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言葉は世界を分割して把握するものです。
言葉の寄せ集めはデジタルの集積でしかありません。
しかし、人間はそれを真実と思い込みたがる傾向があります。
従ってよりリアルな世界観を獲得する為にはアナログの情報によってデジタルの集積である言語群を批判する必要があります。
二項対立の批判はその代表的な例です。
創価学会員と対話をすると何を話していてもすぐに「それは、こういう事だ。」
と答えが返ってきます。
彼等は全てを把握していると豪語するのです。
それは、様々な現象を名づけているに過ぎないのに名付けたらもう把握したと思っているのです。
このような言語群に埋没したら脱出する事は極めて難しいです。
マルクス主義者にも同じような問題があったと思います。
「下部構造が上部構造を規程する。」という言葉で何か真理をつかんだ気になったりしていたのです。
これは経済が制度・政治・文化を規程するというようなニュアンスで語られていましたが
何かを言っているようでその実何を言っているのか分からない言葉です。
「自由と民主主義」対「圧制国家とテロリスト」というような対立構図で現状を認識させようという事が行なわれていますが、そのような演出が行なわれているだけです。
デジタルに認識したがる人間の傾向はこのような誤解を生み出すのです。
様々な事柄の内部にある関連性、
これを見えなくしようとするのが権力の情報操作です。
統一教会とオウムの関連などがその例でしょう。
このような発言は命掛けで行なわなければなりません。
石井紘基さんのように。