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(回答先: ドコモ関連元社員に有罪=会社の信用失墜―通話記録不正入手・東京地裁 (時事通信) 投稿者 外野 日時 2004 年 12 月 28 日 20:23:03)
古川利明の同時代ウォッチング 2004年 12月 23日
http://toshiaki.exblog.jp/
嘉村英二クンを「トカゲのシッポ」として切り落とす儀式だった‥
NTTドコモのケータイ通話記録盗み見事件」の裁判を傍聴してきました
さあさあ、今年も残すところあとわずかで、小泉が自衛隊をイラクに派兵したり、夏の参院選でも与党で過半数を維持するなど、相変わらず、ロクなことのない1年でしたが(笑)、まあ、所詮が極東亡国ですので、そのへんのレベルでしょう。
表題にあるように、本サイトでも何度も触れている、例のNTTドコモのケータイ通話記録盗み見事件の初公判が、ついおとといの12月21日の午後3時半より、東京裁の531号法廷であり、私もちょっくら見物に行ってきましたので、今回は大スクープの裏話も満載で、いろいろと書きたいと思います。
と、本題に入る前に、ぬあんと、アエラの信濃町の連載(「自公5年 創価学会に何が起きているか」)が、何ともグッドタイミングなことに、この嘉村の公判の前日の20日発売の号で、めでたく(?)、6回をもって終了いたしました(笑)。
ワタシとしては、アエラの編集部が「大取材班」まで組んで、大連載を始めたわけですから、まあ、最低で2ケタくらいの回数は連載を重ね、せめて単行本にはするのだろうという淡い期待は持っていました。
んで、本来であれば、ちょうど、この連載中にドコモ事件の初公判が入ることになるわけですから、信濃町がこれまってやってきた数々の謀略事件、例えば、宮本顕治宅盗聴事件はもとより、今年2月には、そのミヤケン宅盗聴事件の現場実行部隊のメンバーだった竹岡誠治も関わって逮捕された(しかし、なぜか、彼が事件の主犯格だったのも関わらず、野中広務と同様、その“政治的配慮”で起訴猶予になっている)、ヤフーBBからの、ぬあんと400万人を越える顧客情報流出事件などとも絡めて、人間の最も根源的な自由の原点にある「通信の秘密」をガンガンと侵害しまくっている、チョー怖い「信濃町=池田大センセイ」の暗黒謀略体質を取り上げるのが、当然の助動詞だと思って、私も楽しみにしていたのです。
ところが、この月曜日発売の号で「最終回」ですから、まあ、「腰砕け」とまで言うと少々、キツイかもしれませんが、「生温いのー」というのが、正直なところです(#それに、途中、2回も無断休載しとるしな)。
おそらく、これは私のカンですが、上から圧力がかかったのでしょう。ヒントは、現在、八王子でやってる「ユーゴー展」です。これは信濃町と朝日新聞の共催ですから(笑)。
じつは、私も東京新聞時代の96年の後半から97年の初めにかけて、東京都庁&都議会のカラ出張問題をガンガン記事にしていました。現場のトップである編集局長も了解のもと、取材班はノビノビやっていたのです。
が、東京新聞は販売拡張の一環としてやっている事業の中に、当時は「ミス東京」のように都庁がスポンサーとなってやっているものがあったり、MXテレビを都庁と実質的に“共同経営”しているなど、事業の面で都庁とはズブズブの関係にあったのです。
んで、最後は会社のトップを通じて、並々ならぬ危機感を感じた都庁サイドから圧力がかかり、私たちのやっていた「不正経理&裏金追及大キャンペーン」は、ぬあんと、上から降ってくる形で、モミ消されてしまいました。
ですから、あくまでこれは私の推測でしかないですが、自分の過去の体験から照らし合わせてみても、同じようなことが今度のアエラでも、たぶん、きっと、起こったのでしょう(ちなみに、前回、96年に半年ほど続いたアエラの連載では、当時の社長のルートを使って、信濃町は連載を潰していますので)。
どうせ、アエラが大センセイの圧力に屈して、連載を終わらせるなら、せめて、その取引条件として「大センセイとの単独会見」くらいはリクエストを出せばいいものを、それもせずにスゴスゴと引き下がるようでは、「チョロイなー」というのが、正直な感想です。今度のドコモの公判がアエラの連載に取り上げられなくて、大センセイ、よかったね(笑)。
さて、話を元に戻しますと、地検が起訴した事案とは、創価大工学部卒で、創価学会員(元学会員?)の嘉村英二被告(28歳)が、ジャーナリストで雑誌・フォーラム21を主催する乙骨正生氏と、女優の福原由紀子さんのケータイの通話記録を不正にアクセスしたとして、電気通信事業法違反(通信の秘密の侵害)の罪に問われたというものです。
