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(回答先: 寄生対象としての国家という装置、如往さんへの回答 投稿者 岩住達郎 日時 2005 年 3 月 14 日 05:02:13)
岩住さん、いつもレスをありがとうございます。
そして、またしてもレスが遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
さて、岩住さんとのやり取りの趣旨からはやや逸れるかも知れませんが、「日本のとるべき戦略」を実施していくにあたり国際金融資本家やその手先達の暗躍を看過できないだろうと考えています。究極的には彼らのダイナミズムを我々の如何なるダイナミズムで受けとめることが可能かということに収斂していくと推察しています。
ここ阿修羅でもユダヤ系国際金融資本家やアングロサクソン・アメリカン系政治(軍事)勢力の策謀に関する情報収集や分析がなされてきました。それ等がどれほどの真実性や精度を有しているか、即断はできません。そして、彼らのムーヴメントには歴史的に観ても我々日本人には容易に想像がつかないほどのダイナズミムが横溢していることは確かなようです。今日の世界では国際金融資本家やアングロサクソン・アメリカンの傍若無人なる横暴を白日の下に曝すことはそれほど難しいようには想われません。しかし、それ以上に彼らの持つダイナズミムを如何なるダイナミズムで受けとめ、如何に応答すべきかといった厄介で根源的な問題が現出して来ます。厄介さ加減は我々日本人には受けとめるに十分なダイナミズムの軌跡が見出せないこと、現時点では当事者能力を有し得ないことに起因していると見ています。この点については再三繰り返し述べてきた通りです。
したがって、
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>1.世界の政治と金融を独占支配しようと企む少数の人間が存在する。
>2.彼らは国際金融集団を既に支配している。彼らの目的は世界中の人達を搾取する事にある。
>3.彼らは自分達の要求に従わない国の政治家を失脚させるか殺害してその国の政治を傀儡にやらせる。
>4.彼らは自分達の要求に従わない国を戦争で破壊する事も辞さない。
>5.彼らは国民を欺く為に常に民主主義を唱える。しかし有力な政治家は買収されており彼らの傀儡である。
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これらを国民に知らせても、受けとめるに十全なる当事者能力を持ち合わせている日本人がどれほどいるかというと、遺憾ながら甚だ心許ないかぎりだと感じています。
さらに、
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>6.一方、買収された官僚や政治家をもってしても国民が搾取されない政治制度が存在する。それは数理民主主義と云うものである。
>7.国民はこの数理民主主義を採用することにより国際金融集団による搾取を排除する事が出来る。
>8.その理由は数理民主主義では幸福指数に政治権力が与えられ、政治家と官僚は幸福指数を最大化する役割を与えられるからである。
>9.幸福指数を最大化すると国民の最大公約的な価値観が最大化されるため、支配者の私利私欲の価値観を国民に強制する事が出来なくなる。
>10.従って、国民は中央及び地方政府に数理民主主義の採用を要求すべきである。
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これらのご提起に関しても、おそらく岩住さんの理論にたいする私の理解不足も大いに関係があろうかと想われるのですが、どうしたら1〜5を認識し得ない者が数理民主主義へと自生的[Spontaneous]に向かっていくのか、なかなかイメージが浮かんできません。
>次に数理民主主義を地方都市で実験してみる事です。大企業の社内でも多少の変更を加えると出来るでしょう。大企業では社員間の収入格差が存在しますから与点制度を導入すれば社員のやる気を高揚するのに役立ちます。社員に与点を貰う人が居なくなれば、その会社は適材適所の高能率で運営されている証拠です。都市で与点制度を運用するには貧しい人から富豪まで収入格差が必要ですから、貧しい人ばかりの町とかお金持ちばかりの町は実験に不適当です。また、国税庁の了解を取り付けるのが難関かも知れません。しかし、最近は地方自治権拡大の方向ですから地方税の割合が多くなった分だけ裁量し易くなる筈です。
地方自治権の拡大の方向にはありますが、地方選出の国会議員や地方公務員が真実にそれを目指しているか判然とはして来ないのが実情ではないでしょうか。確かに地方自治権の拡大を真剣に模索している数名の県知事が存在します。けれども、Gemeinschaftのレベルで数理民主主義を採用・推進していくためには住民の民度(政治的意識)の高揚と地方議員や公務員の自覚が待たれますし、何よりも地方経済の停滞が自治権拡大のための環境を悪化させていることが由々しき問題となっています。
私は辛うじてGesellschaftのレベルで実験することは可能ではないかと考えています。しかし、前回にも記しましたように私なりに構想したものを提案してはみるものの、経営者の理解を得るのは大へんに難しいと痛感しています。企業改革のコンサルテーションの現場から申し上げますと、どうしても企業統治論といった切り口で提案せざるを得ないことからも経営者側に数理民主主義の本質的な理解を求めるには限界があるだろうと想われます。また、従業員組合の主管事項に据えて社員側からの提案という形を採ろうとしても、新たなる制度の導入は自らの首を絞めることに繋がるのではと徒に警戒感を助長しかねません。
私が岩住さんの理論の実現化に批判的にならざるを得ないのは、あまりに斬新なアイデアのためなのか、それともその大半の部分が理論をきちんと理解していないことに負っているのか、要領を得た解答を見出せないでいます。しかし、少なくとも岩住さんの理論は現状を肯定しつつも、できる限り制度的歪みを修正していくプロセスをとりながら、実は抜本的な改革へのソフトランディングを志向したものであると見受けられます。でも、道遥かといった感を禁じ得ません。
しかしながら、私は“数理民主主義”という言葉には目標管理や予算管理等に表出されているような乾いた語感とは違う、何かロマンのようなものを感じています。ですから、これだけはお約束したいと考えています。すなわち、数理民主主義に関する理解を深めていくことやGesellschaftでの実験の可能性を追究していくことです。そして、特に後者については本来的に民間企業に身を置く私達が分担すべき領域なのかも知れません。尚、“数理民主主義”に関しては、再度通読して後に質問させていただくこともあろうかと想われますので、そのときはよろしくお願いします。
それから、現在私は進化学者のEdward O.Wilsonの邦訳本はじめ関連書物を読みながら生命力(生存欲)や人間の本性について考えております。究極的には生命力の根源や人間の意識さえも物理的法則による規定性を免れ得ないと推測しているのですが、何分にも理科系的論理体系に馴染んでいないがゆえに己の思索の限界を感じております。できますれば、岩住さんにおかれましては係るテーマに因みその触りの部分でも結構ですので、頭の先から爪の先に到るまで文科系的論理体系にどっぷり浸かった人間にも見合うような論述をしていただくと非常に有り難く存じます。
また、会いましょう。