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(回答先: 我々は、この地上を、なんと速やかに過ぎて行く。 投稿者 心の旅 日時 2004 年 10 月 31 日 11:54:15)
参照元URL
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou58/koga58.html
「今、吾れ子に告ぐるに人の情を以てせん。目は色を視んと欲し、耳は声を聴かんと欲し、口は味を察せんと欲し、志気は盈(み)たんと欲す。人、上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十。病瘻*(びょうゆ)・死喪(しそう)・憂患(ゆうかん)を除けば、其の中、口を開いて笑う者、一月の中、四、五日に過ぎざるのみ。天と地とは窮まりなく、人の死するは時あり。時あるの具(ぐ)を操(と)りて、無窮の間(かん)に託す、忽然(こつぜん)たること騏驥(きき)の馳(は)せて隙(げき)を過ぐるに異なるなきなり。其の志気を悦ばし、其の寿命を養う能わざる者は、皆道に通ずる者に非ざるなり。丘の言う所は、皆吾れの棄つる所なり。亟(すみや)かに去りて走り帰れ。復(ま)たこれを言うことなかれ。子の道は凶凶[イ及][イ及]、詐巧(さこう)虚偽の事なり。以て真を全うすべきに非ざるなり。奚(なん)ぞ論ずるに足らんやと。」(『荘子』盗跖(とうせき)篇第二十九)
【口語訳】いまおれ(盗跖)は、お前(孔子)のために人の情というものについて話してやろう。目は美しい色を見たいと望み、耳はよい音色を聴きたいと思い、口はうまいものを味わいたいと願い、心の欲望は満たされたいと望むものだ。ところが人の寿命は最高の長生きでも百歳、中の長生きは八十、下の長生きは六十で、病気とか親戚の死亡とか心配ごとの期間を除くと、中間で口をあけて笑える楽しいときは一月(ひとつき)のあいだにやっと四、五日ていどだ。天地の大自然は尽きるときはないが、人間の死は必ずやってくる。有限なこの身を無限の大自然のなかに寄せているのは、忽然とした瞬時のことで、まるで駿馬が戸の隙間(すきま)を通過するようなものだ。己れの欲望を満足させ己れの寿命を養うことのできないようなやつは、すべて道に通じたものとはいえない。お前の話すことはおれにはすべて無用なことだ。とっとと失(う)せて逃げ帰れ。二度というまいぞ。お前の教えは狂気(きちがい)じみてあくせくしていて、いかさまの嘘っぱちの事だ。本来の真実を全うできるようなものではない。とても話しあう値うちはないぞ。〔( )内は古賀注〕
『荘子』(岩波文庫『荘子』第四冊、金谷治訳注による)