もちろん、今回、立件(=起訴)されたのは、嘉村がアクセスしたとされる「数百人分」ともいわれる通話記録の、ほんの一部にすぎません。
まず、オモロかったのは、創価学会の副会長である信濃町大幹部の松村光晃・弁護士が、嘉村の主任弁護人としてついて、出廷していた点です(ちなみに、松村は嘉村がおととしに逮捕、起訴されたときの公判でも、弁護を担当している)。
というのは、信濃町は今度の事件については、週刊誌への取材に対して、「当会は一切関知していない」としつこいくらいに語っているのです。
んで、さらには福原さんの手記を掲載した「週刊現代」の11月27日号では、記事の最後で、編集部の質問に対して、広報室が次のように回答しています。
――有罪判決を受けた3人(=おととしの裁判で有罪判決を受けた創価学会3人組こと、根津丈伸、田島稔、嘉村英二の3人)の創価学会での役職と活動歴について。
「両名とも既に当会を除名されており、プライバシーに関することですのでお答えできません」
――真相究明のための調査を行っているか、という質問に対して。
「事件は当初から当会とはまったく関係がありません」
前回のオンナ絡みの件では、あくまで田島の交際相手の女性のオトコのことを調べる目的だったという、「まったく私的、個人的な事件だった。それも偶発的、一過性のものでしたので」というリクツで、聖教新聞の例の中傷座談会にも出てくる松村大副会長が弁護人として出てくるのは、まだ、わからないでもないのです。
しかし、今回は、最初から信濃町は「事件とはまったくカンケイありません。当事者も既に除名されています」と言ってるのに、なぜ、なぜ、信濃町の大中枢にいる松村大弁護士が嘉村の弁護人としてシャシャリ出てくるのか、まったく「?」なのです。
例えば、会社のカネを使い込んでもいいし、痴漢をやったとしてもいいですが、そういう悪さをしたために逮捕、起訴されたので、その社員をクビにした会社が、その人の弁護を買って出てるようなもんです。
こんなのは、なかなか世間のジョーシキでは考えられませんが、そこは、さすが、池田大センセイらしい、何ともスバラシイ“仏法の慈悲の精神”といえませえう(笑)。
で、公判は前回と同様、じつにスピーディーに進み、検察官が朗読した起訴状に対してて、被告、弁護人とも「間違いありません」と素直に認めたため、約1時間で結審し、最後に検察側が嘉村に「懲役10カ月」を求刑して終わりました。
さすがに今回は、前回のように結審した直後にすぐ判決を出すというような“異常な速さ”ということはありませんでしたが、それでも判決の期日が、この年末の押し迫った12月28日です。
通常なら、年を越して、来年に言い渡すもんですが、来年は大事な都議選があるせいなのでしょうか、さっさと終わらせて、この事件を早く風化させたいと思っておられる大センセイの意向を、裁判所もそれとなく配慮していたことが窺えます。
で、この事件は、謀略組織の末端にいる嘉村を、まさに「トカゲのシッポ」として切り落として終わるであろうということは、私も予想していたので、別に地検の捜査が「上」に伸びずに、現場の実行犯である嘉村を立件しただけに止まったのは、特に何のオドロキはありませんでした。
しかし、公判で、嘉村が犯行の動機とどう供述するか(供述させるか)にワタシの関心は集まっていました。
そこで私が考えたのが、「池田大センセイとバッシングする乙骨は許せない。大センセイを守るため、私の判断で勝手にやった」と、ヤクザのヒットマンのように、「義憤にかられて犯行に及んだ」と自己弁護するのではないか、と予想を立てていたのです。
まあ、それだと、乙骨氏に対する犯行については、説明がつきます。なぜなら、学会内部では彼の名前を知らない人がいないくらい、チョー有名だからです。
ところが、福原さんについては、ほとんど内部では知られていないし、乙骨氏はともかく、なぜ、福原さんの名前とケータイ番号を知りえたのか(もちろん、福原さんは嘉村とは全く面識もない)、それこそが、事件の本質を抉る最大のポイントですが、なぜか(というか、当然のごとく)、検察側はそういったところにまったく触れずじまいだったのです。
で、実際、嘉村が公判で述べた犯行の動機とは、ぬあんと、「興味本位から」ということでした。これを聞いたとき、「ああ、こういう理由づけがあったか」と、イッパイやられてしまった、という感じでした(笑)。
まあ、1億歩譲って、犯行の動機が「興味本位だった」というのはいいにしても、では、なぜ、乙骨氏と福原さん(それと福原さんの長女も)の名前とケータイの番号を知りえたのか。
繰り返しますが、乙骨氏は週刊新潮や週刊現代などでコメントを寄せたり、また、聖教新聞の例の中傷座談会でものすごいまでの人格攻撃をなされていますので、それで「名前を知っている」ということで、説明はつくでしょう。
