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「巧言宰相」の実像に迫る:小泉純一郎の「金脈と家族」 [週刊ポストドットコム]【政治資金が家政婦給料に使われている疑惑】
http://www.asyura2.com/0411/senkyo6/msg/109.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 10 月 07 日 20:29:23:Mo7ApAlflbQ6s
 


 ニュース <TWP特報/新連載第1弾>
リポート/松田光世と本誌取材班
「巧言宰相」の実像に迫る
小泉純一郎の「金脈と家族」

 ライオンに擬した髪形は今も変わらない。しかし、小泉首相が振りかざす“改革”の二文字はいよいよ空虚感を漂わせ、行く先を見失っている。一体、この男の改革とは何を意味し、原思想は、どこにあるのか。その足跡をたどるほどに身辺の“カオス(混沌)”に迷い込んでしまう。日経記者時代から凝視を続け、菅直人・前民主党代表の政策秘書として10年。政権の裏表に通じる筆者が《虚像・小泉純一郎》の驚くべき実像に迫る渾身の調査リポートである。


1)公約違反は繰り返されてきた



 経済部の郵政省詰め記者時代、92年暮れの宮沢改造内閣で小泉氏は郵政大臣に就任した。小泉氏は当時から「郵政民営化」を唱え、郵政族議員や事務方と反発していたが、肥大化した郵便貯金と簡易保険が民業を圧迫するという主張は明確で説得力があった。
「小泉ならやってくれるかもしれない」
 そう思わせた。
 しかし期待は裏切られた。政治部へ移り、清和会(当時の三塚派=現在の森派)を担当するようになった93年、小泉氏は総選挙での自民党敗北の責任をとるべく宮沢首相の退陣を求め、郵政相を辞任する。私は、派閥へ戻った小泉氏に質した。
「あなたは大臣就任会見で『郵貯・簡保の肥大化は許さない』といったが、わずか8か月の在任中に郵貯・簡保の残高は10兆円も増えた。いっていることとやっていることが違うのではないか」
 小泉氏は笑みさえ浮かべながらあっけらかんと答えた。
「俺がやったことはともかく、いったことは間違ってないだろう」
 絶句せざるを得なかった。
 政治家は結果で評価されるべき存在である。主張した政策の具体化や実行には頓着せず、スローガンだけにこだわるのであればペテン師と何ら変わらない。小泉氏の政治姿勢には嫌悪感さえ覚えた。
 そしてその思いは、奇しくも10年後、繰り返されることになる。
 03年、通常国会冒頭の衆院予算委員会総括質疑の前日。私は菅直人民主党代表(当時)の政策秘書として、代表再任後初対決となる小泉首相との質疑の資料を揃え、菅氏に提案した。
「首相は1)8月15日の靖国神社参拝、2)国債30兆円枠の堅持、3)02年からのペイオフ解禁、いずれも就任時の公約を果たしていない。性質の違う3つの公約違反を一度に聞いてみてください。総理は“そんなの大したことじゃない”というと思いますよ」
 菅氏は、半信半疑で笑った。
「そんなこといったら、政治家としてはお終いだぞ」
 03年1月23日午前の予算委質疑で、菅氏は、筋書き通りの斬り込み方をした。
 そして、小泉首相は、
「この程度の約束を守らないのは大したことではない」
 ――そう気色ばんだ。
 小泉首相は“変節”したわけではない。元来、こういう政治家なのだ。
 一国の宰相に対して、国民が抱くイメージは、その国の行く末を左右する。国民は真実を知る権利と義務がある。小手先の政治テクニックで国民を欺き続けることをこれ以上許してはならない。
 誰も語ってこなかった小泉氏と小泉家の関係を白日の下に晒し、首相・小泉純一郎の実像を浮き彫りにする。


