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Kは思うのだが、過去のイデオロギー的な枠組みは既に「過去の物」なのだろう。
二大政党制にも問題は多いのだが、ここまで来ると(選挙制度を変えない限りは)二大政党に集約されざるおえないだろう。
反戦なんて基本的にはみんな反戦を唱えるだろう。(一部の精神異常者は除いて)
政府の無駄な政策費は極力減らして税金を出来るだけ抑える。とか、少子高齢化とか福祉や年金問題においても(手法はともかくとして)方向性ではほとんど変わらない。
防衛費については微妙だが、「現実的な必要最低限」と言う事ならば概ね一致するのだろう。(その『現実的な』という見解にはピンからキリまでの認識の差はあるのだろうけど)
Kは既に今までの政治の枠組みは意味を成さないと思い始めている。
ならば、どうするか?
新たな枠組みを考えるしかないだろう。
Kは提案しておく新たな枠組みは・・・
「アメリカを追従し、アメリカ一家の一員としてアメリカと運命を共にする派」
と
「日本独自の文化を大切にしつつ、世界の中で世界の一員として国連主体に参加しよう派」
である。
前者は「個人主義的合理主義」を追求する方向であり
後者は「集団的な共生主義」に振れた方向性を持つ事になる。
狩猟民族であり、家族を捨て国を捨てた個人主義を根本に持つアメリカ的合理主義に学ぶべき物はあるし、一概に否定はできないが、全面的に受け入れるのならば、農耕民族であり、集団の中で生きてきたという「日本の文化における非合理な面」を排除しなければならないだろう。
それは、先祖を否定する事であり、過去の日本の歴史、やり方を否定する事でもある。
アメリカにペコペコしながら「誇りある日本国を造る」などという詭弁は兎も角として、本当の意味で「日本の文明や歴史」をどう捉えるか?
無理に日本に土着しなくても良いが・・・
「一太郎の裁判において」
「違法につき販売差し止め」の判決が出された
これからのソフトの将来と発展を考えるならば、アホな判決である。
Kならばジャスト敗訴でも「販売差し止めでなく金銭の支払い」程度の判決であろう。
裁判官は結構ユニークな判例を出すので有名な裁判官という事だが「アメリカ型思考に振れすぎてしまっている」とKは思う。
おそらく、この裁判を数人の裁判官に判決させれば、色々な判決が行われるだろう。
テレビの法律家でも一つの事例で様々な見解に別れる。
基本的には個人の権利と集団の中での義務に対する見解によって別れるのだとKは感じている。個人の権利と公共性のバランスが微妙なのである。
で、日本の文化や歴史を捨てるのか?尊重するのかで、政治の枠組みを分けるべきではないだろうか?公共とか公益を重視するのか?個人の自由と権利を重視するのか?
ただし、アメリカ合理主義を追従するならば、少子高齢化は進み、年金制度は崩れ、やがて日本は滅ぶだろう。滅ばなくても、世界という中で日本の過疎化が進み老人のみの国になるだろう。