しかし、福原さんとその娘さん、さらには警視庁から事情聴取を受けて被害者であることを告げられた妙観講副講頭の佐藤せい子さんの名前やケータイ番号をどうやって知ったのか。
私が嘉村の立場だったとして、名前はもちろん、ケータイ番号も知らない人の通話記録をどうやって料金明細のデータベースから引き出すことができるのでしょうか(笑)。これ一つ取ってみても、検察は「捜査をやっていない」に等しいのです。
それとフシギだったのは、公判で明らかにされたところによりますと、嘉村は逮捕後の取り調べ段階では、ずっと黙秘を続け(それは、「同じような事件で2年前に執行猶予付きの有罪判決を受けており、起訴事実を認めたら厳しいことになるかもしれないと思ったから」と理由を嘉村は言っていましたが)ていたことになっていて、起訴された後に、その「興味本位でやった」とされる“犯行の動機”を告白しようと思い、その上申書をこの12月16日付けで出したということになっています。
しかし、私が地検サイドから得た情報とはまったく異なります。
それは、捜査が動き出したのが、8月の中旬で(#あれっ、例の前総合青年部長のSクンと総合青年部長の迫本秀樹クンをダブル更迭して、「総合青年部長」のポストを消した「8月人事」の時期とピタリと符合するな)、任意の調べでは嘉村は否認していましたが逮捕後は素直に容疑事実を認めていたというのです。
ところが、公判で明らかにしたところでは、まったく異なり、「嘉村は逮捕後は黙秘を続け、犯行を認めて、動機を供述したのは、起訴された後である」と。
そもそも、今回の事件で、地検サイドが「上」まで立件しようとする気がなかったのは、よくわかります。
というのは、本来であれば、同じようにジャーナリストの自宅の電話を盗聴したとして、昨年、警視庁が摘発し、最後には組織トップの武井保雄会長が逮捕された武富士の場合は、着手と同時に武富士本社など関係箇所のガサ入れに入っています。その結果、武井会長が盗聴を指示した決裁書類などのブツも出てきたことで、めでたく、武井の立件へとこぎつけることができたわけです。
こんなもんは刑事捜査のイロハのイですが、「上の関与」を立件するため、末端の実行犯の具体的な供述をもとに、「上」へと事件を追及するには、何よりもまず先に「家宅捜索」を先行させ、証拠物を押収しなければなりません。
しかし、寡聞にして、今度のドコモ事件で、信濃町の学会本部、さらには大センセイの実質的な自宅である第2別館、また、八王子の創価大学などなど、関係する箇所の大ガサ入れを検察が行ったという話を、まったく聞きません。ですから、今回の事件は最初から、「トカゲの尻尾切りありき」だったのです。
その地検幹部はこう私に語っています。
「上の関与を立件しなかったのは、政治的な配慮からだって? でも、ウチらは警視庁が余罪を掴みながらも、立件しなかった部分をちゃんと逮捕、起訴したじゃない。まあ、乙骨さんの被害を立件したところに、我々のバランス感覚を見てとってほしい(笑)」
ただ、ここから先は未確認情報ですが、「上からの指示」について、嘉村は最後まで口を割らなかったという説と、じつはかなり喋っていて、そうした関係者の調書も取られているという二説が入り交じっていて、情報はサクソウしているのです。
んで、私が信濃町中枢から入手した情報では、既に繰り返し指摘していますが、今度の一連のNTTドコモのケータイ通話記録不正アクセス事件では、「Sクン(全国総合青年部長)→根津(全国副青年部長)→嘉村(末端の実行犯)」のラインで動いていたという「真実」を掴んでいます。
そして、10月15日付け本サイトでは、私が「嘉村がアクセスした大量のデータの中に、乙骨正生氏、山崎正友・元学会顧問弁護士らがいるらしい」というふうに、最後にいちおう「らしい」とつけて、ちょっと控えめな表現ながらも、いちおうの“スクープ情報”を書いておきましたが、実際には「記録を取れているのは間違いない」という証言でした。
で、ぬあんと、この情報の出所は「内部」(=信濃町大中枢)だったのです(笑)。
では、地検が怠慢をこきまくって、事件の全容解明をしないので、ギフンに駆られたワタシが、その総力を賭けて掴んだ“捜査結果”をここで公表しましょう。
その福原由紀子さん(元学会員)と、その娘さんの携帯番号ですが、私が掴んでいる内部情報では、そうした“個人情報”の流出先では、福原さんの離婚したダンナさんである創価大教授とのことです。というのは、娘さんは父親とも行き来がありますので。
その意味では、今回のドコモ事件では、謀略活動の舞台が八王子(=創価大学)となっています。
じつは、こうした創価大の職員、教授、さらには卒業生といったありとあらゆるネットワークが、オモテの部分では例の「池田チルドレン」といった学会幹部への登用という形で現れてきています。
