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ワヤクチャ さんこんばんは。新規に立てさせていただきます 。
ワヤク 貨幣とは何か?
と問うよりも
現にある貨幣をどう取り扱うか?
の方が重要な気がします。。
縄文 私も現在ある通貨を使っていくことが大切だと考えています。ただし現在あるといいましても貨幣、まして紙幣はそのもの自体に何の価値もありませんから、そこに政府なり国家の信用力が交換価値を引き出しているのですから、現在の日本政府の信用が無くなればただの紙切れになるだけです。つまり、もしの仮定ですが新しい社会が出来ればその社会でも紙幣なり、電子マネーなりが必要となると考えています。
縄文 現在の貨幣が貨幣の領域を超えたところで働きすぎていると考えられます。それは「金が金を産む」ということが言われるゆえんです。決して金は金を生んではいません。そこに他者の労働の一部私有化が利潤という形で資本を持っているものに取り上げられていく構図があるからです。他者の労働の私有化が否定された社会では「金が金を産む」という流れはなくなるはずです。資本というもの自体が加古の他者の労働によって積み上げられたものと前に書きましたように、全てが他者の労働の私有化から始まります。
ワヤク 減価する貨幣を地域で導入する。
ドルの価値を下げる事によってアメリカの地位を落とす。
その為にアメリカの国債を買い支えする事をやめる。
IMFを解体する。(スティグリッツ)
地球規模で資産に対する課税を行う。
地球規模で所得税や為替・株取引税を導入
といった事が大事だし、現実的でしょう。
縄文 これらに書かれたことは現在の社会の中で起こっていることであり。これらも「他者の労働の私有化」が否定されたと時点で全て無くなります。はっきりいえることは株も無くなりますし、資産に対する課税も必要が無いと考えています。「他者の労働の私有化」が否定された時、父親からまた母親からの遺産相続というものもなくなります。やはり父母といっても他者ですから、つまり労働で得た資産ではなく、不労所得にあたりますから。人は死んだ時点でそれまでの蓄蔵した貨幣なりまたは資産を社会に返納するだけです。別に子供が相続しなくてもその子供自体が生きることに不自由をしない社会だったらいいわけです。
ワヤク 政治は待ったなしです。
我々の主張を実現する政党は常に必要です。
もし、現実の政党で我々に有利な政策を提案する政党が無ければ
我々は政党を作るべきです。
この事をやらずにいくら議論を繰り返しても政治は変わりません。
政治と議論は両方常に必要なのです。
縄文 この点についても、現在私の考え方は違ってきます。新しく政党を作る必要はないと考えています。今の社民党であり、共産党で充分だと考えています。なぜなら両党とも社会を変革していこうという理想の中で命を張ってきているからです。ただ基本となる考え方がマルクス主義だったということです。それを楢篠主義(あるのかな?)ということに変えてくれれば良いことです。現在の段階ではまだ私自身の考え方は不充分ですから、これからも段々と考え方を書いていきますので、そこから社民党及び共産党の人たちも考えが変わってくるのではないかと期待しています。私なりに両党とも単なる権力志向で政治をしているのではないと見ているからです。後は私達民衆のチェック機構をより強化すればいいことです。人を信じましょう。
縄文 なぜならまずマルクスの問題点を解明し、未来社会はどうあるべきかを書く必要があるからです。
ワヤク その事も必要でしょう。
しかし、政策立案能力無くして未来を語る事など考えられません。
マルクスのいいとこ取りをしながら具体的政策もきたるべき未来も同時に語って
いこうではありませんか。
縄文 徐々に語ってきています。これからも語っていきますけど。
縄文 第一に言えることはマルクスが問題にしていたのは私有財産が不平等の原因であると考えていたことです。
ワヤク その通りです。
私有財産は他者の労働を買う事によって自己増殖を果たしました。
この自己増殖を止めるものは資本主義社会にはありません。
縄文 まさにその通りです。私の言いたいのは現在の資本主義社会でも結構ですが、ただ失業をとことんゼロにしていき、働けないものに充分な生活費用(生活保護という言葉はきらいです)を出してくれればということです。絶対に利潤を追求している資本主義では不可能でしょう。それもいつかやるのではなく、犠牲者をとことん減らすため、明日からやるという表明が大事なことなのです。
