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「イスラム国家の工業化を阻むもの」石 油を掘り尽くしたとき、彼らは次に何を売買するつもりか。
http://www.asyura2.com/0411/hasan38/msg/408.html
投稿者 TORA 日時 2005 年 1 月 09 日 15:43:02:CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu86.htm
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「イスラム国家の工業化を阻むもの」石 油を掘り
尽くしたとき、彼らは次に何を売買するつもりか。

2005年1月9日 日曜日

◆【宝田豊の新マネー砲談 第14回】「イスラム国家の工業化を阻むもの」
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000084719

昔々、4世紀末にローマ帝国がキリスト教を国教と定めてから、 ヨーロッパ社会で金貸しは表の商売と言えなくなりました。「…… 汝の敵を愛しなさい。人に良くしてあげ、 返済を当てにすることな く貸してあげなさい(聖書ルカ伝6章35節)」というイエス・キ リストの教えは隣人に金を貸して金利を取るなど滅相もないと。そ のために金融業はユダヤ人の独占商売になったといわれます。シェ ークスピアの『ベニスの商人』に登場するシャイロックも後の金融 財閥ロスチャイルド家もユダヤ人でした。

こうした通説は実態とかなり異なるようです。4世紀末から13 世紀初めまでのヨーロッパ社会で、現実の金融業はキリスト教会や 修道院の本業、ユダヤ人の生業とみなされました。元来が隣人愛に あふれたキリスト教は、お金に困った人々を助けることも教団の務 めと考えたのでしょう。かの有名なフランシスコ修道院の貸出金利 は年利4〜10%と記録されているそうです。もちろん担保も借用 証も差し入れさせて。

キリスト教会による金融業の寡占的な発展は教会幹部の腐敗と堕 落を育てていきました。その矛盾やモラル崩壊が頂点に達したころ、1215年の第4回ラテラノ宗教会議で「キリスト教会によるキリ スト教徒への貸付金」から金利徴収が禁止されます。さらにこの会議でユダヤ人をキリスト教徒から隔離し、都市内部のゲットー定住 化の方針が打ち出されました。つまりユダヤ人から金貸し以外の職業選択の自由を奪ったわけです。都市化が進み権益団体に育ちつつ あった、商工民のギルド的連帯感とユダヤ人排斥運動が応援したものでしょう。(キリスト教会による異教徒への融資はその後も金利 徴収が認められました)

ところが15世紀後半から始まった宗教改革やコロンブスの大航 海の影響でしょうか、イタリアの都市国家の中で商業資本ながら金融業務を営む者が現れてきたのです。それがフィレンツェやベネチ アやミラノの豪商たちです。彼らは金を貸して金利をとるのでなく、事業家に商業手形を発行させ、今日でいう手形割引料のかたちで金 利 相当ぶんを徴収、つまり手形売買を称しました。金利収入(インカム・ゲイン)でなく売買譲渡益(キャピタル・ゲイン)だという 大嘘を発案したわけです。

この大嘘で貿易決済の市場規模は飛躍的 に高まりました。一般市民もキリスト教会とユダヤ人の独擅場だった金融ビジネスに参加できるようになり、おまけに製造業ともタイ アップできる仕組みが発見されたのです。そのとき貿易実務を行う商人が仕事場で使うテーブルやライティング・デスクをBancoと呼ん でいたので金融業務はバンコ=バンクと呼ばれるようになったそうです。

話をさらに広げ、地球の軸点を東に移します。15世紀ころまで イスラム諸国やモンゴル帝国に押されっぱなしだった西欧諸国が、 なぜ現代のような「西側先進国」になり得たのか? 4世紀末、ロ ーマ帝国が東西に分割されてから世界の中心は東ローマ帝国のコン スタンティノープル(現代トルコのイスタンブール)に移動しまし た。

ヨーロッパ人は髪ぼうぼうで毛皮をまとった野蛮人扱いされる 時代が長く続いたのです。8世紀のフランク王国はおろか11〜13世紀の十字軍遠征時代になっても、イスラム文明の足元に及ばな い後進国だったそうです。「9世紀末、イスラームと西欧との貿易は、西欧に奴隷以外の輸出品がなく、また西欧が貧しく購買力がな かったため、盛んではなかった」(イスラーム全史101ページ)

