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英国病とサッチャー首相
(前編)
老大国イギリスは、1970年代いわゆる英国病にかかっていました。製造業の技術革新が行われず、国際競争力は落ちる一方でした。石炭、電力、ガス、鉄鋼、鉄道、造船などの産業が、国有化され、巨額の赤字を積み重ねます。
財政赤字は、増加して、国債の累積残高が増加し続けます。経済成長率は低く、歳入は増えません。増税で歳入を増やそうとしますが、赤字の増大で直ぐに打ち消されてしまいます。
1976年、イギリスは、IMFから緊急融資を受けます。
都市機能が麻痺することもありました。停電やゴミの山が発生したり、電車を走らせなかったり、ストライキが頻発したのです。
ポンドは、暴落します。
割安になった衣料品などを購入しようと、ヨーロッパ大陸の人達がロンドンに押し寄せます。
政治家は、誰も責任をとらなかったのです。
1979年、インフレの抑制、政府支出の削減、労働組合の改革を公約に掲げた保守党が、総選挙に勝利します。
同年、鉄の女、マーガレット・サッチャーが首相になります。
実は、一期目のサッチャーは、それほど急進的な改革を行えなかったのです。
彼女の、緊縮的な金融政策は、経済を停滞させ、失業者を増加させました。
1980年、ロンドンとマンチェスターで市民暴動が起こります。
福祉予算などの政府支出の削減は、このような状況のもとでは、不可能だったのです。
サッチャーは、不人気でした。
このままでは、1983年の総選挙に勝つことは、出来なかったでしょう。
しかし、彼女は、強運に恵まれていました。
◆◆結果として、サッチャーを救った、◆◆
◆◆その大事件は、海の向こうで勃発します・・・明日に、続く。◆◆
◆◆ ところで、東アジアの何処かの国も、英国病にかかっていませんか?◆◆
(参考文献) 「英国の復活、日本の挫折」 渡部 亮著 ダイヤモンド社
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(2001/3/20) 英国病とサッチャー首相
(後編)
フォークランド諸島は、マゼラン海峡の東500kmに位置するイギリス領で、アルゼンチンも領有権を主張していました。 1982年4月、アルゼンチンは、イギリスの経済低迷と軍需費削減をチャンスとばかり、フォークランドを武力制圧します。
「どうせ、イギリスは攻めてこない」とアルゼンチンは甘くみていたのです。
時の首相サッチャーは、単独での大機動艦隊の派遣を直ちに決断します。
垂直上昇が可能なイギリス戦闘機シーハリアーは、アルゼンチンのミラージュVの背後に回り、撃墜させます。制海権を握ったイギリスは、フォークランドを奪還します。(フォークランド紛争)
この戦争の勝利は、イギリス人を熱狂させ、サッチャーの人気は急上昇します。
1983年6月、サッチャーは、総選挙にも勝利します。
圧倒的な求心力を得て、イギリスの歴史的な大改革が始まったのです。
サッチャーは、自分の信念を強引に推し進めることが可能になったのです。
ブリティッシュ・テレコム(BT)を初め、ほとんどの国営企業の民営化が実施されます。
市場経済原理や規制緩和が進められます。完全な競争社会が実現します。
そして、絶大な力を誇った労働組合は、衰退していきます。
高額所得者や企業の税金は、軽減され、働く人、努力する人が、より報われる税制に移行されます。
金持ちが戻り、外国企業のイギリスへの投資も増加します。
政府支出は、削減され、「ゆりかごから墓場まで」の甘えは許されなくなります。
経済は活力を取り戻し、力強く成長を開始します。
シティは、再び金融の中心として輝きを増します。
◆◆鉄の女・サッチャーの強烈なリーダーシップの下で、◆◆
◆◆イギリスは復活したのです。◆◆
◆◆ 今の日本に一番必要なのは、◆◆
◆◆サッチャーのような総理大臣では、ないでしょうか?◆◆
◆◆明日は、今回意図的に話さなかった「イギリスの金融ビックバン」を◆◆
◆◆「宇宙の誕生」とダブらせて発表します。◆◆
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