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(回答先: 失業しちゃったあ(笑) 「問題」はこれからでしょう、ここの「問題」は、弾圧は(笑) でも何で言うかな俺、黙るには?(笑) 投稿者 Kamomenoko 日時 2005 年 1 月 15 日 04:53:09)
茹でパスさんの問題も、感覚的にではなく、はっきりと認識できていたと思います、というか単純なのですね。
それでも、それとは別の美感を褒め、しかし、そうであるとすれば、その意味での質問の必要は無いはずなのに、遠回しに様子見や牽制をしようとしたかもしれません。
茹でパスさんの言われた力は、或る悟りそのものとは関係なくても、私が或る悟りを終えているはずであれ、内容的には私の悟りへの力になりえたものだと思いますし、また、それ自体が滅却になってもいたと思うのです。むろん、その或る悟りとは、恐らくは無関係に、創造的な力の巨大な魅力の源にもなりうるのは事実でしょう。
私は甘いのでしょうか。
明らかな過剰の数々とは別に、これは無駄だとわかっていて、そこを回り、しかも見抜かれて、呆れられているのかもしれません。
そして、それは、たぶん、強迫の為せる業なのでしょう。
しかし、自分の基準を適用すると、合格者は居なくなるかもしれないのです、1人は、おもしろいのがいるようですが。
私は、予想できないだろうし、なまじ予想できないことが望ましいと思います。
しかし、それで、理解と力が及ぱないと見做されるでしょう。これでは相手にされようもないはずです。
むろん、予想としての知が、思われた社会から力づけられているはずの、その妄信の恩恵には、妄信を砕くべきなのでしょう。
ただ、それをいまやろうとすれば弁解に映り、自己を他者に貶めさせるだけで、無効になってしまうかもしれないわけです。
ところで、物理を受け入れる限界というものがあると思います。
それを超える自由は、殺す自由でしょうが、低層と高層で同時に矛盾をきたすのではないか、と思われます。
矛盾には、もちろん理性というものは耐えづらいかもしれませんね。