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(回答先: RE:我々の物語は?ワヤクチャさんへ 投稿者 愚民党 日時 2005 年 1 月 22 日 09:31:43)
愚民党さん、レスありがとうございます。
別に気持ち悪い事ありません。
私の部屋も「重層的な非決定」状態です。
まだまだエコロジカルではありませんが。
>RE:我々の物語は?ワヤクチャさんへ
>http://www.asyura2.com/0411/idletalk12/msg/479.html
>投稿者 愚民党 日時 2005 年 1 月 22 日 09:31:43:ogcGl0q1DMbpk
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>我々の物語は?
>http://www.asyura2.com/0502/war66/msg/371.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 1 月 20 日
(回答先: ネオコンと宗教右派の「物語」とわれわれの現在 田原 牧 投稿者 愚民党 日時 2005 年 1 月 20 日
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>ワヤクチャさん。おはようございます。
こんばんは。
>田原さんの記事は、2015年体制へと出発した宗教原理主義国家USAの裸体像を
>分析していると思いまして、転載投稿させていただきました。
ネオコンは物語を捏造しようとしていますね。
我々の側の対抗的な物語が必要です。
ブッシュは「自由の拡大」等というものを持ち出しました。
自由の実現の名の下に患者を病院から放り出す事までやっています。
我々はブッシュが言っている事と実際にやっている事のちぐはぐさを告発し続けなければ
なりません。
>ワヤクチャさんのコメントは重要であると感じました。
どうもありがとうございます。
>「左派の総括」とは
>近代から21世紀にわたる壮大な歴史と思想そして庶民生活にわたる
>軸であると思います。
生産力主義に対する総括が必要だと思います。
マルクスも生産力の発展が生産関係を(自動的に?)変革し階級社会を
廃絶するかのごとき楽観主義に陥っていたと思います。
実際には生産力がいかに発展しようとも生産関係の変革に結びついておりません。
資本による人間の支配が貫徹しているからです。
また、階級闘争が問題を解決するという誤りも犯した思います。
実際に必要なのは階級闘争なるものではなく、システム変革運動です。
人間同士を争わせるのではダメです。
>焼酎に頭がやられ、からだがしびれている馬鹿のおらでは、とうてい
>返信できません。
私も焼酎はよく飲んでいます。
手が震える場合もあります。
ラーメンのスープをレンゲで救う時に手が振えます。
酒はほどほどにしないといけませんね。
自分で馬鹿などとおっしゃらないで下さいよ。
私もよくそういう事を書いてきましたが、相手にとって全然嬉しく無いだろうと
思ってやめました。
「返信できない。」なんて書かないで下さいよ。
寂しいじゃないですか?
対話を続けていきましょう。
何かが得られるハズです。
>89年以後におけます日本は
>「新世界秩序とグローバル市場主義」によって
>左派が立っておりました共同体が壊滅されてまいりました。
その共同体とはどのようなものでしょうか?
その場合の「左派」とは一国社会主義の事でしょうか?
スターリンは「一国でも社会主義建設は可能だ。」と言いました。
これは間違いでした。
マルクスは社会主義は世界の労働者階級の団結によって初めて可能になると
考えました。
スターリンはこの考えを否定したわけです。
資本は国際的に活動します。
従って、資本に対抗する運動も国際的な活動によってのみ成果を挙げられと
思います。
労働者階級なるものでは無く、「資本を制御する運動」ですが。
>おそらく共同体の個人はアトム化されてしまったように思えます。
従来の左派の組織に代わる「システム変革」の組織はまだ明確には登場して
いないと言えるのかも知れません。
環境派の組織は1つの媒介足りえるとは言えますが。
世界の人々を惹きつけるだけのトータルな思想性はまだできていないと思います。
>「左派の総括」とは「共同体の総括」でもあると思います。
どのような共同体だったのでしょうか?
>「ネオコンと宗教右派」とは
>「グローバル市場主義」によってアトミズムに転化されてしまった諸個人を
>「宗教共同体」に再編した結果が、USAの裸体像として現出しているのでしょう>>>か・・・
恐らく、キリスト教原理主義の世界観を現実と勘違いするような
周到な洗脳を長年に渡って行ってきたのでしょう。
対抗的な情報を与えない事によってそれは可能です。
対抗的な情報を得た人間がいても異端として弾圧したらそうなるのです。
「この世で生きていく為にはキリスト教原理主義にすがるしか無いのだ。」
という事を信じさせる事に成功したのでしょう。
創価学会も日本でそのような役割を果たしております。
つまり権力側に付いてこそ初めて生きていけるという考えです。
創価学会員の口グセは「大丈夫」です。
>それは「擬似共同体」なのですが
>「聖書の予言を成就する」ハルマゲドンの到来を推進する人々の群れ・・・
予言を信じ、そのようになるように活動するという事です。
オウム真理教もそれをやりました。
オウムは日本でどこまでやれるかを試したのだと思います。
そして、そのような極端な宗教を実際に作る事によって
創価学会を相対的にまともに見えるようにしたのでしょう。
>自分は人間関係をつくることに失敗してきた人間です。
何故失敗してきたのですか?
