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「韓国が国民所得で2万ドルを達成するためには、どのようにすべきですか」。
インタビューに応じてくれた日本の某経済専門家は言葉を休め、静かに記者を見つめた後、ため息をついた。
「韓国を代表する新聞社の記者がそのような質問をしているようでは、いつまで経っても2万ドルの国民所得は達成できません。あなたには経済の常識というものがあるんですか」。
実際、以前インタビューした2人の経済専門家からも似たような指摘を受けた経験があったため、この質問をするに当たり、かなりの戸惑いがあった。
以前の2人は約束でもしたかのように「韓国銀行が為替政策を変更すれば明日にでも達成できるでしょう」と答えている。
元々、ドルで表示される「2万ドル」は、レートの変動によりその差が開きもし、縮まりもする。極端な話だが、レートを1ドル=500ウォン台まで下げれば、1人当たりの国民所得は一瞬にして2万ドルを突破することになる。
結局、「所得2万ドル」という質問は愚問になるわけだが、それでも以前の2人の専門家たちはこのような指摘の後、「生産性の向上」といった賢答もくれた。
しかし、今回の専門家の指摘はやや攻撃的だった。
やるせない思いに駆られ、「“2万ドル”は経済発展の意志を込めた一種のスローガンです。分かりやすく書き記した目標のようなものなんです。このことを念頭に置いてもう一度、お答え頂けませんか」と聞いてみた。
「まさに、そのことが問題です。“所得2万ドル”といったスローガンは、その出発からして間違っています。このようなスローガンを掲げることは、国民の経済的常識を見下していることなのです」。
「さらには経済にスローガンを掲げること自体が、官治経済や統制経済に象徴される古い考え方なのです」。
同専門家の発言は続いた。「現在、所得2万ドルを達成している国で『2万ドル』を目標に掲げた国など1つもありません。現在の内需低迷はそのままに、サムスン電子の輸出だけで1人当たり2万ドルの所得を達成することになってもいいのですか」。
実際、1人当たりの国民所得が3万ドルを上回る日本の国民は、日本の国民所得がドルで一体いくらなのか、よく知らない。80年代半ば以降、新聞にあまり登場しなくなったためだ。
日本の国民1人当たりの所得が1万ドルから2万ドルに移行した80年代後半は、円高・ドル安の引き金となった「プラザ合意」により、ドルに対する円の価値が急騰していた時期だった。
当時は円高で日本企業が苦戦を強いられていたため、所得の2万ドル突破は肌で感じられるような状況ではなかったのだ。そのせいか、それ以降、日本の新聞からは1人当たりの所得をドルで表示する記事が姿を消すようになる。
「1万ドルのトリック」に陥っている現実を否定しようというのではない。実際、分かりやすい数字で示された目標は、雲を掴むようなスローガンより、はるかに説得力がある。
しかし、「数字」に縛られ、今しなければならないことをないがしろにして通り過ぎるようではいけない。
1990年代末、通貨危機を迎える直前の韓国は為替レートを安定させるため、莫大な外貨を投入した。ウォン・ドルレートを無理やり安定させようとした理由はさまざまだが、その中の1つが「国民所得で1万ドルを維持させること」だった。
ドル安以外にも来年の世界経済の減速が予想され、「成長率の下方修正競争」といった言葉まで取り沙汰されるほど、経済は当分の間、低迷する見通しだ。
数ある目標を達成するため無理な浮揚策でも講じてみたくなる政府の気持ちも分からないでもない。だが、数字上の目標はあくまで数字上の目標に過ぎない。
長期的競争力の確保に向け経済的苦痛が避けられない時ならば、数値的目標の達成、不達成をめぐり一喜一憂するよりは、むしろ将来の成長を見据えた上での「体質改善」に、より多くの関心を注ぐべき時ではないだろうか。
チェ・フプ東京特派員 pot@chosun.com
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/12/16/20041216000028.html