縄文前回 それはマルクスの「経済学・哲学草稿」の中の「阻害された労働」の項を見ても。そこに数多くの私有財産という言葉が出てきます。また私有財産が不平等の原因だといった歴史は非常に古く1516年に出版されたイギリスの政治家で思想家のトーマス・モアの『ユートピア』という小説の中に、世界のどこかに存在するユートピア島について、その島の政治・経済制度および道徳、宗教のあり方を紹介する形として、私有財産制度の否定と社会的な共有制について書いております。つまりマルクスの不平等の原因は私有財産だという考え方が出発点になっています。
ワヤク そうですね。
しかし、トーマス・モアはその島への行き方が分かりませんでした。
マルクスは労働者階級こそがその島へと行進する部隊だと思いました。
しかし、実際に出現したのは労働者階級の党を名乗る官僚独裁の党でした。
そして官僚の私有財産は巨大なものになったのです。
縄文 それもマルクスまでの哲学的な思考が、私有財産が不平等の原因だと決め付けてきたからだと考えます。今までの思想家達は失われた人間社会を何とか本当の意味の人間社会にしていこうと努力してきたと思っています。マルクスの不充分な「人間とは何か」という思考の中で官僚主義が横行してしまったと考えています。
縄文前回 そして私、縄文ビトは不平等の起源を他者の労働の私有化が発生の原因であると捉え直しています。
ワヤク 貨幣によってそれは行われました。
縄文 貨幣は悪くないのです、その使い方が悪かっただけです。お金を貯めたい人はそれも結構です。蓄蔵も別になんら問題はありません。その蓄蔵した資金が他者の労働の私有化に回ることが悪いだけですし、その人の死と同時に社会に戻されていけば別に問題は無いわけです。このように書いてしまうと『楢篠賢司の貨幣論』はここで全て出し切ったことになり、なんと簡単なことだったのかということになりますが。
ワヤク前回 マルクスはシステムを問題にしたと思うのですよね。
ところが後輩の「マルクス主義者」達はシステムの問題よりも
階級間の闘争を重視する方向にシフトしてしまったのだと私には思えます。
それで人間同士の対立の話に摩り替えられたと思うのです。
縄文前回 このところも私は違うように考えています。マルクスの論理性の欠陥(私有財産の否定)が多くの人々がいろいろな形で多種多様な方向性を引き出してしまい、収拾の付かない状態を革命後の社会に持ち込んでしまったことで、意見の不一致から権力闘争に始まってしまった。
ワヤク 生産手段の所有形態をうまく作り出せなかったということかと思います。
例えば国有であればそれは1人1人の労働者からは疎遠なものになってしまい
いつまでたっても労働者は賃金奴隷から脱出できなくなってしまったのです。
資本家に代わって官僚が登場しただけであり、労働者の無所有状態は同じでした。
縄文 これもマルクスの思想が不完全だったからでは無いでしょうか。人間がこの地球で生きるということを考えた時国家は無くなると考えます。かつて江戸時代以前の日本においても小さな国々に分かれ、それを統一したのが徳川家康でした。未来社会は必ずといっても良いほど地球規模の社会になるはずです。
縄文 次には国有だからこそ疎遠になるのだということですが、たとえ社会的所有(国有)になったとしてもそこに他者の労働の私的所有がなくなれば人々は生き甲斐を得られるのではないですか、富の分配に対し全体的な合意があればお手盛りという形は防げるといえます。後はチェック機構を強化すればすむことだということです。上に立つものが自分だけの取り分を多くすればそれは他者の労働の私有化そのものでしかないはずです。
縄文 また私は市場経済でも良いと考えます。なんといっても活気が違うはずです、自分の店を持ち人に負けないぐらい頑張れる人、その人たちの生き甲斐はやはり自分の力を試す場所が必要ではないですか。そこにもやはり他者の労働の私有化が無ければよいはずです。
縄文前回 そこから勝ち残ったものが言論の自由があったのでは彼らの頭の中にあるマルクス絶対主義的な考えでの社会主義社会が成り立たないと判断し一党独裁体制をより強化していったと見ています。
ワヤク 一党独裁は労働者階級の利益を代表する党はたった一つでなければならない
という理論から生まれたものですが、この事が正しいかどうかの検証が必要です。
第一、国家という巨大な単位でたった1つだけの政党しか存在を許されないという事が
果たして現実に即しているのかどうかが問われなければなりません。
なるべく小さな地区の単位での自給自足的な経済が必要ではないでしょうか?