友人がいないという事でしょうか?
私は既にあなたと関係を作ろうとし始めているのですが。
>劇団とか暗黒舞踏団という「擬似共同体」による表現文化も模索してきたのですが
>どんづまりになってしまいました。
暗黒舞踏団ですか。
聞いたことありますよ。
すごい方なんですね。
私はそういう活動をする人を昔から尊敬してきました。
肉体を使って何が表現できるかを追及している人だからです。
肉体というものは自分の意志ではどうする事もできないほど色んな事を
発信し続けていると思います。
それを、表現の道具にしようとする人は偉大だと思います。
>やっぱり自分は人間というよりは動物でありました。
人間とは何でしょうか?
人間と動物の違いは?
「人間とは社会的動物だ。」という事が言われます。
人間は社会の目で自分を見ようとします。
そして、社会に適応するように自分を統制しようとします。
それは動物としての自己を変える行為です。
赤ん坊は動物です。
人間は年を取ると幼児のようになりますが、
それは社会から再び離脱して本来の動物に戻るという事では無いでしょうか?
自分がしたい事が何かを考え、それを追求する人の中には
一切の余分な事をやめてしまう為に動物的になる人がいると思います。
あなたはそういう方では無いですか?
>70年代、80年代、90年代を生存できましたのは
>おのれの動物的生命力の方向感覚を信頼してきたからであります。
分かる気がします。
>自分は人間からゴキブリへと退化してしまいました。
そうでは無いと思いますが、別にゴキブリでもいいでは無いですか。
社会適応型人間から見てゴキブリが下等に見えるに過ぎません。
>昆虫情報体の発言として、阿修羅には投稿させてもらっております。
「昆虫情報体」ですか?
どいう感じでしょうね。
何となくはニュアンスは分かるつもりですが。
>今朝、タバコを買いにいきましたら、その帰りに
>近所の年配の旦那さんが早朝ランニングに出発する姿と出会いました。
>まぶしかったです。
そういう気持ちも分かりますね。
しかし、その旦那さんの内面がどうであるかは分かりません。
>京都に行ったとき、ある人から
>「オリジナル・ユダヤ人は東方をめざし、日本にやってきた。そこで平安京をつくっ>>た」
>そう教えられました。
>一言であったのですが、おらはそこに壮大な物語を感じました。
そうかも知れませんが、証拠はあるのでしょうか?
>現在の関心事は旧約聖書の「バビロンへの流刑」エレミヤ書からエゼキエル書までの流>れでありますが
>遅遅として読書が進みません。
何故、関心を持たれたのでしょう。
>どうも、イッターネットばかりやっておりますと
>モニターで文章を読む癖がついてしまい、本をまともに読むことも
>できなくなってしまいました。とほほ・・・
本もネットも同じですよ。
本だからいいという事はありません。
どちらも言語に違いは無いのです。
>情念とは何でしょうか・・・
あなたにとってはどのようなものでしょうか?
私にとっては難しい言葉ですね。
私は自分に「北の零年」を観て涙する感受性はあると思いますが、
「情念」となると分かりません。
「社会に対する異議申し立て」とかだったら分かりますが。
日本維新派でしたっけ?
ふんどし一丁で体を白く塗り、ロープで逆さまに吊るされたような
映像がありました。
かかっていた曲が北島三郎の「あの〜、ふ〜るさとに〜、かえろ〜かな〜、
か〜えろ〜かな〜」だったかなと記憶しております。
30年ぐらい前にテレビでチラっと見た映像だったと思いますが
強烈な印象が残っております。
あれが私にとっては情念という言葉に近い映像かなと思います。
あるいは、恋人に恋焦がれる気持ちぐらいでしょうか?
五輪真弓の「恋人よ」のような。
これ以上の感じは情念という言葉からは浮かんできません。
>人間関係をつくることに失敗してきたおらですが
>この崩壊した部屋で、10年間ゴキブリにおのれの精液を舐めさせる実験をしてまいり>ましたら
>おらがとうとうゴキブリへと同期化してしまいました。
あなたはそうなる事を望んだのですか?