(2)実弟が月末に現金を持参



 小泉氏は36歳になった1978年1月、エスエス製薬創業者の孫にあたる宮本佳代子さん(当時21)と、福田赳夫元首相(故人)夫妻の媒酌で結婚した。間もなく、孝太郎と進次郎という2人の息子が生まれた。
 だが、夫婦関係は、4年ほどで終わりを告げる。82年9月協議離婚。佳代子さんは身重だった。翌年1月に三男・佳長が生まれたが、親権をめぐる調停に敗れると、小泉氏は今日まで三男に会おうとさえしていないことは周知の通りだ。
 結婚当時、小泉家の家計の一切は、佳代子さんが切り盛りしていた。離婚の際の家族会議では、佳代子さんが去った後の対応が話し合われた。
 地元有力支援者の一人が振り返る。
「結婚当時からお手伝いさんはいましたが、2人の子供はまだ小さい。同居していた姉の信子さん(現在の首相の政策秘書)は離婚を機に赤坂に住むことになったし、弟・正也さん夫婦にも子供が生まれ、家を出ることになっていた。年老いた母・芳江さんだけではとても面倒を見切れないということで、横須賀の家は小泉家の長姉の道子さんが仕切ることになった」
 道子さんは、父・純也氏(故人)の時代から公設、私設の秘書として暮らしを立てていた。離婚して実家に戻ってからは、小泉家で茶道教室を開いていたこともあるが、数年でたたんでいる。小泉氏の離婚当時は小泉氏の私設秘書だった。
 詳しくは後述するが、道子さんの私設秘書としての収入は、弟の子供2人と年金生活の母、それに実子の暮らしをまかなっていくに十分なものとはとてもいえなかった。にもかかわらず小泉氏は家に金を入れなかった。なぜそれが可能だったか。
 当時の状況をよく知る小泉家の複数の元家政婦に取材することができた。元家政婦が語る「小泉家の真実」が謎の一端を解いた。
 元家政婦の一人、Aさんは、静かに語り始めた。
「純一郎さんが離婚するまで、小泉家には純也さんの時代から住み込みで20年以上働いてきた家政婦さんが1人、孝太郎さんが生後4か月の頃からお守り役でついた通いの家政婦さんが1人の計2人が働いていました。佳代子さんが家を出て、道子さんが家を仕切るようになると、道子さんはすぐに職業安定所に行って家政婦をもう2人募集しました。子供さんたちも手のかかる年頃でしたし、道子さんはお嬢様育ちで家事が得意ではなかったから、負担を軽くしたかったのだと思います」
 小泉氏の離婚を機に、小泉家の家政婦は、4人になった。それぞれ掃除・洗濯担当か、料理・子守り担当かが割り振られたという。後にパートの家政婦が加わり、5人になった時期もある。
 離婚直後は、頻繁に自宅に戻っていた小泉氏だが、やがて都内の議員宿舎で過ごすことが多くなった。
 はっきりしているのは、小泉氏が自宅に帰っていた時も、帰らなくなってからも、小泉家の家計費、家政婦らの給料を小泉氏が自分で持ち帰ることはなかったことだ。
 Bさんが明かした。
「家計にまつわるお金は、月末、弟の正也さんが現金で持ってくることになっていました。2つの茶封筒にそれぞれ、『給与』、『家計費』と書かれていて、正也さんがそれを道子さんに渡す。『給与』は道子さんの私設秘書としての給与で、道子さんは分厚い『家計費』の封筒からお金を取り出して、別々の封筒に入れ替えてから純子さんと私たち家政婦のお給料を払うんです」

