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TOCと標準原価計算(その1)−製造業(日本とアメリカを例に)の黄金時代を支えた標準原価計算−
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投稿者 hou 日時 2004 年 10 月 22 日 22:49:49:HWYlsG4gs5FRk
 

TOCと標準原価計算(その1)
    −製造業(日本とアメリカを例に)の黄金時代を支えた標準原価計算−
ゴールドラット博士は「生産性の最大の敵は原価計算である」と指摘しています。確かに、原価計算で判断すると間違いが起こるケースが多々あるな、と思います。しかし、職場で「原価計算は問題があるんですよ」と言って、TOC(スループット計算)のはなしをしても反応はいまいちだし、しまいには「それって、直接原価計算とどこがちがうの?」で終わってしまいます。原価計算とはどうしてこうもしっかりと定着し、広く行き渡ったのか、その背景を知りたくなってきました。ということで、TOCと標準原価計算との係わり合いについて、3回に分け愚見をまじえてまとめてみたいと思います。

たぶん、原価計算は生産方式との関係が深いのではないかと思い、大量生産方式が形づくられる19世紀のアメリカを覗いてみることにします。

1、大量生産方式の成立−アメリカ製造システム−
*互換性生産の完成

19世紀初、英国と米国の間で戦争があったそうです。米政府は、武器の性能の悪さと、その供給不足に悩まされていました。それで、200万ドルを超える投資を行い、民間企業と密接な協力で、工作機械・工具・測定器具などを開発し、銃器の大量生産方式を完成させました。それは、どの部品とでも組立ができる互換性生産方式でした。大量に造ることとともに戦場での修理が簡単なことが政府にとっては重要で、コストそのものは従来の手作業より劣っていたようです。で、互換性大量生産生産が他の民生品の生産に広がるのは19世紀後半になってからでした。

大量生産方式がアメリカで生まれたのは、熟練労働者が少なく、一般の労働力も不足気味だったため、機械の利用が積極的に図られていたこと、また商品そのものも、ヨーロッパのような装飾的なものではなく、実用性を重視した規格品が好まれた、などの社会的背景も理由に挙げられるようです。

*原価計算が必要

19世紀の後半の約30年間は経済恐慌だったらしく、多少の上下はあっても、物価は低落傾向だったようです。(なにやら、今の日本と似ていますね)工場経営者は価格競争のため、正確な製品原価を速やかに決めなければなりません。正確な原価把握は企業の運命を左右する重要事項であったわけです。その中でも製造間接費は、短期間に捕らえることが難しく、その間接費の中身と配賦方法が正確な製造原価把握の中心課題でした。

最初に考えられたのは賃金率法です。賃金率法は、(一定期間の製造間接費総額)/(同期間の直接賃金)=配賦率を求め、直接賃金に配賦率をかけて算出する方法です。しかし、製品は直接賃金よりも作業時間との関係が強いなどの理由で、時間法が用いられるようになりました。時間法は、(一定期間の製造間接費総額)/(同期間の直接総労働時間)=配賦率を求めるものです。しかしこれも、手作業が主のうちは良かったのですが、機械化が進む中でその償却費の比重が大きくなり、また機械ごとに異なることが考慮されてないなどの欠陥がありました。

この時代にあって、先進的な製造間接配賦法を取っていたのは、工作機械メーカのWilliam Sellers & Co.でした。当社は製造間接費をその性質により機械に付随して発生する機械間接費と工員のために生ずる工員間接費に分けておりました。機械の価格1ドル当り・運転時間1時間当りの機械間接費 n を下式で求め、

n=(機械間接費)/(機械の総額 x 機械一台当り運転時間)

(n)x(特定機械の価格)で特定機械ごとの時間当り間接費を算出していました。工員間接費の配賦については賃金率法を使っていたようです。

2、ティラー・フォードシステム
作業を要素作業に分解し、その時間研究により労働者の一日の作業量を課業とし、その課業の遂行を通して生産能率を上げようとする科学的管理法がティラーによって提唱されました。定型作業(反復作業)を前提にした生産ラインの最大効率を狙う科学的管理方法は、大量生産方式の管理方法として以降多大な影響を与えました。また、従来、作業量・スピード・作業方法など労働者の裁量に任されていたものが資本側に移ったのも科学的管理法の導入がきっかけでした。(成行管理から課業管理への移行)

同じ頃、フォード生産方式が誕生します。作業を単純作業に分解し、コンベーヤ−で同期をとります。「鉄鉱石を溶鉱炉に入れてから完成車が出てくるまで33時間」で象徴される一貫生産で驚異的な生産性の向上をもたらしました。

科学的管理法の陰に隠れてあまり知られていないようですが、ティラーは原価管理においてもけっこうな業績を残しています。ティラーの狙いは、適正な間接費の配賦により正確な実際原価を求め、製品の販売価格を決定し利益を確保することにあったようです。

実際原価は集計に時間がかかるため現場で使うことはできず、現場では主に課業管理がおこなわれておりました。しかし、ティラーはWilliam Sellers & Co.をお手本とし、独自の改良を加えてより精緻な配賦方法を考え出しました。それは、予算差異・操業度差異などの差異分析の可能性を秘めていて、今日の標準原価計算の萌芽とも考えられるものです。

