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王仁三郎は「霊界物語」(十三巻信天翁三)に美濃か尾張から自分を超える
男(変性女子、霊が女)が現れると預言している。ところが、床次竹二郎の
弟にあてた遺書では、美濃か尾張から自分を超える女が現れると預言している。
両方とも大変よく似た文章だが、「まことの女」の性別が違っている。
「いま大本にあらはれた変性女子(王仁三郎のこと)はニセモノだ。まことの
女子が現はれて、やがて尻尾が見えるだろ。女子の身魂を立直し、根本改造せ
なくては、誠の道はいつまでも、開く由なしさればとて、それに優りし候補者
を、物色しても見あたらぬ。時節を待つていたならば、いづれ現はれ来たるだろ。
美濃か尾張の国の中、変性女子(*)が分りたら、モウ大本は駄目だらう。前途
を見こして尻からげ、一足お先に参りませう。皆さまあとからゆつくりと、目が
さめたら出てきなよ。盲目千人その中の、一人の目明きが気をつける。アア
惟神々々、かなはんからたまらない、一足お先に左様なら」
これは「霊界物語」の方だが、遺書の方では(*)の部分が「まことの女が知れ
たなら」とあり、男性を意味する「変性女子」という言葉がなくなっている。
思うに、王仁三郎は、最初は「まことの女」は男だと思っていたが、後になって
女だということに気がつき、さりげなく訂正したのではないだろうか。
全く同じ内容であれば、2度も書くことはない。
上記の文面は後に一部校正され、「一人の目明きが気をつける」の後を削除、
「なぞと慢心してござる。王仁はこの言聴くにつけ、お気の毒にてたまらない。
こんな判らぬ奴ばかり、盲人ばかりがささやけり。この歌を各自のことに誤解
して、罪をかさぬる曲人もあり。」と変えられている。
盲目という言葉は身障者のことではなく、「見る目のない人」の意味だ。
つまり、「まことの女子」が出現した際、これを理解できないような人々が
多勢出ると預言しているのである。
それと、別件でひとつ言わせて頂くが、ポーラースターは例えばハルマゲドン
なんて言ってない。そんなことを書いた覚えは全く無い。生崎説にもない。
ハルマゲドンというのは元々新約聖書に出てくる地名で、後に最終戦争を意味
するようになった言葉である。キリスト教の話だ。
PSが言ったことはともかく、言ってないことは何の責任もないし、書いた人間
の責任だ。PSが書いたことを受けてどう思うのかは個人の問題である。しかし、
その考えを世に公表するならばそれなりの根拠が要るし、よく知らないのに適当に
言うのはいいかげんだ。ネット上の乏しい情報からだけで、である。
PSはそれなりに調べて書いているつもりだが、新情報を提供する以上ではない。
しかし、くだらないからかいの対象にしたいだけなら生崎氏のことは教えないし、
去る。(もっと知りたい人がいたかどうか知らないが)