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地球は「民主党」と「共和党」に分裂している No.54【2004年12月11日】
http://www.chibalab.com/news_otoshiana/documents/041211.htm
不可解な中国へのODA援助
中国はいまや年9.6%の成長を続け、GDP目標を 5 年も繰り上げて達成していて、2001年のGDPはイタリアを抜いて現在世界第6位の経済大国となっている。あと数年で英独を抜いて世界第4位になることはほぼ間違いなく、恐らくこのまま放っておけば、2025年頃には日本やドイツを抜いて世界第2位になっているにちがいない。
現在でも購買力で計算するなら、すでに世界第3位の経済大国で、世界のアジアに向かっている投資資金の60%が中国に対してであり、日本に対する投資資金の約10倍の2450億ドルにもなっている。その上、日本からODAの援助を受けているのに、他のアジアやアフリカ諸国に5億6000万ドルもの経済援助をおこなっているのだ。日本はこの10年以上も続くデフレ不況で、リストラやら倒産やら就職難等で世界一自殺率が高くなっているというのに、日本はこれまで中国に対して7兆円、世界開発銀行や旧日本輸出銀行等を通した迂回援助も含めると、約10兆円以上もの援助を与えている。
にもかかわらずラオスでの日中首脳会談で、12月3日NHKの夜のニュースで、温家宝首相は「日本の政府の責任者から、ODA打ち切りに関する議論が出るのは理解しがたく、中止すれば両国関係ははじける状況になる」と日本側を牽制する発言が報道された。その数日前の30日にも、温首相は、小泉首相の靖国神社参拝について「A級戦犯がまつられており、中国人民は受け入れることはできない」と、中止をヌケヌケと要求してきているのだ。
その上中国は、いままでの日本からの多額の経済援助を受けてきたことに関して、自国民にそのことを一切知らせていないのだ。反日プロパガンダに支障をきたしたくないから、中国共産党は、国民に対していつもウソをついているのだ。
■日本を標的とした「中国の核ミサイル」と公安部の「女スパイ」
そればかりか中国は、日本からの援助資金を軍事費に転用して、瀋陽軍区等に390発の核弾頭を保有し、日本を仮想敵国の最有力な標的になっている状況である。吉林省通貨基地や安徽省石台基地には、「東風」「巨浪」といった核ミサイル50基が、日本の主要都市にその照準を向けて実戦配備されている。
米国防省筋が確認した都市だけでも、東京、大阪、神戸、横浜、京都、名古屋、仙台、福岡、沖縄等がわかっているようである。この50基のミサイルは、1基あたりおよそ250キロトン(広島は12.5キロ)だから、総量は広島原爆の1000個分になり、もしこのミサイルが発射されるようなことがあれば、最低でも3000〜4000万人の日本人が死ぬことになると思う。
1997年の米国防総省のレポートによると、「中国は1995年に2回、1996年にも2回の核実験を行い、中国のエージェントがアメリカや日本から高度な技術情報を盗み、にもかかわらず日本から中国への大規模な経済援助がおこなわれている。その流れの結果として、2007年ごろには、たぶん中国は1000基の弾道核ミサイルを生産保有するであろう」と分析している。中国は今でも、ロシアやアメリカに次いで世界第3位の核大国であるというのに、日本のマスコミは何故か中国の「経済」や「安い労働力」の魅力しか報道しない。なんとも不思議な流れである。
中国が日本を標的とした核ミサイルを最初に配備したのは1971年で、その翌年に、日本政府はアメリカには無断で中国と国交を回復し、佐藤栄作首相は、アメリカに要求して沖縄の核戦力を撤去させ、かの有名な「非核三原則」を閣議決定してしまいました。そしてその勢いに調子付いたのか、事もあろうに日本に核ミサイルを向けている中国と日中平和条約を結ぶことになり、その結果として世にも不思議な中国に対する莫大なODAが1979年から開始されたのである。
その莫大の援助資金で、中国は堂々と核実験を繰り返し弾道ミサイルを増産し続け、その努力の成果が実って、いまや日本人3000万人以上をいつでも殺せるだけの核ミサイルが、日本に向けて実戦配備されるに至ったわけなのである。
いまだに日本が中国への援助を止めない理由は、例のごとく外務省チャイナスクールの媚中謝罪外交のせいなのだが、どちらかといえば、ODA利権にからむ政治家の「利権」と「下半身の軽さ」のほうが、その主な理由といえるようである。情報筋によると訪中した政治家の多くは、中国共産党公安部の用意した女と一夜を共にして、どうやらその写真を取られているらしい。橋本元首相が中国共産党公安部の女スパイを愛人にしていた一件などは、よくある事例のほんのひとコマに過ぎないようである。