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(回答先: 他者との遭遇 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 1 月 05 日 22:11:44)
「こういう作業(運動)は、中身うんぬんよりも、続けていかない事には無意味ということになるのでしょうね」
>荒鳩さん、こんばんは。
ワヤクチャさん、お久しぶりです。
最近は、長壁さんと距離を置いておられるようで、何よりです(笑)
こちらが、ワヤクチャさんに申し上げたいことは、前に書いたつもりですし、それなりに本音で書いたつもりですが、まあ私のことなど、お忙しくて忘れておられることでしょう(笑)
>「昼休み板」は「他者との遭遇」の場ではないかな?と思っております。
他者といっても「より生身の人間に近い言葉づかいを介して遭遇する他者」「普段は見られない面を見せている、他者の本音の状態」「リラックスしたり、はめを外した状態の他者」「他者の中でも、多数派からすると、変わって映る他者」ということですね。
いやいや、その、どれかですね(笑)
いや、そうとは限りませんね(笑)
ここに来て私は、自分の別の面を、爆発させているかもしれません。
ここでは例えば、ゆだやノかイラクさんなども滅茶苦茶になっているでしょう(笑)
>自分とは異なる者との遭遇と対話こそ自分の認識を拡大する事でしょう。
私は、どちらかというと引きこもりの傾向があって(笑)なかなか、そういう境地には至りませんね。
>宮本さんとの対話を試みております。
彼は、あんな感じで敵が多いかもしれません。(私も、かなり、敵は多いはずですが)
しかし、基本的に「すごく、いい人」だと思うし、それに「色々勉強し、よく考えていて面白い人」だと思いますよ。
長い議論の中では、そりゃ人間ですから、まあ「誤解」や「行き違い」も有るとは思いますけど、いつもの粘り強さで、徹底的にやっちゃって欲しいと思います。
>定義をはっきりさせる事はそれだけでも大変意味深い事ですね。
そうですね。定義の重要さを感じる人が、もっと多いと助かりますね。
>共通の定義の認識無しに議論しても噛み合っていないと思いますし。
一般的に、かなり不毛な議論・対話が多いようです。
私が対話に懐疑的なのも、まずは、そのあたりかなあ(笑)
でも、定義を何百と書いていくことや、それを擦りあわせて共有したり、それを参照しながら議論するのは、マッチ棒で鳥居の模型を建てるために、そのマッチ棒を家で探すぐらいに難しいはずだし、いまどきマッチ箱を見つけても、マッチ棒では鳥居を組み立てることはできないでしょうからね(笑)
でも“平和と万人の幸福”のために、それをしないといけないのでしょうか。
>阿修羅参加者による「世界の読み直し」が必要だと思っております。
権力の為せる業という意味では「力学的な世界」と「情報の流れ」の、読み直しをしているのでしょう、戦争板では。
しかし、認識や、言語や、世俗構造や、個別の日常などを扱うようなことは、阿修羅参加者は得意としないと思うし、そこまでは、したがらないと思いますね。
>「テロ」の定義も大問題ですしね。
これは基本でしょうけど、そうなると暴力の定義も、暴力の正当性の問題も出てきて大変なことになるような、もしかすると応用問題かもしれませんよ(笑)
>あるいは、DNA鑑定ってどうするの?という事などが大事だと思います。
これは教えてもらえないでしょうね(笑)
>我々があまりにも「分かったつもりになって」議論する事が多過ぎると思うからです。
それをやるには、根本から考える哲学みたいになってしまわざるをえないでしょう。
そうなると、いきなりテロやDNAは、できなくなってしまうんじゃないですか。
並行するのもいいでしょうが、テーマを絞らないと、バラバラで際限なくて、むしろ面白くないかもしれないですよ。
>実際には、何か気になったテーマについて、調べようと思ったり、考えようと
>思った事を辞典にしていけばいいのでは?と思います。
テーマでやるならやるで、気楽にできるほうがいいのでしょうね。
これを対話で決めてしまうと、本当に、ボランティアで、そのようにしなくてはならなくなるでしょうから、大変ですね。
対話したくなくなるかも(笑)
>「阿修羅ではこの言葉はこういう意味で使う」という事ができればいいかな?と思います。
>それでこそ、議論も厳密できるでしょう。
あぁ‥‥でも、言葉の意味を決めてしまうというのは、ちょっと‥‥。
>「情報収集」板と「情報に対する分析・意見」板という意味での後者ですね。
>多くの掲示板がこの分類を採用していると思います。
これは、昼休みというよりも議論板でしょう。まあ雑談板にも、はみだすでしょうね。
おっしゃる分類については、これらの板で出来ると思います。
昼休みは、どこにも属さない人の不満を吸収するための“収容所”かもしれません。
(私には、そのような自認があると思います)
しかし、これをネガティブに捉えるつもりはないのですよ。
阿修羅の周辺‥‥広い意味での阿修羅を必要とする人のために、最大限に開かれていて欲しいですね。
そうでないと、阿修羅のテーマ板で弾き飛ばされた人は、どこにも行けずに反阿修羅みたいになってしまうでしょう、せっかく寄ってきたのに?
ここは或る意味、阿修羅むきでない阿修羅ファン、アシュラーたちの居場所かも、って思いますよ。
>各自の主観がぶつかり合う場なのでしょう。
>「客観的事実追求の場」と「主観の格闘の場」という分類でもいいですね。
>多くの人にとってこの両方が必要でしょうし。
そうですね。両方あっていいでしょう。主観もあり、私事・私情もあり、それらのぶつかりあいもある、と。
>メディア関係者は、前者の方を欲するタイプが多いでしょうが。
誰のことです?
>排除された者同士の遊び場でもあるのでしょう。
>しかし、その遊びが全く無意味であるかどうかは分かりません。
いえ、その遊びと排除された者が、世界が変わっていくときの、中心の力ではないでしょうかね、無意味どころか。
なぜなら、優秀な人が作った世界が暴力的な争いばかりのとき、その人たちに排除された人は、優秀な人の考えに染まっていないと思うのでね。(これは重要なポイントでしょう)
とくに現在の労働というのは、けっきょくは腐敗や環境破壊や占領などの、資金づくりそのものになったりすると思うので、そんなことなら、少なくとも今は遊びのほうがマシじゃないか、という考え方もあると思いますし、危機感もあるでしょう。ニートじゃないが、みんなもっと遊べよ、みたいな(笑)
それと、私が「差別エリア≒バリアフリーゾーン」 という“一貫性のない奇妙な図式”を用いたのは、差別されて囲い込まれた場所は、目が届きにくい分、差別を免れているんじゃないか、との逆説をいいたかった、ということだと思います。
>異種格闘技場という感じもしますね。
そう認識できるといいですね。
しかし、ここ昼休み板においても、異種では格闘にならない、反則だということで、荒らしのレッテルで排除される‥‥そのような顕著な動きがあると思います。
(そういうことをいわれると、なおさら、そういう「ギリギリの荒らし」を追求したくなるのが、疎外された者の、まあ内乱みたいなことなのでしょうね)
昼休みに押し込められて、ここで過当競争みたいになって、発言の場の確保が一大事業みたくなるのですね、花見の場所取りじゃないけど(笑)