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室蘭に、鳴き砂で有名な砂浜、『イタンキ浜』がある。
語源はアイヌ語のイタンキ(椀)。 イタンキ浜にはお椀にまつわるアイヌの悲しい伝説が残っている。
昔、日高地方一帯が不漁に見舞われ、コタンの人々は飢え死にを迫られていました。そんな時、絵鞆コタンが豊漁だという話を聞き、日高アイヌは海岸伝いに胆振へ向かいました。
そして、ようやくの思いで白老コタンまで、たどり着くと、絵鞆は豊漁どころか、天然痘が流行し、コタンの人々は山に逃げ隠れているとのことでした。
しかし、いまさら日高へ引き返すわけにもいかず、ようやくアルトル(鷲別岬の西南側の土地)まで、たどり着いたところ、沖の方でクジラの死体が岸近くへ流れようとしているのを発見し、躍り上がって喜びました。
ところが、クジラと見えたのは、実はイタンキ浜の真ん中に見え隠れしているフンペシュマ(鯨岩:蘭東下水処理場の向かい側に見え隠れしている岩)でした。空腹のあまり目も良く見えなかったのか、岩をクジラと見誤ったのです。
クジラを食べられると思い、アイヌたちは流木をたき木にしながら、幾日もここで待ち続けました。やがて、たき木にする流木もなくなり、ついには自分たちの持ってきた「おわん」までも燃やして暖をとりました。
しかし、海中の岩がクジラになろうはずもなく、とうとう飢えと疲労で力尽き、全員ここで死んでしまったそうな。
イタンキ浜の悲しい伝説は、それで終わらなかった。
1954(昭和29)年、10月9日、百体をこえる白骨化した遺体が掘り出されたのだ。
1942(昭和17)年、東条内閣による閣議決定により戦争中、強制連行された中国人は4万人。その内の半分以上である1万6千人が北海道に連行されてきている。
室蘭には、1800人の中国人が連行されているが、一ケ所にこれだけ集められた港は全国でも、室蘭だけである。
しかも、室蘭では1800人のうち、560人をこえる中国人が死亡している。死亡率が30%。これは中国人の全国平均の17%を遥かにこえる死亡率だ。戦争中、北海道での朝鮮人の死亡率が6%というのだから、突出している。1943(昭和18)年頃の日本人の軍人を除いた民間人の死亡率は1.67%。この数字と比較しても、中国人の強制連行がいかに過酷なものであったか想像されよう。
さて、1954年10月9日に話をもどす。当時、遺骨収集送還運動というのがあった。日本で亡くなった中国人の遺骨を返還しようという運動であった。(この運動によって、3000柱の遺骨が中国に返還された)それに歩調を合わせて、室蘭でも証言をもとにイタンキ浜で発掘が行なわれた。
予想としては「30体くらいだろう」と言われていたが、掘り出したら、幅10メートル、深さ2メートルくらいの狭い場所からでるわでるわ、125体が最終的に発掘された。ここで発掘された遺体のほぼ全部が、川口組に連行された中国人と考えられています。川口組は、戦争末期には本店が東京に、支店が岩見沢、道内各地に出張所があり、明治から炭鉱を中心にタコ部屋で業績をあげている。
さて、発掘された遺体の状態であるが、終戦後9年しかたっていないので、髪の毛が生えているもの、歯が白いものなど、なまなましいものであったようだ。また、頭蓋骨にヒビが入ったもの、銃弾による穴の開いたものなど、明らかに拷問により虐殺された遺骨が多数あった。
●趙冠英さんの証言
鉄工室蘭の収容所では、冬でもストーブなし、飲み水、風呂なし。体は垢や汚物にまみれて、収容所内は異様な悪臭を放っていた。食事はろくに与えられず、空腹の毎日であった。衣服は着たきり。靴はワラ靴ですぐ破れ、素足で働き、凍傷で足指や耳が腐れ落ちた人もいた。屋根の雪を食べて咽の渇きをしのいだ。
数人の指導員は暴行茶飯事で、中国人を何人も殺している。
病気になっても、死んでも、医者が収容所に来ることはなかった。
体が衰弱して立てない人は、別棟に移され、食事も半分に減らされた。ここで、ほとんどの人が死んでいった。遺体は仲間がリヤカーで運び、焼いたが、空腹のあまり焼け焦げた遺体を食べた者もいた。
『引用』 上野志郎著 私たちの戦争責任と戦後責任より
投稿者:死ぬのはやつらだ at 19:12
主義者Y
「イタンキ浜事件」・・・東アジア反日武装戦線「大地の牙」のメンバーであった斎藤和が室蘭出身であり、この事件を調査していました。TBさせていただいた記事の本のなかに、そういう記述があります。
この日本帝国主義の犯罪が、彼の企業爆破の行動へとつながっていくのですね。
私の「つぶやき手帳」は趣味的お気楽ブログとしてスタートしたのですが、このへんの本を読んでから「地」を出すようになってしまいました(笑)。
投稿者: ゲスト at 2004 年 12 月 03 日 23:50:30