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2004月11日2日 朝日新聞より
―――引用始め―――――――――――――――――――――
各党の主張を比較
自民と他党の「溝」鮮明
誰に向けて書かれた法か
「国民が従う規範」の説
(前略)各党の違いのうち最も根本的なのは、「憲法とは何か」というそもそもの出発点にある問題だ。
具体的には、憲法は誰に向けて書かれているのか、「この憲法の名宛人は誰なのか」(民主党中間報告)という問いであり、より端的には「憲法を守るのは誰なのか」をめぐる対立である。
近代憲法の歴史が示す答えは、憲法とは国家権力を制限するために国民が国家に突き付けたルール、というものだ。憲法はいわば、国民が国家に向けて書いた命令であり、それを守るのは当然国家権力であって、国民一人ひとりではない。
憲法99条が「憲法尊重擁護義務」を天皇、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員に負わせる一方、国民の尊重義務には触れていないのも、そのためだとされる。
共産、社民両党はこうした立場に立つ。
これに対し自民党の論点整理は突出している。憲法は、国民が従うべき「行動規範」であると、全く逆の定義づけを試みる。99条に国民を含めることも議論するという。
憲法の「権利偏重」を正し、国民の「義務」や「責任」を規定しようという主張と一体だ。
論点整理は「近代憲法が立脚する『個人主義』が『利己主義』に変質させられた結果、家族や共同体の破壊につながった」と、近代憲法のあり方そのものに疑念をぶつける。国家の恣意から個人を守るという、近代憲法が課せられてきた役割を、百八十度ひっくり変えそうという発想だ。
民主党中間報告の方向性も一見、自民党と軌を一にしている。「新たなタイプの憲法」像として、「国民の規範」としての憲法、という考え方を盛り込んだからだ。
ただ、この点で民主党の議論は収斂していない。「憲法99条になぜ『国民』と書いていないか。憲法が国家権力に対する猜疑の体系であるということは極めて明快だ」(仙谷由人政調会長)という、オーソドックスな見方も有力だ。
公明党は「憲法とは何か」という問いに直接には触れていない。ただ、99条の憲法尊重擁護義務い国民を含めることには「党として否定的」と明言している。この点、自民党より共産、社民両党や民主党の一部に近い。
自民党が「愛国心」や「国柄」という言葉を強調し、男女平等の見直しなどに触れるのも、同党特有の憲法観と同根だろう。それは公明党を含む他党にない特徴だ。(後略)
―――引用終わり―――――――――――――――――――――
直接的に国を動かしている人達が、国民を自分達の思い描く枠組みに押し込めてしまおうとする考えに陥ることは頷ける。それにしても、自己責任論しかり、個人を潰して枠に押し込めてしまおうとするのが時代の流れというやつなんだろう。
新自由主義(市場原理主義)の題目の下に、国は教育、福祉、医療にたいするバックアップから退場する。目指すは「庶民に対しての小さな政府であり、一部の勝ち組に対しては大きな政府」だ。この先、年金弱者、医療弱者、地域弱者、経済的弱者など、大量に出てくるであろう弱者達の気運を予め封じ込めるために、国益だの国体だのと豪語する復古主義の浸透が謀られていくだろう。こうした構図が最近ありありと見えてきている。やけにきな臭い。