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呉清源さん=東京都新宿区で、金井三喜雄撮影
http://www.asahi.com/igo/topics/TKY200412200186.html
北京で囲碁の才能が芽吹き、日本で「新布石」を打ち出して「十番碁不敗」の大輪の花を咲かせた。台湾から最高の名人を意味する「大国手(だいこくしゅ)」の称号を贈られた「昭和の碁聖」。日中戦争を挟んで波乱の時代をくぐり抜けた90歳は、今も究極の調和を求め、囲碁専門誌に研究の成果を発表する。
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3カ月前、中国の雲南省を妻と一緒に訪れました。人間が白黒の碁石役となって、みんなで楽しむでっかい「地上の碁盤」が山の奥にできた。ぜひ見てほしいといわれ、駕籠(かご)に乗せられて登ったりしました。
この年になって中国の田舎を旅するとは、まるで夢のようです。
子供の頃から呼吸器が弱く、蒲柳(ほりゅう)の質でした。来日してまもない青年期は結核のため、長野県・八ケ岳のすそにある富士見高原療養所で1年3カ月入院生活をおくりました。
日中戦争から戦後にかけて世相が混乱した時期、新興宗教にこって自殺を考えたこともあるし、47歳のときにはオートバイにはねられて意識を失ったこともある。
弱々しく悩みが尽きず危険な目にもあった私が長生きできているのはなぜか、とよく問われます。
「お守り」があったからとしか思いようがない。宇宙は生あるものに次々と試練を課す。我々はその試練に対し、「人事を尽くして天命を待つ」ことしかできません。
「中庸」に「天命これ性、性に率(したが)うはこれ道」とある。漫然と人生をおくるのはつまらない。人生の意義を自覚し、それぞれの才能を生かして世の中に役立つよう修養を積むことが肝心と思います。
「論語」には「五十にして天命を知る」と書かれている。相当に年をとらないと、人生の意義は分からないということでしょう。私は幼い時に、論語や詩経など四書五経を暗記させられた。おぼろげながら、子供なりに人生のありようを察する基礎の力を授けられたのは、親の恩と感謝しています。
私の来日を受け入れてくださった犬養毅さん、師匠の瀬越憲作先生、「新布石」を一緒に考えた5歳年上の木谷実さん。立派な人たちとの出会いも因縁でしょう。
おかげをこうむったのはありがたいが、私に好意を寄せてくださった人と同じほど、つらくあたった人もいる。腹が立ったかと? 貪(どん)、瞋(しん)、痴(ち)はいけないと、仏教で「三毒」を戒めている。欲張らず、怒らず、愚かでないようにと。
先の木谷さんや藤沢朋斎さん、橋本宇太郎さん、高川格さん、坂田栄男さんら多くの棋士と十番碁を打って、ことごとく勝てました。
ただね、江戸末期の幻庵因碩(げんあんいんせき)が「碁は運の芸なり」といったように、勝ちとか負けとかいうのは単なる名前なんだ。全身全霊を対局に注いだことに価値があるのです。
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毎日「易経」を読み返す。内外のプロの打ち碁を研究し、月刊誌「囲碁」や「囲碁関西」に講評が載る。この秋は、自身の生涯が描かれる中国映画の撮影が始まり、孫弟子の張栩(ちょうう)本因坊が名人になった。幸いなるかな、である。
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ご・せいげん 14年、中国の福建省福州生まれ。14歳で来日し、瀬越憲作九段門下。数々の十番碁を打ち、84年、古希で引退。
(2004/12/21)