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(回答先: 国民経済守護の立場からはこの結末は? 投稿者 まさちゃん 日時 2004 年 10 月 14 日 13:57:54)
まさちゃん、どうもです。
>今回のダイエーの一件ですが、日本の国民経済を守る観点からは、
>飽くまでも自主再建が良かったのでしょうか、それとも再生機構行きが良かったので
>しょうか?
ダイエーについては、銀行団が融資枠を維持しながら営業を継続するか、銀行団が“最大の利益”(=最小の損失)で見限るか、銀行団が大きな損失を被るかたちで見限るかという三つの可能性があったと考えています。
国民経済(マクロ)という観点から見れば、営業利益に照らして過大な債務を背負っているとは言え営業黒字状態にあるダイエーは存続させるべきです。
1兆円ほどの融資が固定化する問題を除けば、ダイエーは追加的な融資を受けなくても営業が継続できる条件にあると見ています。(ただでさえ貸し出し残高が減少し預貸率が下がっている現状に照らせば、1兆円ほどのダイエー向け貸し出しが固定化されているからといって“金融資源(資本)の非効率”につながるわけではありません)
解体を通じてダイエー関連企業で3万人以上の失業者が発生し、多くの取引先からも失業者や倒産が発生するはずです。(ダイエー関連企業で10万人近くが雇用されている)
こういう人たちの可処分所得が半減するわけですから、国民経済に大きな影響を与えます。(所得税・消費税そして年金保険料などの歳入も減少します)
ダイエーという供給主体がなくなったからといって、その他の供給主体がその分をまるまる手に入れるわけではなく、ダイエーが支払っていた給与から生じてきた需要の相当部分が減ったものを手に入れることになります。(ダイエーの解体で他の商業経済主体がある程度売上を増加させたからといって従業員の給与を上げるということはないはずです)
供給活動の減少は社会保障で補われる部分を除き需要の減少につながり、社会保障の増加は就業者の公的負担の増大につながり結局は需要の減少につながっていきます。
このような論理(供給→需要)を無視した「供給過剰状態」の調整論は愚の極みです。(ダイエー処分の正当化理由の一つになっているはずです)
政府は、個々の企業の処分よりも国民経済総体の問題解決を優先すべきです。
仮にダイエーを存続させたとしても、国民経済が現状であれば、事態は改善しないどころか悪化の方向に進むことになります。
ダイエーの“過剰債務”問題は、政府部門の“過剰債務”問題と根っこは同じです。
ダイエーの債務が過剰でなくなる経済状況に移行したときは、政府部門の“過剰債務”問題も緩和されます。
今回の「ダイエー騒動」は、政府の経済金融政策と銀行救済のために行われたものと受け止めています。
バブル形成とバブル崩壊の責を負っている政府・日銀・銀行は、7年近く続いている名目GDPの縮小傾向を解消する“義務”があると考えています。
80年代後半の政府の経済政策・日銀の金融政策・銀行の貸し出し政策が現在に至る日本経済の様相をつくり出しました。
そうでありながら、政府は、そのような過酷な経済状況を解消する合理的な政策を採らないどころかさらに悪化させる政策を採ってきました。
そのような政府であっても、銀行救済だけは国費を惜しげもなく投入してきました。(それを否定したいわけではなく、経済活動を上澄みを掠め取る銀行を救済しても根本的な解決にはつながらず、国民生活や産業活動は困難に陥り、ひいては銀行も立ち直ることがないことを問題にしています)
政府は、「農業を含む産業→商業・サービス→金融」という国民経済の重層構造と連関性を理解しないまま膨大な国費を無駄に投入して不況をズルズルと長引かせています。
産業再生機構という名前になっていますが、実態は、不良債権を高値で買い取る「銀行救済機構」です。(その費用を回収しなければならないので、対象企業は切り売りされ解体されることになります)
奈々さんの呼び方を援用すると、産業を解体して銀行を救済する機構ということになります。(商業経済主体であるダイエーを産業と呼ぶことには違和感がありますが、ここではそれを問わないことにします)
銀行団がこれまで債権放棄(5200億円)までしてダイエーを存続させてきたのは、当初は破綻による不良債権の回収不能確定を避けたかったからであり、産業再生機構成立後は政府の“社会政策”(失業や倒産の抑制)に従ったからだと見ています。
自主再建か、再生機構行きかの違いは、ダイエーというより銀行団の損得に関わる問題です。
まさちゃんがご指摘のように、銀行団の融資枠維持がない限り、ダイエー自身にとって、自主再建でも、再生機構行きでも大きな違いはないと思っています。
自主再建でも再生機構行きでも、資産のおいしいところだけを食われて(買われて)、ダイエーが解体される(なくなる)ということに変わりがなく、失業者も同程度に発生するはずです。
国民経済(名目GDP)が縮小しているわけですから、そうしない限り買った企業も利益を安定的に計上することができません。
(売上が5兆円規模から1兆7千億円規模まで縮小したダイエーの過程が、その一部でもあります。債権放棄で債務が減っても売上−営業利益が縮小しているのですから、“過剰債務”状況は改善されずに今日に至っています。それなりに良い資産を売って債務を減らしてもきたのですから、営業利益が低迷するのは当然です。結局のところ、経費の中心である人件費を削って営業利益をなんとか出している状態です)
一方、銀行団にとっての損得は、自主再建か再生機構行きかで大きく違ってきます。
自主再建であれば、スポンサー企業(買収企業)が銀行団の対ダイエー債権を安く買い叩き、大きな損失が確定することになります。
再生機構行きであれば、再生機構が簿価に近い価格で債権を買い取ってくれるので、損失は最小になります。
政府には、2003年から04年にかけての景気上昇局面を受けて、不良債権処理の加速化とメガバンク再編を進めて05年のペイオフ解禁を迎えたいという思惑があり、UFJを追い詰めると同時に過剰債務問題の象徴であるダイエー問題の結末を付けたかったのでしょう。