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http://ch.kitaguni.tv/u/2148/%a5%a4%a5%e9%a5%af%cb%ae%bf%cd%bf%cd%bc%c1%cc%e4%c2%ea/0000144104.html
絵のできはともあれ、俺は殺される人に対して高説を垂れる人間をこう見ていたのだ。最早言葉も見つからない。
まだ言葉がでないので、人の言葉を借りる
■ 無垢の非力(人質の香田証生さん死亡)
http://d.hatena.ne.jp/INCOGNITO/20041101
いくつかのblogで見られるように、香田さんという人を馬鹿な奴だと非難するのは確かに簡単だろう。でも経緯はなんであれ、実際に命が失われるかどうかという境目にいて、テレビカメラの前で「助けてください」と懇願している者の表情や声を見聞きして、死んでも当然とか自分には関係ないと捨てておけるものだろうかという疑問を感じた。*1 彼はまさに死に最も近い者という意味で、レヴィナスのいう「他者」(寡婦、孤児、異邦人などと同列の大文字の他者)だったのではないだろうか。そうした者を前にして、高見に立って侮蔑したり、出来事と自分との切り離しに懸命な人間というのは、正直あまり信用できないと思ってる。もしも殺されるかもしれない立場に置かれた者に、同情や憐憫の気持ちが湧かないとしたら、少なくとも黙ってるのが作法というものでしょう。
*誰もが香田さんという人に愚かさやナイーブさ感じるとは思うけど、自己尊大感をくすぐられたのか、わざわざ香田は愚かな奴だという侮蔑を得意満面に書いている愚かな人間が何人もいた。「語るに落ちる」とは気づかず、自分は愚かではないということをわざわざ主張したいわけだ。
(Transitory Garden)
揺れるニッポン。(コメント欄より)
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20041028
どのような図式、論理に頼ったものであれ、「死んでもよい人/いけない人」の線引きにはどうしても疑問を感じます。くしくも新潟の地震で「救出<劇>」があったようなのですが、「無垢」な子供が被害にあった場合や「感動」できる要素があれば「奇跡」を祈ったり「救済」を望み、そうでなければ「自己責任」として想像力を遮断してしまうことはまずいと思っています。
(成城トランスカレッジ!人文NEWS & COLUMN)
魔法が消えていく
http://blog.ameba.jp/randy/archives/000186.html
死を突きつけられないと、意味から脱けられないほど、意味に縛られている。機動隊を撤退しないことは現実的な意味の世界の選択だ。意味に従うことと、彼の無事を祈ることとは矛盾しない。だけど、祈ることの魔法が、消えかけている。そんなもの無意味だと意味の世界が言うので、祈りという魔法が消え始めている……。
(田口ランディのアメーバ的日常)
【死の哲学】人の死を悼むということ −香田証生氏の死に際して−
http://hoffnungenlied.cocolog-nifty.com/kaizen/2004/11/post_7.html
「無駄な死があるのではなく、死を無駄にする人がいる」だけである。
「その死が生かされたならば、死者は永遠に生きるも同然」という言葉は、大抵の宗教に在る。
(改善案まにあ)
甘いおやつ 11月2日(火)
http://d.hatena.ne.jp/amai_oyatsu/20041102
香田さんは戦争で死んだ.そして,このまま自衛隊のイラク駐留が続けば,いつ自衛隊員が死んでもおかしくない.その時,心で何を思おうとも,口に出しては政府に文句を言わないのが立派な家族だ,という世論によるプレッシャーが今の日本にはすでにある.この社説は,こうした「モデル家族」から外れることは今後とも許されない,という恫喝としかわたしには読めない.
TB
http://ch.kitaguni.tv/u/8016/%a1%da%a5%a4%a5%d9%a5%f3%a5%c8%a1%db/0000144118.html