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(回答先: 天皇陛下:国旗国歌「強制でないこと望ましい」 園遊会で(毎日新聞) 投稿者 天空橋救国戦線 日時 2004 年 10 月 29 日 03:24:13)
天皇の政治的発言?は記事にもあるようにこれが初めてではありません。正確な資料というより私の印象に残ったものですが
○「天皇家が百済王朝と姻戚関係」にあったことを認めた。
○木島長崎市長の「天皇の戦争責任」発言に対する右翼の銃撃事件に対する「いやしくも言論の自由を暴力で犯すことは許しがたい」という発言
○今年五月のチェイニー来日の謁見の際に「日本(自衛隊)の国際貢献」について言及
○今回の国歌、国旗発言
クエーカー教徒で後にベトナム反戦デモで逮捕されたバイニング女史を家庭教師にした「ジミー」こと明仁殿下を「戦後民主主義の具現者であらせられる」(田中康夫)というロマンチックな見解もあるようですが、はたしてそうであろうか。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/sitenlog/news991205.html
私は明仁殿下は怜悧なリアリストであると思っています。天皇制は世俗権力と癒合したり自らが政治的中心となることで、その存在の危機が露呈することを良くご理解されておられるのではないか。今回のご発言もバランスというか「ゆり戻し」を意図された「確信犯」的御発言と受け止めています。
網野善彦の『異形の王権』にありますが、逆説的に言えば後醍醐天皇が天皇制を世俗的権力=「王権」として確立していたら、既に滅んでいたに違いありません。(昭和天皇自体は「天皇機関説」を支持していたという説もあります)南北朝はもとより網野の言うように天皇制には何回か歴史的な断裂がありますが、明治以降、特に戦後の「象徴天皇制」は極めて特殊な形態です。左翼も丸山真男の「古層」論や吉本隆明の「共同幻想」などの「非科学的妄言」に洗脳され「裏万世一系思想」の縛りにかかっていますが(笑)
例えば「元号」の問題にしても明治以前では天皇の「あざな」が確定するのはその死後であり、生存中は「おかみ」「至上」などと呼ばれ口にすることを憚られていたはずです。(『陰陽師』ではありませんが名指しすることはある種の禁忌)つまり後醍醐天皇の世が「後醍醐○○年」などと呼ばれることは絶対にありえなかった。むしろ荒俣宏先生のおっしゃるように「最大のマジシャン」としての天皇が吉事、凶事につけひんぱんに改元したのは歴史にあるとおりで、一代=一号が確定するのは明治憲法においてです。(『精神史的考察』藤田省三)
ですから網野善彦の「御学友」である高松宮殿下が「紀元節」制定に抗議して日本歴史学会を
脱退されたのもむべなるかなです。
ヨーロッパの王政、例えばイギリスの様に王家が近代法体系の中でしっかりと位置づけられていれば個々の王族が浮気をしようが、ヤクをきめようがタブロイド紙で庶民の話題を提供するだけで王家そのものの基盤が揺らぐことなどありえないわけです。「女帝」問題でも露呈したように現在の天皇制では個々の「生身」の皇族が天皇制を担わなくてはならない、これは中にいる人間にとっては物凄くキツイ、 雅子妃の問題も本質的にはそこにあると思っています。
天皇制は「押したら倒れる」ようなものではありませんが、さりとて磐石なものでもない。例えば現皇族のお一人が「北朝鮮討つべし、赤色中国相手にせず」とか発言されたらどうなるんでしょうか。(笑)