(3)家計費は年間1500万円超



 横須賀市三春町の小泉邸。昔ながらの日本家屋である広大な母屋の北側に、プレハブ2階建ての事務所棟が立つ。「小泉純一郎事務所」との看板が掲げられているが、いわゆる地元事務所は現在、別の場所に移動しており、プレハブは1階が警備の巡査の控室、2階が物置になっている。
 人の出入りはほとんどない。1976年の設立以降、ここに事務所を構えてきたのが、小泉氏の後援会組織の中核に位置する政治団体『小泉純一郎同志会』である。小泉氏の実弟・正也氏が現在に至るまで代表と会計責任者を務めている。
 正也氏は1978年に宝石店主の長女と結婚し、小泉氏の離婚後間もなく小泉家を出て横須賀市内に居を構えた。
 複数の家政婦の証言によれば、正也氏が持参する家計費は、毎月100万円を優に超えていたという。
「計算すると、私たち家政婦のお給料だけで年間700万円ぐらい。家計費全体でみれば1500万円は超えていたと思います」(Bさん)
 小泉氏は家に金を入れていないといった。それもそのはず、離婚当時の小泉氏が手にしていた歳費は約1390万円に過ぎない。初当選前後、三福不動産社員として給与を得ていた「人生いろいろ」時代を除けば、歳費の他に特段の収入があったわけでもない小泉氏には、そもそも4〜5人の家政婦を雇うことは不可能だったのだ。
 小泉氏は結婚に備えて、77年、父から相続していた自宅建物をほぼ倍の広さに増改築している。ところがその増築費用の融資を受けたのは、小泉氏ではなく正也氏だった。小泉家の閉鎖登記簿によると、正也氏は77年3月、小泉家の土地・建物を担保に都銀から年利9%で1650万円を借りている(8年9か月で完済)。
 小泉家にまつわる借金を弟が“肩代わり”した形となっているのはその一件だけではない。
 86年に隣家の土地を購入して門構えを広げた時も、正也氏の名義で新しい土地を担保に極度額3500万円の根抵当権が設定されている。根抵当の極度額は債権額の2割増が一般的であることを踏まえると、借金は2800万円程度と見られる。
 土地の売買が行なわれた当時、正也氏はすでに三春町の小泉家を出ていた。住んでもいない実家の土地のために、代議士である兄をさしおいて“弟”が借金をするのは、やはり奇異に映る。
 なぜ、小泉氏は自分で融資を受けなかったか。
 答えははっきりしている。小泉氏自身が既に“借金漬け”だったからである。
 小泉氏は69年の総選挙に初出馬して落選。借金生活は初当選を果たす72年12月の総選挙直前から始まっている。
 同年11月、自宅の土地・建物を担保に極度額2000万円の根抵当権設定。さらに正也氏が自宅増築のために同じ担保で借金をしていたにもかかわらず、78年、極度額は4000万円に増える。それが離婚の3日後の82年9月には、慰謝料の支払いのためか、6500万円になった。離婚した頃の借金は、同じ時期の歳費の約3倍の4000万円以上と考えられる。
 この事実だけ見ても、離婚当時の小泉氏に年間1500万円以上の家計費を捻出できるだけの蓄えも収入もなかったことは明らかだ。
 同志会幹部が証言した。
「かつて、『小泉家で必要なカネは、大体2か月に一度、東京の信子から送られてくる』と正也さんから聞いた」
 疑惑の核心が見えた。

(4)支出の大半は「経常経費」


 政治資金公開制度が始まった76年以降の小泉氏の政治団体の政治資金収支報告書や所得・資産にまつわる報告書を総点検した。
 手元にある小泉氏の政治資金管理団体『東泉会』と政治団体『同志会』の収支報告書。「小泉家の謎」のもう一端はこれで解ける。
 東泉会の会計責任者は信子さん。同志会の代表および会計責任者は前述したように正也氏である。
 右表にまとめたが、小泉首相本人と東泉会、そして同志会は、毎年のように資金移動を繰り返している。
 小泉氏は離婚した82年から東泉会への献金を始めている。年により、金額の差はあるが、小泉氏は、政治家の政治団体への献金が「脱税の温床になる」として禁止される95年まで14年間、毎年欠かさず計8885万円を納めた。
 そして東泉会から同志会へは25年間で計5億7100万円ものカネが「寄付」として流れた。2000万円から4000万円ある同志会の収入の大半は東泉会からの寄付が占めている。
 同志会の収支報告書を一見すれば、誰でも眉をひそめる。
 小泉氏が首相に就任した01年の報告書を例にとる。この年の同志会の収入総額は、前年からの繰越金422万円を含めて2503万円。翌年への繰越金を507万円として支出総額は1996万円となっている。
 おかしいのは支出の内訳だ。約2000万円の支出のうち、実に1500万円が「経常経費」なのだ。「経常経費」の細目を見ると、「人件費」800万円、「光熱水費」20万円、「備品・消耗品費」が160万円、「事務所費」として530万円が計上されている。この「1500万円の経費」は、82年以降、収入の大小によって多少の増減はあるが、ほぼ一定している。
 ちなみに「政治活動費」としての支出には、「組織活動費」が257万円、「調査研究費」が224万円との記述があるが、現行の政治資金規正法上、1件5万円未満の支出の場合は細目を記載する必要はないため、内訳にあるのは、地元のホテルで行なわれた「会合費」94万円のみである。
 一方の収入は、「個人からの寄付」が281万円、「政治団体からの寄付」が1800万円。これが東泉会からの寄付だ。
 01年、東泉会は同志会に対し、1月、4月、6月、8月、10月の各月第4週、12月の中旬に300万円ずつを寄付している。02年も、03年もこの資金移動の金額、時期は基本的に変わらない。
「小泉家で必要なカネは、大体2か月に一度、東京の信子から送られてくる」
 との正也氏の言葉は、「東泉会からの寄付」を指しているのではないのか。
 政治団体への寄付は、政治活動にのみ使われる前提で寄付金の所得控除が認められている。家政婦の給料などへの私的な流用が許されるわけではない。(以下次号)


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