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(回答先: 人類の課題としての『βプロトコル』(1) 投稿者 たけ(tk) 日時 2005 年 3 月 06 日 16:33:41)
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http://www.osk.3web.ne.jp/~asterope/solomon.html
この世界には性善なる人間より、低俗な本態に生きる者の方が遙かに沢山いることを忘れてはならない。
だから政治において最も効果的なのは、学者の議論などではなく暴力と恐怖なのである。
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http://www.asyura2.com/data001.htm
悪い本能をもった人間の数は、善い人間の数をはるかにしのぐ。
私は指摘しなければならない。
かれらを統治するには、学者ふぜいの論議によってではなく、暴力とテロリズムによって達成することが、最良の方法である、と。
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http://www.asyura2.com/data002.htm
●暴力とテロリズムは最良の支配方法である
悪い本能をもった人間の数は、善い人間の数をはるかにしのぐ……かれらを統治す
るには、学者ふぜいの論議によってではなく、暴力とテロリズムによって達成するこ
とが、最良の方法である。
<一>
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『βプロトコル』の翻訳は、Web上では何種類かの翻訳が読めるようだ。その紹介も含めて上の3個のurlを紹介しておく。3番目は2番目の翻訳で論点ごとに整理したモノ。
さて、この部分を「α国とβ国とは敵対関係にある」という前提で読んでみよう。敵対関係にはあるが、β国がα人民を支配しているわけではない。とするなら、α国の統治者に「暴力と恐怖は最良の統治方法である」と吹き込むことを意図した文章と読むべきだろう。
マックス・ウェーバーに言わせると、権力の本質は暴力の独占ということらしい。ただし、暴力の独占だけでは統治は成功しないので、(法的正当性、伝統的正統性などの)正当性も必要となる。
(1)「この世界には性善なる人間より、低俗な本態に生きる者の方が遙かに沢山いる」ということを、たけ(tk)は事実として承認する。ただし、低俗とかいう価値評価においてではない。彼らは自分の生活があり、政治に意見することが仕事なのではない。政治的分業ということだ。また、政治に首を突っ込むことを、自分の生活にとっての利益となるか、不利益となるかで決定するのは、一つの賢い選択というべきであろう。
(2)そのような「本態に生きる者」にとっての最良の統治方法は、もちろん、暴力と恐怖の統治ではない。彼らが望むのは、それとは反対のものだ。
(3)α国の統治者にとってはどうか? 賢明な統治者であれば、それがもたらす害悪の大きさに気がつくはずである。
(4)しかし、統治能力に欠け、近視眼的な統治者であれば、このような「暴力と恐怖の統治」が、簡単で魅力的な統治方法に見えるかもしれない。
(5)β国の視点からみるとどうか? 敵国を政治的に混乱させ、国民の判断力を奪い、敵国民を無力化する、という合理性をもった戦略というべきだろう。その戦略を実現するためには、「統治能力に欠け、近視眼的な」人物をいかにしてα国の統治者に据えるか、という戦略に移っていく必要がある。
(6)α国の人民としては、このような傾向に対して、どのような対抗手段をとるべきか?