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以前の、ライヒねたの続きです。
「宇宙☆生命☆エゴ ライヒは語る」M・ヒギンス他編 小野泰博訳 現代思潮社 1972
の原題は
「ライヒ・スピーク・オブ・フロイト」(日本語に訳すと「ライヒ、フロイトについて語る」)
です。
ライヒは、フロイトが将来嘱望する若手精神分析医の一番手、愛弟子でしたが、フロイト師匠の逆鱗に触れたのか、破門されアメリカに渡る。性エネルギー理論を展開、しかしフロイト門下の精神科医どもに「キチガイ」「ペテン師」扱いされ、最後は精神病院で心臓麻痺死。ひょっとして、ライヒさんは、何かの「虎の尾」を踏んじゃったのかもね(教科書的には「赤狩り」でマッカーシーが、ただの共産主義者だけじゃなく、知らずにワシントンに巣食う世界共産主義者たちの「虎の尾」まで踏んだのとおんなじ過ちを犯したのかな?)
書簡集を読んだかぎり、大変礼儀正しくちゃんとした思考をお持ち方である印象をもちました。
どこが、「きちがい」で「ペテン師」なのかわかりません。
そういや、若きころのライヒも、他の善意の若者の例にもれず、理想に燃える共産党員でしたが、共産党主義、スターリニズムのソビエト、身の毛もよだつ教条主義を垣間見てしまい決別、除名される。現実の「正気と狂気」の狭間を知っている人物としては、反逆のフランス人作家、ルイ・フェルディナンド・セリーヌ(「世の果ての旅」「虫けらどもをひねりつぶせ」他)みたいなもんか?
前口上が長くなりましたが、「訳者あとがき」の紹介です。
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もっともオーソドックスなフロイトの伝記E・ジョンズの『フロイトの生涯』(竹友安彦、藤井治彦訳)の中に、W・ライヒの名はたった二箇所しか顔を出さない。ジョンズはいう、「W・ライヒが協会を脱退したのはこの大会(1934年、於セルン)の時である。フロイトは若いころの彼を高く評価していたが、ライヒの政治的狂信は、個人的にも、学問的にも、彼をフロイトから隔てる原因となった」。この破門されたものへの控えめな叙述の中にも、齢六十を過ぎたフロイトが二十代の若い俊秀の精神科医にかけた期待と失望のほどをうかがい知ることができる。そのフロイトの出会いから別離まで十余年、身辺にこの師接してきたライヒのフロイトおよび精神分析に対するいつわらない生の告白と批判が本書の「対話」と「書簡」にいかんなく表現されている。
終生ライヒは忠実なフロイトの弟子を自任し、フロイトのサイン入りの肖像を居室に掲げ、何よりフロイトの中に、精神分析運動の発展につれて、とりまく者の数の増えるのとは正反対に、深い孤独の影が深まるのを読み取っていたのがライヒだった。おそらく未知な世界の開拓者のたどらねばならぬ孤独の運命は、ライヒ自身のものであったように思える。
本書は、1952年、フロイトの生前の活動をつぶさに語ることのできる数少ない人物の一人W・ライヒに対し、フロイトの正統をもって任ずるフロイト派が一精神科医を代表としてあえてライヒとのインタビューを申し入れ、実現した貴重な記録である。しかもフロイト派では、この記録の公開を百年間秘めておきたい意向であったのを、ライヒ側で公開に踏み切るといういわくつきのものである。
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訳者あとがき、今日はここまで、ああしんど。 続く