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(回答先: 民主主義とは優秀な者に対する嫉妬をエネルギーにしてないか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 4 月 28 日 23:44:38)
>自分が何をつかんでいるかを問わず、リーダーが権威を持ち過ぎる事に嫉妬して生まれてきた>のが民主主義ではないのか?
>「みんなこういう風に言ってるよ。あんた変わってるね。」というのが民主主義ではないの>か?
>最大多数が言っている事が真理に近いだろうといういい加減さじゃないのか?
>賢人政治というのはプラトンの言葉だったかな?
>情報を集積し、認識をリアルにした人々が的確な政策を提言し、社会で実行される
>というシステムを作りたい。
>それは民主主義では無い。
>より現実を把握した集団が社会をコントロールするという事である。
>しかし、その集団の認識が正しいかどうかは他の認識を訴える集団の批判に耐えるかどうかで>試される。
>これが党派政治である。
>党派間の徹底した批判を多くの人々が目の当たりにする事によって総体の現実認識はレベルア>ップするであろう。
>そういう事を私はやっていきたい。
>これは、誰もが政治に参加するという意味での民主主義では無い。
>現実認識自体が人々を組織するような運動形態なのである。
今ある所の議会政治とどう異なるのか具体的に明らかにして欲しい。何がある所の共産圏や非共産圏の議会政治と異なるのかイメージが沸き難い。「正しい認識を把握した集団」であるという基準は誰が決めるのか?党派のトップの人間か?それとも国家官僚か?この辺りをはっきりしてくれないと、住民投票に反対する自民党の政治家が言うのと同じに思われる。賢人政治の考え方は保守派や共産圏の政治家・官僚は常に持っているが、自民党と民主党、共和党と民主党はブルジョア寄りだから多分ダメですね?で、ボルシェビキとメンシェビキ、労農派と講座派、中核派と革マル派、社民党と共産党の議論みたいなイメージかな?