望んだのだとしたらそれでいいのです。
しかし、実際には望んだという自覚は無いのかも知れませんね。
>ゴキブリ一族の鬼怒天皇として祭りあげられてしまいました。
>そしておらは昆虫情報体へと落下してしまったわけです。
>ゴキブリ一族のためにアパート代を支払ってきた鬼怒天皇・・・とほほ・・・
あなたは本当には反省していないのでは?
これでよかった思われているように思います。
そうでなければそうはなっていないでしょう。
>おらのアパートはゴキブリとかクモとか意味不明の虫とか昆虫だらけであります。
>総じて「鬼怒一族」とおらは自称しております。一族の天皇であるおらには生存させる
>責任がありますので
>この寒冷の1月をなんとかのりきっていこうと思っております。
>猛暑と寒冷こそが生存本能が試されます。
つまりあなたは虫を大事にする人ですね。
いいではないですか。
でも、お隣から苦情は無いのでしょうか?
>ワヤクチャさん。気味がわるい返信となってしまい、申し訳ありません。
いいえ、よくそこまで正直に語っていただけたと感謝しております。
あなたについて色んな事が分かりましたので。
>ありがとうございました。
こちらこそ。
>共同体が壊滅した21世紀の日本とは、いよいよ
>「ひとりひとりが天皇」へと転化する素晴らしい昆虫情報体世紀であります。
つまり個人主義の開花でしょうか?
30年ぐらい前に私は高校生でしたが同級生が「日本はもっと個人主義を
徹底させるべきだ。」と言いました。
私は、少し反発を持ちながらも反対意見を言わずに「なるほどね。」とだけ
言いました。
それから30年経った今もこの意味を考え続けております。
つまり、「自分が何をしたいか」をもっと考えるべきだという意見だと思います。
>そして縄文からの呼び声・・・祭りの準備・・・祭りのバラシ・・・
縄文ってどんな時代だったのでしょうね。
祭りですか?
祝祭空間の創造ですか?
1970年の大阪の万博は私にとっては希望あふれるものでした。
しかし、それからは世の中は蔭り続けてきたと思います。
あの万博が真昼間の子供時代の幸福だったとすると、夕方になり、夜になり
夜中になり、夜明けはまだ来ないという感じです。
>2005年とは、安倍晴明公没後一千年祭です。
1005年に死んだのですね。
どんな人だったのでしょう。
後で検索してみようと思いますが。
>ネオコンの千年妄想力に敗北しない
>千年の想像力が日本にはあります。
千年を予言したのでしょうか?
これからの千年の物語を語りましょう。
我々が生きた証が生き続ける物語を。
愚民党さんと私の対話が何らかの痕跡を残しますように。
しかし、いずれにせよ何らかの形で残る事は確かです。
データとしてでは無く、運動として。
>アメリカ帝国ネオコンと宗教右派の記憶装置は「聖書」でありますが
>日本の記憶装置は「土(つち」と「地底」であります。
土は歴史の証言者ですね。
しかし、言語や運動や組織としても何らかの足跡を残したいものです。
そして、もう既に残しつつあるのです。
>泥まみれ人生こそが記憶装置開発であります。
どのような人生も他に影響を及ぼさないものはありません。
土着と言いますが、土と共にあり、土からの恩恵を得て
幸せを感じて生きる事ができればそれに越した事はありません。
土をじっと見つめる時、我々は幸せなのでしょう。
>「左派」とはイルミナティ・マルクス教が推進しました近代に根拠がありますから
>意味不明の21世紀昆虫情報体に落下することはできないかのようです。
自然をそのままでは受け入れる事ができない過剰な意識を人類は持ってしまったかの
ようです。
自由なる観念で人殺しをするのは自然から離れてしまった為に狂気に陥って
いるのでしょう。
このような狂気から我々自身を解放しなければなりません。
アレっ?「キチガイ」という用語批判はどうなったのかな?
キチガイは人に対するレッテルであり、
狂気とは「ある種の精神状態」を表すものだからいいのか?
人が問題では無く、観念が問題だという事か?
>日本で放映されております韓国ドラマは「貧乏と金持ち」のマルクス二元論を根拠に
>展開されておりますが、80年代のなごりであります。
かも知れませんね。
金にしか興味が無いという事は貧困ですね。
資本主義も資本主義の墓堀人としての共産主義も思想的な貧困を感じさせて
魅力が無いですね。
>日本はすでに21世紀昆虫情報体そして安倍晴明公没後一千年祭に突入しているので>>す。
そうなんですか。
また、教えて下さい。
いずれにせよ、魅力ある我々の物語を作っていきましょう。
それは映画「北の零年」から始まったと思いますけどね。
「夢がある限り、必ず楽園は実現できる。」という事ですよ。