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(回答先: Re: 「フォトン・ベルト」と「アセンション」について 投稿者 Narongchai 日時 2005 年 1 月 16 日 03:48:40)
Narongchaiさん、こんにちは。
>俺は霊能力者オタクの面もあって、世界中で結構霊能力者と言われる方々と会ってきてます。
楽しそうな趣味ですね。
何かNarongchaiさんなりの発見がありましたら、是非お聞かせ下さい。
>私は神の存在は信じているのですが、それでもとにかく一人一人の日々の生き様に主題を置いております。
神の存在の真偽は別問題として、生き様に主題をおく事には大変共感致します。
霊能力者を通した霊界の様子にもお詳しそうなので少しそれて、私の考えをお話しさせて頂きます。
地球上にも神と名乗る者がいるように、霊界にもそれは多く存在していると思っております。
つまり宗教的な観念の強い我々が、死んで霊界へ入ると「神」の存在を探し、それらは当然存在するものだとした思念により「神」という存在を作り上げ、ますます神格化(人格化)した宗教的観念に照らして理想的な「神」が、霊界において出現(名乗り出す)してくるものだと思っております。
そうした霊界の思念により作り出された神々が、物質界における人間の魂や意識に働きかけて、生前においてさらに神の存在を認知させ強調させたり、生と死の繰り返しによる強制的なカルマの生きかたを本人の意思を無視し作り上げたりしているものとも思われます。(これは輪廻転生の意義を否定しているものではありません)
個人的に思うことは、霊界には波動の違いによる階層めいたものが存在し、上層階にいるものが優れたものであり、下層階にいるものが優れたものではないという考え方が根付いているようにも思われます。
進化していくという方向性から考えるならば、ある方向性は見出せるのですが、どこに存在してもそれは間違ったことではないということです。
つまり個人的に進化の方向性から考えるなら、
分裂 →→→ 一体
物質 →→→ 非物質
アルファ →→→ オメガ
ミクロ →→→ マクロ
とも考えられるかもしれませんが、その座標軸(側面)は無数に存在し、存在の違いも無数に存在し、ただある方向性を持ってそれらは、渦の様に進んでいくものではないかとも思っております。
ただあくまでもそれは違いということであって、決して優劣の伴うランク的なものであってはならないと思っております。
つまりある方向性からゴールというものを決め付けてしまってその途中の段階のゴールへの距離的な優劣に惑わされてしまっているのではないかとも思ってしまいます。
つまりこの丸い地球を旅するときに、ある方向性を見出して旅を続けているときに、アメリカに滞在する人がインドに滞在する人より優れているという訳ではないということにも似ています。
と、個人的に考えております。
>来週は、また新しく出会った方とのセッションに行ってきます。
社員は「好きだなぁ〜」と笑っていますが(笑)
楽しそうですね。とても共感しております。