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(回答先: 家庭の幸福は諸悪の根源 投稿者 フニャコ 日時 2005 年 1 月 08 日 03:45:22)
フニャコさんもいやなこと考えますね。こんなこと本当は考えたくないけど、自分の投稿から出た錆というか・・・
“人として恥ずかしい奴”でも手を差し伸べるのは正解なんでしょうね。こっちまで連中と同類項の血も涙もない奴になりたくはないし。ま、顔はあさっての方を向いたままこの手につかまれや、といった感じで。ただし、多少相手がつかまりにくいように手を出すとか。こちらの手をつかみかけたらその手をすっと上げて頭を掻いてみるとか。虫か何かおるで、などいいつつ。
そして助かった相手はその後またそれまでと同じ“恥ずかしいこと”をやるかも知れんのですけど。下のSintaさんのおっしゃるように恥というのは世界共通というわけでもなさそうだし。で、こっちは助けたことを後悔する。それは仕方がないんでしょうね。こっちと連中の考えが基本的に違うわけだから。
従来の日本人の多くは助け合うのが人の道(少なくとも自分の属する共同体の中では)と教わってきたわけでしかも「義を見てせざるは勇なきなり」だし、向こうは力こそ正義で弱い奴がどうなろうと「自己責任」と思ってるし。だから最近の何でも自由競争何でも民営化という政府のやり方はひょっとしたら「反日」というべきかな?(笑)
だけど私も同じく、見殺しにするかもしれんとも思います。
ヘッジファンドの奴らが何をしてきたのか。倒れかけの家の中で聞いた300万円の話を思えば、絶対許せん、とも思うんですね。たとえその結果こっちが針の山を登らされようと血の池を泳がされようとかまわんではないか、という気持ちもある。
突然ですが、永田鉄山陸軍軍務局長を高倉健が「天誅!」といってばっさりやるわけです。『日本暗殺秘録』(東映)ですけど。違ったかな。そして高倉健の相沢中佐は死刑なんですけどね。それは覚悟の上でしょう。こういう愛国者を祀らない靖国神社も「反日」!(笑)
またまた突然ですが、各地にある天神様ね。あれの本家の天満宮は菅原道真をあらぬ罪で大宰府に流したたたりで天変地異とかがあって造ったわけですよね。これらのたたりは天誅でしょう。本来の天誅はこういうものなんでしょうが、天がさぼってることもあるので、仕方がないから、天に代りて不義を討つ、なんてことになる。
これはむつかしいですね。こっちが不義だと思っていても相手はそうは思ってないかも知れない。単に自分らに不都合なことを不義と称してるだけかも知れない。だから自分が天誅を下すのは間違いが多そうで、あくまで天にまかせる他ないとも思うし。
たまたま相手が何かの事故とかでどないかなればそれは天誅ということになるんでしょうが、しかしだいたいは悪い奴ほどよく眠ることになってるんですね、これが。
それにしてもふだん考えるなんてことはあまりしないので相当いいかげんな言い草になってると思いますがそこはご容赦下さい。
しかしあとひとりしか乗せられないとなると・・・困りますねえ。
いっそのこと自分が残る、という選択肢もありかな、と。そうすれば悩むこともなくなります。
神戸の地震のとき、全財産の一千万円をすべて他人のために使い切ったという人がおられたそうです。援助破産ということになったのかどうか知りませんけど。たぶん、自分のできることをしないでいることに耐えられなかったんでしょうね。こういう人なら、自分が残る、ということになるんでしょうか。
また、救出すべきが現愛人と未練たらたらで別れた元愛人なら、かっこつけて自分が残ると言えるかも知れません。しかしこの場合いちばんいいのは三人一緒に残ることなのかな。おい、どうやねん、カズコ!マリコ!
で、「三人に賭ける」ときは実は自分以外の二人のどちらかが「おれが残る」といってくれないかなぁと思ってたりして。私はそうです。日常生活でよくあります。何かの順番を待ってるとき、誰か用事を忘れてたのを思い出したりして帰ってくれんかなぁなんて。いやな奴ですね。
やはり格付けをしなければ仕方がないんでしょうね。
しかしヘッジファンドはやりすぎでしょう。過ぎたるは・・・というやつ。われわれはいろんなところでやり過ぎないように適当に調整しながらやってるわけで。
いちばんいいのはそういう場面に遭遇しないこと。これしかないでしょうが・・・
こっちも迷ってばかりで、すいません。