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減る人口 議論乏しく
神戸新聞1月3日
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200501ma-5/02.html
「人口減少社会の展望研究プロジェクトチーム」。兵庫県が二〇〇三年七月、研究者と職員で組織した。
チームの資料に、二〇五〇年の推計データがある。二〇〇〇年と比較すると、縮む兵庫の姿が見えてくる。
▽人口は約五百五十万人から百万人減▽県内公的機関の財政規模は9%縮小▽要介護高齢者率は1・7%から11・5%に増大―。
防災への投資は限られ、支援を必要とする人は増える。これからの災害は、そういう社会を襲う。
その一端が、阪神・淡路大震災で見えた。都市化した高齢社会を直撃した初の大災害だった。その後も、私たちは国内の被災地を歩きながら、「高齢化」や「過疎」の問題にぶつかった。
十年の道のりは、高齢者にとっての復興の過酷さを私たちに教えた。仮設住宅では、多くの高齢者が復興住宅への入居を願いながら力尽きていった。長年積み上げた生活を一瞬にして失う体験が、生きる力を奪っていくことを、日々の取材で身に染みて感じた。
神戸市長田区の文化住宅が全壊し、西区の仮設住宅に約三年、同じ区の復興住宅に入居した老夫婦がいる。夫が倒れ、二人は一年以上、病院と老人保健施設で別々に暮らしていることは、ボランティアから聞いていた。
この冬、そのボランティアと一緒に、病室の夫(82)を訪ねた。「よう来た」。やせた顔がゆがんだ。枕元には、若き特攻隊員の最期をつづった本が一冊あった。以前出会ったとき、「一番の苦労は戦争、次が震災」と話していたことを思い出した。
「奥さんとこに行ってみようか」。ボランティアの誘いに、笑みが広がった。妻(83)は震災後、認知症(痴呆症)の症状がひどくなった。復興住宅ではよく口げんかをしていた。それでも、どこに行くのも必ず二人だった。
「覚えとったか」。車いすで突然現れた夫に、妻は信じられないという顔をした。数カ月ぶりの再会。「おとーさん」。手を握り、涙声で何度も繰り返した。夫の口に、自分の昼食のトマトをはしで運んだ。
壊滅した街をはだしで逃げ惑った日から十年。これほどつらい将来を、二人は想像していただろうか。エレベーターホールでの別れに、口数は少なかった。
高齢社会を襲った災害は、全国の先駆けとなる新たな試みも生んだ。
例えば、公営住宅で全国初の「コレクティブハウジング」。独立した住居を確保しつつ、居間などの共用空間があり、交流を重視している。県内に十カ所、三百四十一戸が建設された。
それでも、現実の厳しさはこうした取り組みを超えていると思うことがある。
公営コレクティブの一つ、尼崎市営久々知住宅。五、六人でゆったりと入れる共同浴場があるが、使われたのは最初の十カ月ほどだけだった。
「無駄やったなあ」と自治会長の名越文一さん(70)。入居者は年々体が弱り、広い風呂を掃除できる人は少ない。年金暮らしの身には、大浴場の水道代が大きな負担だ。「支え合い」や「交流」は、簡単ではない。
「復興は、五十年分の公共事業を先取りするに等しい。五十年先の課題を予見すべきだが、今のまちはそうなっていない」。被災地をつぶさに見てきた消防研究所(東京)の室崎益輝理事長=元神戸大学教授=が指摘する。
都市が拡大を続けた二十世紀。増え続ける人口の受け皿としてニュータウンを造成し、都心の再開発で高層ビルを建てた。
「震災後の再開発も、そういう前時代的な方法。将来、今の子どもたちの世代に大きな負担をかける」という。
県のプロジェクトチームの予測では、道路や公共住宅などの社会資本の維持更新費は二〇二八年度以降、不足する恐れがある。もちろん新規整備はできない。税収が減少する一方、社会保障費は増大する。大災害が起きても、復興費用が賄えなくなる可能性もある。
少子高齢化による人口減少と災害。避けられない二つのテーマを結び付けた議論は、まだ皆無に等しい。