破することは必要だが、この数年間、日本中を吹き荒れたのは、アメリカ的合理主義をモデルにした左翼型の改革だった。
国権より人権を重んじる歪んだ社会
改革の美名のもと、日本は、古き良き美風まで捨て去ったのではないか。
この十年間を回想すると、その感をいっそう深くする。
社会が発展してゆくには、義務や使命感、名誉などの徳性が必要なのはいうまでもない。
その徳性を生み出すのが国会意識である。
日本企業がかつて世界に誇ってきたのは、経営者が、高い徳性を身につけていたからである。
ところが、自民党の単独政権が崩壊してからは、人権が国権にとってかわった。
人権も平和も結構だが、国を想わぬ、国益をおろそかにする心のゆるみが日本人の精神を崩壊させたのである。
社民主義内閣で十年遅れた日本
人権とは、個人が生きてゆくために賦与されると考えられる諸権利である。
それも必要だろうが、社会が高度なシステムとして機能してゆくには、その前に国家観念がなくてはならぬ。
人権も平和も、国家あってのものなのである。
海部から細川をへて、村山にいたる、この不毛な内閣によって日本の将来的ビジョンの構築が十年遅れたはずだ。
その失われた十年のダメージも、小渕政権以降、徐々に回復してきている。
この十年を振り返えってのいちばんの教訓は、二度とふたたび左翼型の政権を選択してはならぬということである。
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