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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu86.htm
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政府から、日銀券の価値を守ると称して真の財産である
企業を潰す愚か者を早く除去しなければならないのである。
2005年1月7日 金曜日
◆通貨の本質が理解できない人々 藤本龍夫
http://www3.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi?nippon+24
通貨の本質が理解できない人が多くて困っている。
政府通貨を発行するというと、それは偽札ではないか、それは何を担保としているのか、などと質問する人がいる。
それでは、というので日銀券を説明する。
1万円や1000円札には日本銀行と印刷してある。これが日銀券である。
この日銀券を何故信用しているのかと言えば、日本銀行の財産を担保としているのではない。日本銀行は店頭上場の株式会社であり、その時価総額は5000億円くらいしかない。
日本銀行券の担保は、GDP(国内総生産)である。これが約500兆円あるのであり、これがある限り、日本銀行券は信用がある。
ところで国内総生産といってしまうと、他人事のように感じてしまって庶民の感覚から遠ざかってしまう。
粗利益の合計であるといってしまえば分かりやすい。
企業は製造業であれば原材料を他の会社から買い入れて製品をつくって販売するが、粗利益とは、このような他者から買い入れた原材料費を売上げから控除した残りである。
商店であれば、他者から商品を仕入れて、それを販売するが、売上げから仕入れ額を控除した残りが粗利益である。
これらの粗利益の1年間の合計がGDP(国内総生産)であるといってしまうとわかりやすい。(厳密にいえば少し違うが)
この粗利益の合計が約500兆円あり、それを担保にして日本銀行券を発行しているのである。
こうしてみると粗利益がもっとも大切なものであると言うことが分かるだろう。
日本銀行券がなくなっても何とかなるが、この粗利益が減少するとすべてを失うのである。
通貨とは、この粗利益を生み出すための用具に過ぎないのであり、通貨そのものには価値がないのである。
表面的なっことを記載する教科書のたぐいには、価値保存の機能があるとか、書いているけれども、究極まで考えてみれば、このようなことになるのである。
したがって通貨の価値を守るとなどといって企業を潰していくと粗利益が減少するのであり、通貨の本質を知らないものが経済政策を間違うのである。
この企業の粗利益はどのようにしてうまれるのだろうか。
それは経営者が、やる気をもったときに増えるのである。経営者のやる気はどのようにして生まれるのかというと、お客さんが与えてくれるのである。
経営者のやる気を育み、売上げの拡大と粗利益の増加は、お客様がお金を持って買いに来てくれることで育ててくれるのである。それゆえお客様は神様であると言われるのである。
ところで我々はほとんどの人間がインフレ・ギャップの時代に生まれてインフレ・ギャップの時代に死んでゆく。それゆえ経済学は、それに適合したものが大学で教えられる。
分かりやすく言えば、インフレ・ギャップがあるということは企業の生産能力を超えてお客さんが殺到する時代である。こんな時代は、企業の生産が間に合わす、ギブアップをする。ネをあげるのである。ネを上げて値を上げるのである。
その結果、値が上がるのである。それがインフレなのである。
ところが今はデフレ・ギャップの時代である。企業は900兆円の生産能力があるのに、お客さんが500兆円しか買いに来ないのである。こんなときは、神様に400兆円を差し上げなければならないのである。それが政府支出を通じた需要拡大政策である。
我々はお客様に育てていただいているのであるから、この神様にお供えをしなければならないのである。
通貨とは粗利益を多くするための用具であり、主客を転倒してはならないのである。日銀券の価値を守ると称して真の財産である企業を潰す愚か者を早く除去しなければならないのである。
◆需給ギャップとデフレギャップが区別できない人達 藤本龍夫
http://www3.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi?nippon+7
経済に強いという大学教授でも、この区別ができないでいる。
そのため、日本の再興を願う動機が同じものであっても意見が異なる結果になることが多い。
私は日本の歴史を取り戻すべきであると考えているものであり、その方面での知己も多いが、そのような同志の中にも緊縮財政を強力に支持する者が多い。
そのため、話しがこじれるが、その原因の一つに表題のような、定義の混乱があると思われる。
デフレ・ギャップとは生産能力と需要とのギャップである。
需給ギャップとは、供給と需要とのギャップである。
生産能力は、我が国では、ほぼ900兆円ある。しかし需要が約500兆円しかないのである。したがってデフレ・ギャップは約400兆円ある。