3、国家あげての生産性向上運動
1914年に勃発した第一次世界大戦をきっかけに、軍需生産が活発となりました。その生産性を上げるために、米国政府は国家統制色の強い行政指導による「生産性向上運動」を開始しました。この体制は戦後も存続し、それにHooverの提唱する「産業無駄排除運動」が加わりました。産業に内在する無駄は膨大であり、この削減が産業活性化に欠かせない、と考えたのです。それぞれの産業分野で、それぞれの企業が独自に製品開発をするため、形・大きさ・長さ・重さ・色など極度に多様化していたのでした。これが、産業活動のあらゆるところで無駄を生んでいたというのです。これを正すべく、「産業無駄排除運動」は標準化対策を中心に推進されることになります。製品そのものだけではなく作業条件の標準化も、ティラーの科学的管理法を格好のよりどころに進められました。この標準化運動は産業レベル、国家レベルでの標準化であり、この進展を通じて少品種大量生産が志向されたのです。

標準化運動は原価計算の標準化、すなわち国家レベル・産業レベルで統一された原価計算方式につながっていきます。原価計算は企業管理・産業振興・経済安定を図る手段として使われるようになり、また、統一化により産業界に広く普及していったのです。さらに、企業会計システムと結びつき、原価計算システムと連結する会計システムが出来上がっていきます。

4、大量生産方式の発展;アメリカ製造業の黄金時代(自動車産業を例に)
ティラーの科学的管理法をベースにした生産システムとともに、原価計算も初めは価格の決定・損益管理を目的に、主に間接費の配賦にいろいろな工夫が試みられました。さらに原価差異分析による工場管理機能を持つ標準原価計算へと発展していきます。国家レベルでの生産性向上運動の後押しもあり、標準原価計算方式と会計方法が統一され、1925年ごろには現在の会計システムの原型が出来上がったようです。

驚異的な生産性の向上をもたらしたフォードシステムは、T型フォード1車種の生産ラインでした。このT型フォードは1909年から18年間に渡って1,500万台生産されたそうです。それにストップをかけたのはGMのフルラインアップ戦略でした。客は黒しかないT型フォードに飽き、スタイルや機能・性能など多様なクルマを求めるようになっていたのです。

車種を増やせば量産効果が出にくくなります。その対策は、大部分の部品を共通化し量産効果を維持しながら、一部の部品だけを車種に応じて生産することでした。市場要求の多様化と規模の経済を巧みにバランスさせる生産戦略がGMを飛躍的に発展させたのです。

分業と機械化はさらに推し進められ、部品の生産と組立に至るそれぞれの工程は専門化し、独立化していきます。生産効率を上げるため、生産ロットは大きくなり、生産スピードも速くなりました。オートメーションも発達しました。エンジン工場のシリンダー・ブロックの加工ラインはまったく人の手を介さないで、鋳物ブロックが自動的に送られ加工されていきました。従来の生産時間の1/10に短縮されたといいます。機械化と自動化は19世紀の工業化以来アメリカの伝統でしたが、その後も絶えることのない新鋭設備の導入により生産性をさらに向上させたのでした。

生産の規模が拡大するにつれて、管理階層が増えてきます。上層管理層には現場の状況はほとんどわからなくなります。大きくなった組織を効率よく運営する方法として「事業部制」が登場しました。これにより専門家による分業体制が完成します。さらに標準原価計算制度など統一的な会計基準が全社的に採用され、企業管理は「事業部制」のもとで財務統制が主要な手段となってゆきました。そして、アメリカ自動車産業の黄金時代を迎えるのです。

この優れた管理手法は間もなく他の産業全般へと普及し、日本にも伝わってきます。

5、日本への普及
第二次世界大戦前にはほぼ完成していたアメリカの優れた生産・経営手法は、戦後のアメリカでさらに大きな花を開き、アメリカ自動車産業の黄金時代を築きました。焼け野原の日本は、積極的にこのアメリカ式経営法を学び模倣しました。日本の経営理論はアメリカの大量生産方式の経営管理手法が基本だったのです。 しかし、日本の状況は、アメリカとはかなり違っておりました。お金はないので大型・高速設備は買えません。しかし、勤勉でレベルの高い人たちが、協力して一生懸命働きました。品種の切り替えにも柔軟に対応できました。QCサークル、TQCなどを通して品質の向上に力を入れました。終身雇用は従業員の帰属意識を高めました。役割分担が必ずしもはっきりしておりませんでしたので、相談し、協力しながら仕事を進めたのです。

基本的にはアメリカを真似た経営管理手法でありながら、会計情報に基づく財務統制中心のアメリカに対して、人を中心とした現場管理に重きを置いたのが「日本生産システム」です。やがて、日本はアメリカを追い抜くまでの製造立国となるのでした。日本製造業の躍進に拍車をかけたのは皮肉にも、二度にわたる石油危機でした。総需要が頭打ちになる中、多品種化はますます進みました。安価で品質の良い日本製品はアメリカ製製品を押しのけて、低成長下にあっても拡大生産を維持し、日本製造業の黄金時代を築いたのです。

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