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ああ、自らもこうして今、その事をもはや・・と思い始めているじゃ無いか・・・。
しかし不思議だ・・。誰もこのことを議論をしないのか・・。
米大統領選挙に思う所を発し、その意識をここに認める。
未だ我々の意識に根ざす、あの忌わしい一件で瞬く間に広がりを見せた「自己責任」論。
その無秩序の解放の一端を制すかにも思えた「リスク」論。
そこにプラスして、良識者に「価値観(の違い)」論を講じて欲しい。
この単純な論旨に決着を見るであろう「価値観の違い」をただ馬鹿らしいと見逃してはならない。
このことを論ずる事はどんな課題よりも急務であった。
断じて許されない。
今、過去の通例に習い言葉の本義は着々ととそのイメージが摺り替えられる。
注視せよ。支配者を脅かすあらゆる言葉を。
言葉はまやかしだ。言葉のトリックにはまるな。己の言葉に対する理解度を懐疑せよ。
心を喚起せよ。
「価値観の違い」と言い放つその心理とは。
人の上に立とうとする指導者が、それを用い、論破を企てる事はどのように可能なのか。
その者の立場として、どのような意識が働いていると読めるのか。
「価値観の違い」をまず肯定して見せて良識を誘いだし、やる事といえば、理解を深めようとはせず、真逆の、「意思疎通」を遮断する事だけだ。
同じ人間であることを肯定してみせて、意思疎通を図る事が出来る存在である事を認めていないようなものである。
「人生色々、会社も色々、社員も色々・・」
(「それは貴方が思っている考え、私には私の考え・・これ以上、何も言う事は無い」)
大手メディアの記者等は飯の種以上の頭は使わない。社会にとっては無能に近い。
彼等にこれ以上、異常な世界を造り出して欲しいとも思わない。
彼等には期待せず、ネット上のみに期待しよう。
プログなるものも効果が有るようだ。
あらゆる例えでこの問題の可、不可を提議し、「自己責任論」同様、単純な議論の広がりを期待し、国民の前に役立つように定義することは火急を要する。
「心とは目に見えないものである。
相手が何を考えているか解らないだろう?
じゃ君は心が読めるとでも言うのかね?」
"よって相手の心を理解しなくて良い"
と結論付けるのは、公務員の教育理論だ。
徹底して罪と恐怖を植え付け、金は申し分なくやる。
立派な公務員となる為には強権にも笑顔で従順に、そうした教育に慣らしていく。
最新のアメリカ式教育だ。
人を「信頼もせず」に、「信用を売る」などとするデタラメが、よくまかり通る世の中となったものだ。
そうした連中が増々この世の中を落としている。
普通の人間の意識では、「目に見えない、だからと言って相手の「心」を無視して良い、という事にはならない」とする結論となるのが好ましい。
それと同様に、「価値観の違いは人それぞれ」と誰もが否定しない。だからと言って、自分と意見の合わない国民を無視して良い訳にはならない。
むしろ多方面に渡った国民の意見を纏めようともせず、最初から無いものとする人間などがリーダーなどと、まったく冗談では無いのだ。
こうした意識を持つ事を今、国民に期待せねばならない。
こうした意識があるのかどうかをひとりひとりに訴えねばならない。
諦める前に、最低このことを感謝しよう。
全ての人間には心があり、意思疎通を図る事が出来る生命である事を。
それを誰もが、建て前であろうと、それを認めて生きていると言う事を。
容易にそれを否定してしまっては、何を議論する事も、その意思を持つ事など全く無意味なのだ。