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(回答先: Re: おせちの残りを食べながら 投稿者 Sinta 日時 2005 年 1 月 05 日 13:50:23)
ジャック・どんどんさん、Sintaさんこんばんは。
まず最初に昨日の私の投稿についてお詫びします。
なんだか非常に何言ってるんだか良くわからない文章でして「大喜び」だったことは本文に書きましたけれども、もう一つ。
うんこしたかったんです。
こんな文章なんですけれど、毎度毎度全身全霊なんです。ですので、途中でうんこしたくてもPCから離れるわけにいかないのです。
管理人さんが整備してくれる掲示板で、自分以外の素晴らしい方とやり取りをするわけですから。
自分の管理するサイトでは得ることの出来ない充足感を味わえるわけですからこの位しないと申し訳が無いような気がします。
昨日はジャック・どんどんさん、Sintaさん、私なんかの投稿を読んでくださっている物好きな方々、便意、そして刻々と迫る閉店時間との戦いでありました。
そんなわけで読み返すと物凄い喜びと焦りと緊張が入り混じるわけの解らない文章であります。
申し訳ございませんでした。
どうやら「店がヒマ」なキャラとして定着しそうで“おいしい”思いでいます。
美味しいと言えばブリの照り焼きはいいですよね。
5〜6年前までは魚全般苦手だったのですが、最近の私は少々大人になったようで、肉類よりも魚類のほうが美味しく感じ始めました。
煮物も最近になって好きになってきました。
何故味覚が変わるのか不思議でなりません。
身体的、生理的問題なのでしょうかね。もう一方で「大人はこういうのが好きなのだ」という刷り込みもあるのではないかなんて思ったりします。
最近の私はすごく「一昔前のおっさん」のような振る舞いをするのがクセになり始めまして、夏なんかは時々、半袖のワイシャツにループタイに扇子もって
下駄履きでグレーのズボン。といういでたちで「いやぁ、どうもどうも」とやりたくなるのです。
友人たちは呆れていますが、私としてはそれが大人になったような、そんな背伸びに似た感覚で気持ちがいいのです。
高校生がタバコを吸うようなものでしょうか。
このような刷り込みもやはりあるような気がしてなりません。
「ファシストになるか、レジスタンス(パルチザン)になるか。それは、たまたま偶然(ちょっとした環境・個人的な歴史の違い)にすぎない。」
凄い言葉ですね。少なくとも私は今このときに生きていますからパルチザンになる事もないしファシストになる事もないわけで、その時代を生きたから言える
言葉ですよね。この時点で言葉の正しさを証明してしまっています。
よくいる“調子のいい人”“世渡りの巧い人”なんかはどこで偶然が現れるのかを知っている人なのでしょうね。
(物事の交わる点を見るのが巧いと言ってもいいかもしれません)
(私なんかは「こうやったらこうなるだろうな」なんて先に色々考えているうちに「偶然」を逃すタイプですね。見ている余裕が無い)
イタロ・カルヴィーノさんもファシスト側についていたらその後作家として食っていけなかったでしょうね。焚書なんかされたりして。
流れ見る目といい加減さは知識や思考力よりも大事かもしれませんね。
ボコノン教でいうと「定められて」いるのでしょうけれども。(ようやく読み始めました)
そころでブリ、美味しそうですね・・・。
Sintaさん。Sintaさんの仰っていたマギーチャン、私はよく映画を見ますけれども俳優の名前が覚えられないのでぐぐってみました。
「ああ!『ポリスストーリー』にでてた人かー」なんて声出しちゃいました。
(『英雄』を見た際に「うわー。結婚してぇ!」ってもんどりうった記憶があります。)
食べる時に上品なのですか。素敵ですね。
毎日行う食事(水だけの時もありますが)が上品って強いですよね。
その人の「かなりでかい」側面だと言っちゃってもいいのではないかと思います。
この投稿を読んでいる物好きな方の中に「憧れのナイスガイ」を落とそうとしている女性がいらしたら「食事で魅せる」のをお勧めしたいです。
日常の動作が品良く出来るようにしておくとモテモテかもしれませんね。
私ですか?
私が品良くうんこしても密室だから意味はありませんとも。
ではごめんなさい。