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日本の自動車免許取得構造は世界の非常識?
http://www.web-pbi.com/license.htm
ニッポンでクルマの運転するためには、高額な費用を支払ってクルマ道場に入門しなければならない。そこでは体育会系の教官がいまだに幅を利かせている。座学では、クルマ道の経典(道路交通法)を少し分かりやすく解説した教材を使って、15時限に渡る修行が行われる。実地では「法令を遵守すること」だけに重きが置かれ、路上教習でも「クルマの流れ」に逆らったスローペースを強要される。そこに科学的・合理的な安全理論はなく、ただ“違反は危険”の絶対論が全てを支配する。この“違反は危険”の絶対論を信じてしまうと、臨機応変な対応を、自ら考えることを忘れ、「なにが違反なのか?」が、クルマを運転するうえでの最大の関心事となってしまうのである。
卒業するまでのあいだ、高圧的な教官の態度を我慢し、やっと免許を取ると、免許皆伝となった気がして自然と気がゆるんでしまう。高い費用を払って修行に耐え、もはや教官にうるさく言われることもないからだ。しかし、卒業して自由の身になったと思ったら大きな間違い。道路では、けん銃で武装したおまわりさんに、“違反は違反”と追いまわされる。そして、おまわりさんの前でしか守られていない速度規制の理不尽さに気が付いたとき、「捕まらないようにやればいいんだ」という価値観が形成されるのである。
免許の更新では、クルマ道の経典(道交法)の解説本 『交通の教則』を必ず買わされる。そこには20年以上も昔のクルマが、イラストとして現役で活躍しており、“クルマ道”が時代の流れに取り残された化石であることを改めて思い知らされる。
高額な費用
ニッポンの免許制度が、高額な費用負担を強いていることが分かるはずだ
「マンツーマンの指導だから仕方ない」と自動車学校関係者は口をそろえる。 しかし、同様の運転教習を行う他国のドライビングスクールと比較すれば、その言葉に説得力はない。
「日本の教習所は広い場所が必要だから、それがコスト増の原因だ」 といった意見もある。 しかし、地方で田畑のまん中(タダ同然)にある教習所の料金は、首都圏とさほど大きな違いはない。典型的な「護送船団方式」だといってよいだろう。 旅費・宿泊費代・食費パックの「合宿免許」が、“通い”と同程度の料金で提供されていることから、その採算分岐点が想像ができるのである。
厳しいカリキュラム
一覧からは、ニッポンの免許制度に、厳しいカリキュラムが強かれていることが読みとれる。 (ドイツは日本と同じくらい厳しいが、免許は生涯有効で費用も半額以下だ)
ニッポンのドライバーの運転モラルのレベルを推考すると、この厳しいカリキュラムが決して有効ではないという結論に達するはずである。それに、昔よりマシになったとはいえ、ニッポンの教習所の指導員の質の悪さを指摘する声は、現在でもさまざまな場所で目にすることができる。「高圧的」「サービス精神に欠けている」「セクハラ」などが代表例だ。