現在地 HOME > 掲示板 > 昼休み4 > 883.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 運動脅迫症の実例 投稿者 宮本浩樹 日時 2005 年 1 月 06 日 14:26:03)
>>このとき、運動を語ることは、そこでも運動をする限りで強要となり、
>「そこでも」は、運動が語られる場のことでしょうか?
そうでしょう。
‥‥
>>また信じているとするならば、強要でなければならない。問題は、何が運動か、ということである。
>「信じている」のは運動の成果、可能性の事でしょうか?
分析命題として、そこまで言及できていないはずで、信じているのは「運動しなければならない」ということ、つまりは「強迫そのもの」に対してでしょう。
「運動内容」の限定につながる、価値判断を留保しているようですよ、批判であれ、自認であれ、断定するのは「多面的に危ない」から、と(笑)
‥‥
>>これはつまり、運動強迫が自覚されえない可能性を意味している。
>自覚されうる可能性も留保されているのでしょうか?
そうでしょう。
‥‥
>>眼前の他者は運動を、この瞬間へと始めえていない未成熟もしくは怠業状態にあると看做されうる。
>「他者」とはこの場合、運動に参加していない者ものの事を指すのでしょうか?
そうでしょう。
‥‥
>ゾンビに質問するおれは馬鹿だな、うん。
そうとはいえないでしょう。
だって、この人、にせゾンビだもんね。
筆名は【運動強迫】、名実ともに(笑)
投稿するだけだったので気が抜けていたようです(笑)
とほほ。