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(回答先: 日本軍慰安婦問題解決に全世界の女性が動き出す(今回の官房長官訪問の背景) 【JANJAN】 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 12 月 04 日 20:53:07)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80
第二次世界大戦中はオランダが植民地支配していたインドネシアを巡って日本と戦争状態にあり、日本は短期間で現地のオランダ軍を降伏させ、民間人9万人、軍人4万人を捕虜にした。日本軍の捕虜となったオランダ軍人は強制労働などの虐待を受け、女性は強制的に従軍慰安婦にさせられたとされる。戦後オランダはこれらの日本軍人をBC級戦犯として逮捕、拷問、処刑を行った(連合国中で最も多い226人の日本人を処刑)。しかし無実の人も多く、オランダの単なる報復行為だったとする意見もある。
戦後もオランダでは反日感情が根強く、71年昭和天皇のオランダ訪問の際卵が投げつけられたり、手植えの苗を引き抜かれたりした。86年にはユリアナ女王の訪日が国内世論の反発により中止され、また91年に来日した女王は宮中晩餐会で日本の戦争責任に言及する異例のスピーチを読み上げた。95年村山首相は談話で「痛切なお詫びと反省」を発表。98年に橋本首相が改めて村山談話を再確認する書簡を送った。
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賠償問題
第2次大戦における日本のオランダに対する賠償問題は、1951年のサンフランシスコ講和条約と1956 年の日蘭議定書により法的には解決され、日本側は当時の金額で1千万ドルを「見舞金」名目で元捕虜や民間人へ支払った。この時の日蘭議定書第三条には「オランダ王国政府は、同政府又はオランダ国民が、第二次世界大戦の間に日本国政府の機関がオランダ国民に与えた苦痛について、いかなる請求をも日本国政府に対して提起しないことを確認する」とある。しかしオランダの被害者や遺族が受けた癒しがたい傷は依然として残り、1990年、対日道義的債務基金(JES)が結成され、日本政府に対して法的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償をもとめる運動がはじまった。これに対し日本は国民的な償いの気持ちをあらわすために、2億5500万円を支払い、2001年「償い事業」が終了した。