人口増減で歴史をたどってみましょう。コンスタンティノープル の人口は最盛期100万人、トルコに攻められ1453年に陥落したときは10万人以下の「地方都市」になっていました。14世紀 初頭、ダンテが『神曲』を作ったころ、フィレンツェの人口はようやく10万人といわれます。ヨーロッパのキリスト教世界で五大教 会といわれたローマ、エジプトのアレクサンドリア、中東のエルサレムとアンティオキア、そしてコンスタンティノープルのうち、1 5世紀まで残った門前都市はローマのみで、残りはすべてイスラム支 配地となります。

半面、アラブ世界では7世紀末にイスラム文明がスタートしたあ と、8〜9世紀のバクダッドは人口100万人を超える大都市に成長し、全世界の交易中心地となりました。そこで貿易為替や手形決 済の手法が大発達したといわれます。アラブの商船やラクダの隊商は重い金貨を積んで商売に出かけなくても済むようになったわけで す。

バクダッドが中央アジアのモンゴル帝国から攻撃されるように なった12〜13世紀、代わってエジプトのカイロが世界一の巨大 貿易都市に浮上しました。1回のキャラバンでラクダ2000頭以 上、貨物400トン以上を集計する会計技術は、ぐるっとアフリカ を回ってアンダルシア地方(現在のスペイン)のコルドバやマドリ ードに伝わったそうです。(註1)

アンダルシア地方は8世紀に後ウマイヤ王朝が成立してから当時 の欧州大陸で唯一のイスラム圏となり、コルドバはピーク時人口1 00万人の文化都市に発展しまし た。ここで医学や数学や会計学、 天文学や太古のギリシャ哲学などがアラビア語からラテン語に翻訳 され、ヨーロッパ各地に伝播されたということです。(蔵書40万 冊を豪 語した大学があったといわれます) ここでひとつの疑問で す。それだけ先進的だったイスラム諸国が、なぜ今日に至るまで重 化学工業など製造業の産業資本形成が遅々として進まなかったのか ?

5つの原因が考えられます。 (1)宗教上の戒律 (2)ワクフ 制度 (3)ペスト蔓延の後遺症 (4)造形概念の制限(5)製造 業への比較蔑視観

(1)最大理由は金融資本が育ちにくい宗教戒律と私は理解しており ます。

「コーランの、ある文言ではリバーを禁止しています。リバーは金 銭などの貸借の際の利子のことです」(註2)「コーランでは、商 業から生じる利益は、金貸しから生まれる利益と見かけは似ていて も、根本的に違うものだと言明されている」(第2章275節:註 3)我々が日常的に接する銀行がイスラム社会で史上初めて設立さ れた年はなんと1975年でした。(ドバイ・イスラム銀行発足)

くわえて、戒律としてのメッカ巡礼があります。信仰告白、礼拝、 断食、喜捨はすべてのイスラム教徒に課せられた義務ですが、メッカ巡礼だけは「可能な人だけせめて 一生に一度」という教えです。 全世界に散在したイスラム教徒がアラビア半島をめざし、何千キロも旅行するのですから個人金融資産としての貯蓄は難しくなります。 メッカ巡礼は社会全体から応援され、創立期から数多くの巡礼団が編成されました。近世までの巡礼は少なくとも3年がかりというこ とですから大変な散財だったと想像させられます。

さらなる一撃 が断食の戒律です。断食月(ラマダーン)はイスラム暦の第九月です。イスラム暦は陰暦なので、太陽暦に比べて1年が10日から1 1日短くなり、断食月も毎年およそ10日ぶんだけ繰り上がって行きます。したがって断食月は1年の中のどの季節にもあてはまるこ とになり、年によって夏に断食が行なわれたり、冬に行なわれたりすることになります。断食のあいだは原則として夜明前から日没ま で飲食、煙草、および性交渉はご法度となります。断食は製造業の大前提である「継続的な事業展開」を妨げる最大の障壁といえまし ょう。

