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1979年に鹿児島県大崎町で起きた殺人・死体遺棄事件「大崎事件」で、懲役刑が確定し、服役後に再審請求している同町永吉、原口アヤ子さん(77)の即時抗告審で、福岡高裁宮崎支部(岡村稔裁判長)は9日、鹿児島地裁の再審開始決定を取り消し、原口さんの請求を棄却した。
原口さんは最高裁に特別抗告する方針。
大崎事件は79年10月に発生。鹿児島県大崎町井俣、農業中村邦夫さん(当時42歳)が自宅横の牛小屋から遺体で見つかり、中村さんの長兄と次兄、長兄の妻だった原口アヤ子さんの3人が殺人、死体遺棄容疑で、おいが死体遺棄容疑で逮捕された。
原口さんは一貫して無罪を主張したが、81年、最高裁で懲役10年が確定。出所後の95年に再審を請求した。
鹿児島地裁は2002年3月、再審開始を決定したが、鹿児島地検が即時抗告していた。
(2004/12/9/14:15 読売新聞 無断転載禁止)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041209i306.htm
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【参考】
大崎再審請求事件
南九州支部(鹿児島県) 亀 田 徳 一 郎
1 三月二六日、鹿児島地方裁判所刑事部で大崎再審請求事件について「本件について再審を開始する。」決定がなされた。
大崎事件とは、昭和五四年一〇月一五日、鹿児島県大崎町において請求人原口アヤ子(当時中村)の義弟(N)の遺体が、同人の牛小屋の堆肥の中に埋められていたのが発見されたことに端を発する。
警察は当初から身内による殺人死体遺棄事件として大々的に捜査し、最終的には、死体発見の三日前の一〇月一二日夜、アヤ子を主犯とし、同人が夫(Z)、その弟(K)を誘い、アヤ子、Kが手足を押さえZがタオルで絞殺し、これにKの息子中村善則を加えて、四人で死体を堆肥に埋めて遺棄したとして送検し、裁判となった事件である。
アヤ子は警察・検察の段階でも否認し、無罪を主張して裁判に臨んだ。Z、K、善則は取調の当初は抵抗したようであるが、「自白」調書を取られ、裁判でも「認め」た。
昭和五五年三月三一日判決が言い渡された。アヤ子懲役一〇年、Z懲役八年、K懲役七年、善則は死体遺棄のみに加わったとして懲役一年の実刑であった。
アヤ子は最高裁まで争ったが、昭和五六年一月三〇日上告棄却決定された。
他の三名は控訴せず、一審のみで刑に服した。
アヤ子は「服役」中「反省すれば仮釈放」と誘われたが、「反省するべきことはない」と頑張り一〇年丸々拘束された。
2 平成七年四月一九日、アヤ子は鹿児島地裁に再審請求し(善則は平成九年九月一九日再審請求したが決定前の平成一三年五月二七日四七才で自殺した。
Kにも再審の希望があったが果たさぬまま昭和六二年四月二五日五八才で自殺した。Zは裁判が「煩わしく」諦めていた。)、福岡・鹿児島の一〇名の弁護士がついた(現在一四名)。
再審理由は、@タオルによる絞殺とされているが、「凶器」とされるタオルが特定されていない。A首周辺に絞殺の痕跡がない。B解剖鑑定人は「手指による扼殺」としていたが、理由もなく「タオルによる絞殺」とされている。Cアヤ子の自白はなく、共犯者の「自白」以外に物的証拠・客観的証拠はない。しかも共犯者らの「自白」は、相互に矛盾し、一貫性がない。D解剖鑑定の結果は、「殺人」でなく事故死の可能性を示唆している。
再審では、最終的に死因が中心的争点となった。遺体解剖に当たった城鑑定人は当時の結論を改めて「事故死の可能性」を示唆する新鑑定を出した。
弁護側の池田新鑑定人は、「事故死の可能性」を強調すると共に、原判決が認定したタオルによる絞殺は法医学的に認めがたいとした。
検察側の石山鑑定人は、意見書で頸部の蒼白帯を指摘し(写真のみで)原判決を支持した。(但し、事故死の可能性も否定はしなかった。)
3 再審裁判所は、一五〇頁に及ぶ判断を示し、「新証拠である城補充鑑定、池田鑑定のほか、当請求審において取り調べた新証拠が原審の審理中に提出されていたならば、アヤ子、Z、K及び善則を本件各犯行について有罪と認定するには、合理的な疑いが生じるといわざるを得なかったものと認められる。」として四人全員無罪を前提に再審開始決定をした。
検察庁は三月二九日、証拠の新規性、明白性のなさを理由に福岡高等裁判所宮崎支部に即時抗告した。
http://www.jlaf.jp/tsushin/2002/1055.html