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(回答先: Re: 少しずつでも、ぜひ、お聞かせください。 投稿者 米リカ産の亜鈴薯 日時 2005 年 1 月 06 日 22:06:20)
ありがとうございます。
それでしたら、話が早いと思います。
つまり人為的に、選好にバイアスがかかるようになっているということですね。
これは単に、消費に限った話ではないと思います。
「意思決定」という意味では、投票についても、選好にバイアスがかかるでしょう。
そうした「多様性や可能性の自然な拡がり」を阻害する要因として、大手が資本に任せて求心力を持たせ、選択肢を集束しようとしている、とでもいうのでしょうか。
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そうではありません。
大手の資本が、多様性や可能性の自然な拡がりをもたせればよいのです。
たとえば、現在、音楽CDが売れていないと聞いています。
この原因はP2Pソフトの影響だけではありますまい。
商品の選択肢が狭められていることの影響もかなりあると思われます。
10,20代に音楽に親しんだ消費者が30代、40代、またはそれ以上になっても
音楽CDを買いもとめて聞くという習慣をもちつづけている人がどれくらい
いるでしょう。
これらの人々の趣向にあう、商品を継続して供給しつづける環境を
つくることは大手の資本の方が向いているでしょう。
継続して商品、そしてそれらをつくる人々をサポートできるのは、
大手の資本です。
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したがって、極論すれば、ブームもライフスタイルもつくられたもの、ということですね。
(ごく表面的にいうと、書籍・雑誌の推定販売部数が減少している中、書籍のみ、ハリー・ポッターシリーズの“映画の力”で、金額返品率が改善された、ということが有りましたね。ソフトもでしょうし、コンテンツとしてはアートも一元化へと加圧されてきたでしょうし、映画そのものもハリウッド化されているでしょうしね)
こうしたことは、この板の流れの中では「世俗文化」の問題といえるかもしれません。
世俗文化というのは、逞しい人間の欲望の発露でも、遺伝とか気候風土で共有された国民性に由来するのでも何でもなく、相当程度コントロールされたものであり、要は、政治的介入や、累積された広告投資の賜物であったりする、ということでしょう。(商業放送文化・メディアの影響をモロに受けて、消費し、コミュニケーション的に生活しますね)
そういう趨勢の世俗文化が、個性や才能や自由を