このようなときは、需要を増やせばいい。そうすれば経済が順調に成長し、租税収入が増加して財政再建が可能になる。したがって年金支給の不安はなくなる。
ところで需給ギャップは、需要と供給のギャップであり、これは、ほとんど存在しない。
どちらも約500兆円である。もしも供給よりも需要が増加すれば在庫が減少し、供給よりも需要が少なければ在庫が増加する。しかし我が国では、在庫変動比率はGDPの0.5%程度であって、需給ギャップは存在しないと言って良い。
この2つの概念の区別ができる経済学部の大学教授が、日本には少ない。だから、経済学部を卒業した者も、その区別ができないままでいる。もちろん日本経済新聞もその区別ができないでいるから、財政黒字を達成する政策を創れないでいる。ほとんどは家計と同じく入るを図って出るを制すると言った、合成の誤謬を招く思いつきを支援するか、同工異曲の小さな政府案を支持している。
そのような政策を実施すれば、日本の経済力は半分になってしまう。
と主張すると、GDPなどは問題ではない、節約して心豊かに暮らせると言い始める始末だ。このあたりまで来ると、相手の頭の中をのぞき込みたくなる。GDPは付加価値の総額なんだよ、粗利益なんだよ、日本人の真の財産なんだよ、働く意欲の総額なんだよ、といいたくなるが、経済学部を出た者でも数式の奴隷となって真実を見ることが出来ないのである。
少しずつ話しを進めて行くしかないのだろう。
◆パックスアメリカーナからパックスヤパーナへBBS
http://www3.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?nippon
(私のコメント)
昨日は東大を出たエリート官僚がどうして愚かな政策ばかりしているのかという疑問を書きましたが、彼らは教科書に書かれたことや正解のある問題に対してはトップレベルの能力を発揮するのだろう。しかし教科書に書かれてはいないことや正解のない問題に対しては、ほとんど能力は発揮できない。政治家に感のいい人がいれば正解を見つけ出して実行できるのでしょうが、今の政界には直観力がいい人がいない。
デフレギャップの問題に対しても、大学教授レベルの人でも認識していない人が多いらしく、政府・日銀官僚は緊縮財政論者で溢れている。私自身はよくわかりませんが日本の生産能力は900兆円あるらしい。それに対する需要は500兆円しか無いからGDPは500兆円ということになる。これがデフレギャップというものですが、需給ギャップと混同されている。
農業経済の社会なら供給力=需要と判断しても大きな間違いではない。農産物は生産を合理化してもそう大きくは生産が伸びない。人口は農産物の生産量と同じような変化をするだろう。人口が増えすぎて飢饉が起きれば人口は減らざるを得ない。だから需要と供給はほぼ同じである。
ところが工業経済社会となると、供給力と需要とのバランスが崩れて、先進工業国は供給力過剰でデフレ経済になり需要不足が起きる。逆に発展途上国は工業製品の需要があっても国内の供給力が乏しいためにインフレ経済になる。日本が国家倒産してアルゼンチンのようなハイパーインフレが襲うと書き立てるエコノミストがいますが、デフレギャップを理解していない証拠だ。
工業生産力は農業とは異なり生産の合理化が飛躍的であり、例えば10万台の自動車生産を100万台に伸ばすのは、生産ラインを増やせば容易に実行できる。需要見通しを誤って生産ラインを増やしすぎて売れなければ、値下げしてでも売るか生産ラインを止めるか廃棄しなければならない。
だから工業化社会から情報化社会に変化するに従い、需要予測を正確に測ることが要求され、在庫も最小限度に維持できることが情報化社会の勝利者になれる。現在の日本の400兆円ものデフレギャップは情報化社会に移行する過程での誤った強気の生産増強が裏目に出たためで、生産調整が求められている。
その対策としては需要を増やす政策と供給力を縮小してバランスをとる二つの政策がありますが、需要を増やすのはケインズ政策で、供給力を縮小させるのは竹中大臣がやっている政策だ。どちらが正しいかといえば現在はケインズ政策のほうが正しい。しかし400兆円のデフレギャップはあまりにも大きくいくら国が財政政策を行っても400兆円のギャップは埋めきれないから、企業をリストラして供給も絞るのもやもうえませんが、それ以上に需要を冷え込ます政策を行っている。
理想的には需要を伸ばしつつ供給を絞って行きバランスした時点で、財政赤字の解消を行うのが正しい順序だ。ところが小泉・竹中内閣は需要を増税で落としながら供給も企業整理で絞っているからデフレスパイラルに陥ってしまっている。昨日の株式日記でも書いたとおり現在は増税ではなく減税で需要を増やさなければいつまでもデフレギャップは解消しない。
日本は毎年30兆円もの赤字財政ですが、これは正しい政策であり、より大きな赤字財政を組むべきである。これは国家から減税という方法で国民に需要を与える手段であり、赤字国債の残高の増大はデフレギャップが存在する限り問題にはならない。デフレギャップがなくなり需給バランスがインフレ気味になった時点で増税して景気を冷やしながら財政赤字を解消してゆけばいいのだ。