(2)イスラム社会で蓄積された資産の投資先は不動産に偏ってし まう習性があります。イスラム圏内の社会的インフラ整備は1000年以上にわたり「ワクフ」というシステムで拡充されてきました。 ワクフは公益基金と訳され、大金持ちの社会的喜捨とみなせます。資産家が財団法人を設立してそこに全資産を寄付し、一族郎党が財 団役員に就任するような仕組みともいえます。

基金の50%は社会 還元に向けるものとされ、学校や医療機関その他公共施設の設立運営に用いられました。結果としてイスラム圏内の社会的遊休資本は 10世紀以上にわたり、賃貸収入目的の不動産に投資されたといわれます。第二次大戦後に独立した多くのイスラム諸国でワクフの新 設は禁じられるようになりました。(註4)

(3)私たちは西欧諸国の視点で世界史をとらえておりますからイ スラム圏に起きた出来事の多くは伝えられません。ペスト(黒死病) は中世〜近世まで全ヨーロッパを震撼させた疫病ですが発祥地はア ジアです。ペストの猛威は欧州大陸よりもイスラム社会を直撃した そうです。ペスト大流行はヨーロッパの人口1/3を、エジプトの 人口を5/ 6も奪ったといわれ、人口減少のダメージはヨーロッパ 社会よりもはるかに大きかったと想像させられます。

(4)イスラム社会で神の姿を想像して描かれた偶像の崇拝は迷信 と忌み嫌われ、彫像はタブーとされました。その影響で彫刻芸術や絵画に著しい制限があります。建物の装飾は幾何学模様に限られた ほど徹底され、三次元的概念の設計製図能力を極端に制約したものでしょう。

(5)駄目押しの封印が創立期から続く聖戦意識のトラウマです。 聖戦(ジハード)は西欧社会に広く伝えられた「コーランか剣か」 の二者択一を迫るものでなく、「コーランか剣か納税か」という柔 軟なものでした。イスラム支配地で異教を信じる人々は納税義務を 果たすかぎり改宗を強いられません。キリスト教にそなわる愛の独 禁法違反よりもはるかに寛容性があります。

13世紀にバクダッド を占領したモンゴル軍のフラグ・ハン(チンギス・ハンの孫)などは戦争に勝っていながら統治上の理由からでしょう、自ら改宗を申 し出たほどです。そのまま中近東を支配してイル・ハン王朝と呼ばれました。イスラム教の伝播は納税回避の誘引力で加速されたとも いえましょう。くわえて、改宗したとたん、戦士として次回の聖戦参加を義務付けられるのですから、恒常的に狩猟民族の気性が激化 したと考えられます。製造業は農業に似た事業の継続性が要求されます。

聖戦は瞬間の勝負に生死を賭け、勝ったときは大勢の奴隷を 捕獲できる成功報酬システムでした。おおまかな概念ですが、こつこつ地道な作業を続ける製造業の対極に位置します。農業や製造業 は臆病者が従事する女々しい仕事と見られたのかも知れません。( そのかわりイスラム社会では奴隷からサルタンに大出世する戦士も 大勢うまれました)

ここでイスラム以外の世界の国が悩まされる悪夢は、イスラム文 化と工業化社会の適応不全です。金融ビジネスの成り立ちを制限した宗教戒律は、イスラム社会を永遠の一次産業+商業国家に位置づ けると想像させられます。1980年ころのサウジ・アラビアは石油価格の高値安定で国民所得は高水準でした。ところが国富の急増 を背景に約850万人だった人口は僅か20年間で2500万人まで激増しました。

少子化高齢社会の我が国と正反対の、20才以下 が約60%、30才以下が約70%という若年人口の異常突出国になってしまったのです。このような人口爆発が1990年代の経済 不振のなかで発生したため、一人当たりの年間所得(約2万ドル)は約半分に激減といわれます。ビンラディンを輩出した国、サウジ ・アラビアには西側諸国の想像を絶する、貧富格差と若年失業率30%強の苦悶があるはずです。

アラブ国家や王族たちが行う国際的な株式投資は、切った張った の男らしい仕事ですから今後とも続けられるでしょう。しかしながらその原資は地下に埋まっている原油です。アラブ諸国が地下の石 油を掘り尽くしたとき、彼らは次に何を売買するつもりか空恐ろしくなりませんか?