が、それと同時並行で、さならが毛細血管のように社会全体に広がっていっているウラのボーリャク部隊が、創価大出身のエキスパートでつくる「長城会」という組織です(#おっ、この「長城会」っていうのは、まだ誰も書いてないぞ。ワシのスクープや)。
「長城会」の「長城」とは、あの中国の「万里の長城」から来ており、当然、池田大作センセイが名付け親です。北方からの異民族の侵入から、万里の長城が中国本土(=始皇帝)を守ったように、大センセイとしては、それと同じように「私を守れ」ということでしょう(笑)。
その流れからすると、秋谷サンと同じ早稲田大学出身のSクン(彼は創価大はもちろん、なぜか創価学園の出身でもないんだよな)は、長城会のメンバーではありませんが、まあ、大センセイの“威光”をバックに長城会をコントロールしていた、ということになるのでしょう。
最近、大センセイは創価大出身者を重用する傾向が激しくなってきていますが、じつは、信濃町の幹部やマルハムの国怪議員だけでなく、ウラのボーリャク部隊でも、まったく同じことがいえているのです。
それと、もう一つ、福原さんはともかく、乙骨氏への通話記録のアクセスですが、これは当然、指示の出所は大センセイでしょう(笑)。
武富士の武井保雄会長が、ジャーナリストの自宅電話の盗聴を指示したように、自らを批判する“仏敵”、とりわけ、「学会(=大センセイ)バッシングライター」の身柄の取り扱いは、大センセイの「専権事項」です。
うち、乙骨氏は、学会を批判するジャーナリストの中でも最右翼にマークすべき対象です。訴訟はもちろん、数々のイヤガラセも含めて、最終的な指示、承認の出所はすべて大センセイです。
では、ここでそうした事実を立証しうる、私だけの「スクープ」をここで披露しましょう。
じつは、乙骨氏が聖教新聞の例の中傷座談会で突如、「デマライター」「ウソつき売文屋」などの(まったく事実無根の)文言で大々的に取り上げられるようになるのは、じつは、02年7月1日付け同紙の「座談会・人権と平和と社会を語る」の第1回からなのですが、そこにはさっそく、「陰湿なデマ事件で学会が完全勝利」「東京高裁が『週刊新潮』と『乙骨』を断罪」の大きな見出しが踊っています。
それは、ヒマな人が国怪図書館あたりに赴いて、聖教新聞の束をめくって調べてもらえばわかりますが、それまで中傷座談会の攻撃対象は基本的に「デマ雑誌」(=週刊新潮)、「ペテン師山友」、「日顕一派」、「宗教弾圧の悪徳政治家」(=白川勝彦)の4者で、乙骨氏を個人的に取り上げて叩くということは、ほとんどなかったのです。
で、聖教新聞の中傷座談会で、こうした大々的な「乙骨バッシング」が始まったのは、じつは、ある大幹部が池田大センセイにこう、提言したからなのです。
「いつまでも山友みたいなロートルばかりをやっていないで、これからはもっと若い乙骨を叩かないといけません」
これを聞いた大センセイは、「よし!」とばかりに、02年6月27日に東京高裁で、新潮社と乙骨氏を訴えていた裁判で賠償を命じる判決が出たのを機に、「乙骨を叩け!」という大号令が下されたのです。
ちなみに、この「大幹部」は秋谷サンではありませんし、原田稔でもないし、青木亨でもなく、鈴木琢郎でもないということだけ言っておきます(笑)。
ところが、です。
何ともオモロイことに、この11月2日に嘉村が起訴され、その被害者として乙骨氏が含まれていたことが明らかになった途端、聖教新聞の中傷座談会から、突如、乙骨バッシングが消えてしまったのです。
んで、現在は紙面は、見ればわかりますが、中傷座談会の攻撃のターゲットは専ら、宗門の「日顕一派&堕落坊主」というふうになっています。
いやー、大センセイ的には、今こそまさに「乙骨バッシング」をしなければならないハズなのに、どうして「沈黙」しているのか、私はフシギでしょうがないのです。
嘉村坊やの事件については、刑事についてはもう有罪判決は間違いありませんので(#問題は実刑か執行猶予がやけど、今回は実刑が来るかもな)、残りの真相の解明は、おそらく「民事」(=損害賠償請求訴訟)の方に移るのではないかと思います。
まあ、そういったことについては、私がとやかく言える立場にもないし、また、軽々しく言うべきことではありませんが、一般論でいえば、刑事では事件の真相解明には程遠いというか、まったく解明されていませんので、常識的には「次」は解明の場を民事に舞台を移すということになるというような気もします。
ま、来年はちょうど、都議選もあることですし、この「大人権侵害事件」、いや、「第2の言論出版妨害事件」を風化させないためにも、さらなる事件の全容解明が待たれるというものです(笑)。