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http://www.sinri.co.jp/sinri/library/l9.htm
より転載 以下、転載開始
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心理学トピックス 3
キティ・ジェノベーゼ嬢 殺害事件
1964年3月のある深夜、キティ・ジェノベーゼという仕事帰りの若い女性が、ニューヨークの住宅街にある自分のアパートの駐車場で、暴漢に襲われました。ナイフで傷つけられた彼女が大声で助けを求めたのですが、だれひとり警察に通報する者はいませんでした。彼女の叫び声に驚いて一度は茂みに隠れた暴漢も、辺りに変化が生じなかったため、またキティに襲いかかり、結局キティは30分もナイフで何度も刺されたあげく、殺されてしまったのです。その後の調査で、キティの最初の叫び声に気づいて明かりをつけた人は38人もいたことがわかりました。つまり、彼女が襲われている30分ものあいだ、38人のうち誰も助けに行くことも、警察に通報することもしなかったのです。最初の通報からわずか2分後にパトカーが到着したのですが、彼女はすでに絶命状態でした。
たくさんの人々が気づいていたにもかかわらず、なぜ彼らは傍観していただけで、援助をしなかったのでしょうか。
この事件を契機に、社会心理学の領域で援助行動の研究が盛んになりました。
ラタネとダーリー(1970)は、緊急事態における援助行動の研究を行いました。その結果、自分以外に援助する人がいない場合には高率で援助行動が行われるが、周囲に他の人がいる場合には援助行動はかなり抑圧されること、しかも他者の人数が多いほど援助行動は行われにくくなるということを明らかにしました。つまり、人が側にいると援助行動は行われにくくなる、という傍観者効果が生じることがわかったのです。
このような傍観者効果に対して、次のような説明原理が提唱されました。
1.聴衆抑制
ひとりでいると自由に行動できるが、他者がいると人の目を気にすることによって行動が抑圧される。
2.社会的影響
援助が必要か否かの判断をする際、他者の行動を参考にして様子をうかがい、事態の緊急性を過小評価してしまう。
3.責任分散
側に他者がいると、自分がしなくても他の誰かが助けるだろうと、責任の分散が生じる。
キティ事件は決して他人事ではありません。人間関係の希薄化がいわれる現代社会において、このような事件は増えていく恐れもあるのです。実際1991年、東京都内のタクシー乗り場で、騒いでいた少年を注意した男性が、数名の人々の前で殴り殺されてしまったという事件も起こっています。この時も仲介に入るとか、警察に通報するというような援助行動をした人は、誰もいなかったということです。もしもこのような場面に遭遇した時、あなたは傍観しますか、それとも勇気を出して援助することができますか。
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転載、終了。
政治的無関心、平和ぼけの背景もこんなものだろう。