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(回答先: 自分の労働をあらゆる物と交換できるシステムとして貨幣が生まれた。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 3 月 29 日 21:01:23)
ワヤクチャさん ブルース好きさん こんにちは
ワヤクチャさん 自分の労働の結果を貨幣に替える事によって人類はあらゆる物を入手できるという便利なシステムを手に入れたのです。
問題は貨幣が利子を生んだり、貨幣によって購入した生産手段によって一生遊んで暮らせるような財を手に入れたり、無限に資本を増殖する事が可能になった事です。
このような資本の増殖スピードに付いていけない人々が自らの労働力を生活かつかつの値段で売らざるを得なくなったのが現状です。
従って貨幣が災いをもたらしたという事は言えましょう。
しかしながら何にでも交換できるというこのすぐれたシステムを捨てて我々がどのような経済システムの下で生きていけばいいのかという対案はまだ示されておりません。
従って、無限の増殖する資本をいかに抑制するのかを考えた方が現実的なのです。
縄文ビト ワヤクチャさんのおっしゃるとおりだといえます。私はどのような社会においても通貨は無くならないと考えています。通貨の問題になるものは溜め込む(蓄蔵手段)ことにあると見ています。そこから人々が高額の物を手に入れるために貯金をしていくことはある期間は蓄蔵になるかといえますが、それをその人が死んだ時、社会に戻せば貨幣の蓄蔵手段というものは解消できるはずです。今まで貨幣論を先に進まない理由は、貨幣には3つの手段があるということの。交換手段は絶対に手放せない方法であり比較手段(貨幣によるどちらが安いかという比較)も市場経済下の競争原理の下においてはやはり必要なものであると判断できます。そして三番目の蓄蔵手段ですが他者の労働の私有化を禁止した時と、相続を廃止した時に蓄蔵手段は無くなるのではないかと考えています。そのことからあえて貨幣論を書かないわけです。
このことでは専門家のご意見を聞きたいと考えています。
ワヤクチャさん どる資本や既存貨幣に対抗する地域通貨というものを考えているわけです。
縄文ビト 地域通貨のことですが、やはりどうしても引っかかってしまいます。現在流通している円との交換が可能であれば何も新たな地域通貨を発行しなくても良いのではないかという気がいたしますが。
そしてその地域だけにしかすうようしない通過であるならば、誰が発行するのかということになります。
まだ私もよく理解していないのですからなんともいえないのですが。
ただ最終的な考えとして現在通用している貨幣がいつでも金との交換が出来る兌換貨幣であれば、外国為替で利益を得るなどというものも無くなるのではないかと思います。不換貨幣であったとき、いくらでも印刷することができ、有り余った紙幣は紙幣自体が余剰を生ませる形態で流通していると見ています。そして人はなぜ通帳に金額の下に多くのゼロを付け億万長者といっているのか、その支払いは誰が払うのかということになる時が、その億万長者が紙幣の信用よりかオイルのほうがより信用できると判断した時、オイルの買占めに回ります。それはインフレの前兆となり、最終的には貨幣よりも物が少なくなるため。需給バランスが崩れ我々の生活に直撃するような物価高になるのではないでしょうか。
当たり前のことを言っているだけで見栄えがしませんが。