(私のコメント)
学校で教えられる世界史は主に西欧史であり、もっぱらギリシャローマ時代から文明が始まったかのごとく教わった覚えがあります。確かにローマ帝国はヨーロッパにありますが地中海文明の一つであり、現在の西欧の祖先ではない。ローマ帝国が滅んだ後は西欧は暗黒の時代であり、文明は東に異動してイスラム国家がローマ帝国の後を引き継いだ。

そのイスラム帝国の中心はイラクのバクダッドであり、現代からは想像も付かないほどの繁栄を誇っていましたが、モンゴル帝国の侵略によりバクダッドから西へ伝わり北アフリカを通ってスペインにまでイスラム帝国は広まった。そこで始めて西欧が文明に接したのですが、現在の西欧とイスラムとは全く逆の関係だった。

それがなぜイスラムが衰退して西欧が繁栄していったのかと言うと、最大の理由は金融制度の違いであり、キリスト教の戒律とイスラム教の戒律の違いが金融業の発展に影響をもたらした。イスラム教は金利の徴収は禁止されて金融業が成り立たなかったが、キリスト教は教会も異教徒などには金利を徴収して金融は存在したし、異教徒のユダヤ人がもっぱら金融業を担った。

さらにはイタリアの都市国家の商人達が手形を発明して売買譲渡による金融業が大発展した。そのような金融業の発達の違いが西欧の繁栄とイスラムの没落につながっていった。手形割引で宗教的な戒律から逃れることが出来たか、出来なかったからが大きな違いですが、西欧の発展は宗教が世俗化して戒律の制約から逃れることが出来たからこそ西欧の発展があったのだ。

このように宗教上の制約から脱することが出来た国は西欧以外では日本だけであり、日本が近代工業化に成功したのも西欧と同じような金融制度が整っていた。為替手形や割引手形という言葉も江戸時代の商人達の発明したものであり、このような紙切れを金融手段として信用したか出来なかったが近代工業化に成功したかしないかの分かれ目になった。

日本人から見ればイスラム教文化の戒律はもっとも受け入れられないものだ。だから日本人のイスラム教徒は全くと言っていいほど存在しない。一日に五回メッカに向かって礼拝をしたりする日本人は聞いたことがない。キリスト教も日本では1%も信者がいませんが世俗化したといってもキリスト教も戒律はあり、なかなか日本人には馴染めない。

イスラム教もキリスト教も同じ根元から発生しているから戒律の強弱はありますが社会に存在している。キリスト教の聖書にも進化論と対立することが書かれていれば近代科学との軋轢は避けられないし、ましてやイスラムのコーランの教えは絶対的なものだから、よけいに近代工業化の制約になった。

日本人から見れば一冊の聖書やコーランによって世の中を縛り付けてしまうと言うことは馴染めないことであり、日本の神道には聖書やコーランのような経典がない。日本の仏教なども経典はあるが信者はその内容をほとんど知らない。では全く戒律がないかというとそうとも言えない。正月に神社に何百万人も初詣で参拝するし、家庭では仏壇を拝んだりするが、全くの自主的判断でする。

このようにしてみれば日本はイスラム社会とは対極的な社会であり、宗教的な制約は近代工業の発達の障害にはならず、物づくりに対する認識も聖戦的な価値観とは対極的だ。造形的概念にも制約がなく金融業への偏見もない。だからこそ工業化に成功したわけですが、イスラム国家からこのような制約を取り除くことはほとんど不可能だろう。

◆現代文明を支える社会システム 東京国際大学教授 関岡正弘
http://www.asyura2.com/2003/dispute6/msg/160.html

◆500年前、ヨ−ロッパだけがなぜテイクオフしたか 関岡教授 2002.12.18
http://www.asyura2.com/2003/dispute6/msg/161.html


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