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家庭の事情やら、仕事の都合やらで空き時間は出来ないと思っていたのですが、少し時間ができたので、年末の挨拶がしたいKです。
この間、ラジオを聞いてましたら、今年は「戦後」という一つの時代が終わろうとしている年だった。との話がありました。(第2次世界大戦の戦後)
国内的に見ると、戦後の復興の原動力となった、鉄道系・デパート系企業が衰退し、新たにIT系の企業が取って代わりました。戦後の娯楽スポーツとして代表的だったプロ野球もその中で変わりました。
戦後の荒廃した状況から復興した時の日本は「助け合いの精神」によって、強者が弱者を助け、仲間を大切にし、企業を大切にしながらやって来たのです。「終身雇用・護送船団方式・・・」それらは事実上無くなり、トヨタ生産方式という徹底的な合理主義の中、成果主義が取り入れられ、強い者が生き残り、弱い者は存在自体が自己責任という競争原理がやってきました。
戦争を見つめる視点から別れた与党・野党という枠組みもほとんど意味をなさない様になってきました。二大政党制への流れは加速度を増し、少数党は消え去る傾向が高まっています。
国外的に見ても戦勝国、敗戦国の枠組みから作られた「国連」は事実上正常に機能しない事が立証され、話し合いによる解決から、強い者こそ正義との流れになってきました。
戦争という悲劇を教訓にして、その反省から行われてきた事が、全て忘却の彼方に追いやられ、新たに「弱肉強食の競争社会」がやって来たのです。
福祉、公共とかの相互援助的な概念は追いやられ、個人の権利と自由が最大限に考慮される時代が来たのです。その中で男女の性別も変更が認められ、同性の結婚すら認められ始めています。
時代の歯車は逆には回らないと言います。過去の日本の歴史を見ても、旧体制を守ろうとした者達は時代の潮流の中に消えていきました。
豊臣家を守ろうとした石田三成は関ヶ原において敗北しました。絶対に勝てる布陣だったのにもかかわらず、時代の流れを見た者の裏切りによって敗れ去ったのです。
江戸末期においては新選組が奮闘し、多くの武将が時代を守ろうとしましたが、無駄でした。会津藩は武将恭順という姿勢を取りましたが、白虎隊の悲劇などと共に時代の波に流されてしまったのです。
一つの時代が、その終焉を迎えようとしているのならば、それは前向きに捉え、その中でどんな時代にするのかを模索しなければなりません。「変革に反対!」と叫ぶだけの者は「取り残され、置き去りにされる」だけです。
今までの日本は冷静に見れば「良い国」でした。自由と公平が割合バランスが取れていたのです。それは「戦争」という悲劇から生まれた、反省と教訓があったからです。しかし、それらは既に忘れ去られたのです。
これからは、ポスト「戦後」を作り出していかなければいけないでしょう。政府に対して出来るだけ声を出して訴えていかないと、政治家や政治家の周辺だけに有利な社会になるでしょう。自由競争原理の社会とは「その様な性質を持った社会」なのです。自分の望みを実現する為にその職に就き、自分の望みの為に努力するのです。他人の為というのは「戦後」までの考え方という事に気付かないといけません。
おそらく、これからは3つの事から脱却出来ない人は厳しいでしょう。
1 「戦後」の時代にしがみつき、それが終わった事を理解出来ない人(政府は我々の為に色々な政策をしていると思い込み、政府依存体質から脱却出来ない人)
2 思想的なグループや、宗教的なグループ、企業、日本、という枠組みの持つ重力から脱却出来ない人
これからは、世界という視点から物事を考察出来ない人は取り残される事が予想されます。既に日本の都合だけでは世界に通用しない時代に突入しているのです。
3 常識という観念から脱却出来ない人
時代は急速に進んでいます。常識というのも変化しています。それに気付かず、常識という事で思考停止している人は「新しい時代に乗り遅れる」でしょう。常に斬新な発想と柔軟な思考を意識しなければいけません。今ある常識は「戦後という時代の常識」で、新しい時代に入りつつある今「常識」はリセットされたと思うべきでしょう。
Kはポスト戦後の時代は「災害と戦乱の時代」が一番可能性が高いとも思いますが、今、方向性を多くの人が考え行動すれば、来る時代は変えられるとも考えています。(歯車は逆には回りませんが、進む方向は変えられる)
と言う事で、今回はここまでです。
現在、レスの返信はしないようにしています。(尾を引くからです)ご了承下さい。
それでは、皆さん、「良いお年をお迎え下さい」
以上ブログ「Kのつぶやき」より転載
http://kdesu.ameblo.jp/