縄文 やはりここにもマルクスの間違いがあったのではないでしょうか。民主主義社会、それは一党独裁では絶対に無理だと考えます。何度も言うようですけど「他者の労働の私有化」が全ての原因になっています。つまり他者の労働の私有化を無くせばどんな矛盾も解消できるはずです。なぜ今まで多くの思想家が気が付かなかったのか私自身も不思議です。でも私自身この問題を解くには40年という歳月をかけてきたわけですから。やはり難しいのでしょう。
ワヤク前回 階級間対立・国家間対立・民族間対立・宗教間対立などありとあらゆる人間集団同士の対立は意図的に作られたものであるという感じが致します。対立を煽る思想があり、まんまとそれに乗せられてしまったのだと思うのです。
縄文前回 確かにそのような面もありますが、やはりそこにも人間不平等の原因が理解できなかったからだと考えられます。たとえば宗教一つ取っても不平等の原因を物欲、つまり私有欲、それは私有財産の否定に結びついていくからです。また国家間の対立で誰が儲かるのかというときも一部の資本家であり。利益を得るのは国民全体ではないといえます。
ワヤク 個々人の利益をないがしろにし、巨大な集団の利益を優先するという欺瞞が
私有財産とセットにして行われてきました。
つまり、個人は経済的に支配され、政治的にも支配されてきたのです。
2重に支配されているにも関わらず、その事に無自覚であったのです。
縄文 巨大な集団の利益を優先するという欺瞞が。と言っていますが集団の利益ではなかったはずです。一党独裁という考え方から、上に立つ一部の人間がより利益を得ていたのではないでしょうか。つまり他者の労働の私有化を彼らは行っていたからです。
人間全体の利益になるには国家を超えた社会ができるかという一言につきます。
ワヤク そうです。
それが地球社会です。
元々国家というものは存在しませんでした。
地球を様々な国家に分裂させる事によって権力者は分割統治してきたのです。八百長をやらせて。
その事に我々はそろそろ気づく必要があります。
イスラエルのユダヤ人にも教えなければなりません。
あらゆる民族主義者や排外的宗教家や国家主義者に教える必要があります。
権力者はあらゆる対立軸を作り出して人間同士を殺し合いさせて管理してきたのです。
縄文 本当にその通りですね。でも私自身この年になると闘争心を失ってしまいます。今までのように力で自分の思い通りに動かすのではなく、話し合いで人間社会を創っていくことが大事かと思いますが。それにはなんといっても「他者の労働の私有化」が悪いということだと教える必要がありますね。
縄文 当然、階級間対立も二つの階級、マルクスが言うのには資本家と労働者ということになりますが、これは人間の歴史全体に当てはめることは出来なく、ただ資本主義社会の中での対立構図で考えていたからだといえます。
ワヤク 資本主義の中では確かに対立します。
しかし、資本家と労働者階級を憎しみ合うように誘導するのは間違いです。
これではうまくいきません。
資本家ともよりよき社会について対話すべきです。
縄文 この社会には資本家はいないはずですが?そもそも資本とは過去に他者の労働によって積み上げてきたものですから。
資本家ともよりよき社会について対話すべきです。ということですが、それは彼らから移行手段としての生産手段を社会化するさいには必要になりますが。まず私の考えている二党に政権を取らせることから出発すべきだと考えます。その方策をこれから考えていきましょう。
縄文前回 人間全体の歴史的な中で考えるとすれば私が言うように不平等の原因は「他者の労働の私有化」の発生がそもそもの原因であったということになります。
ワヤク それはそうですね。
縄文 ワヤクチャさん段々解ってくれましたね。でも、まだまだ私自身の考えは不充分だと思っています。市場経済になった時、個人が独立し倒産した時はどうするのか。という時、そこに競争に負けたとき計画経済と同じ要素が働くのではないかと考えられますが、つまり需要と供給のバランスが取れるのではないか。そうしますと資本主義経済の中で蓄蔵ということが経済恐慌の原因ではないのかと考えますが。この問題はまだまだ大変です。もっと考えないといけないと思っています。
縄文前回 民族間対立もお互いの民族の、利益になるかならないかということで対立を生んでいるということになり、両民族とも平等の利益が成り立つならば対立は起きないといえます。対立している両民族に「人間とは何か」という学習が足りないのではないでしょうか。
ワヤク いや、やはり私有財産をどの民族が占有するかをめぐっての闘争でしょう。
そのような闘争が無意味になるような制度を作るべきなのです。
「減価する貨幣」などはそういうシステムです。
価値が目減りしていけば資本蓄積は不可能になるのです。
これは、ミヒャエル・エンデが紹介した貨幣です。
提唱した経済学者の名前はゲーテルだったかな?
ケインズも評価した経済学者です。
スイスで実際に発行されて景気を回復した地域通貨です。
縄文 今までの経済学はある程度出来上がった社会からの論理だと考えますが、今私は資本論を読んでもそこに何も発見しません。またケインズ経済は資本主義の中で起きるといわれている何年かに一度の経済恐慌を食い止める手段として説明されてきたものだとそのように読んでいました。でも今ではケインズの乗数理論は死語になりつつあるのではないですか。死語でなかったとしたら。国が国債を700兆円ですか発行しなくても経済はうまく行ったはずです。
ワヤク 資本主義的な考え方ですか?
それは今人々が普通に持っている考え方なわけですね。
それを一掃するのですね?
それどうやってするのでしょうか?
そんな事よりも具体的政策の実現で少しずつ我々の考えを実現する方が近道では?
縄文 具体的政策の実現。このことですが私は政治家に任せるべきだと考えますが。社民と共産党で良いのではないかと考えますが。後は任せるまでのプロセスの問題ではないかと考えます。いかがですかまずいですか?このことでは他の方の意見も聞きたいですが。
縄文前回 また残念なことにマルクス主義では生産手段の社会的所有にはどんなことをやっても私有財産否定の論理ですので、どのような政党が政権をとったとしても行き着く先は百家争鳴となり同じことの繰り返しと見ますが、つまり後から詳しく述べますが日本共産党が未来社会がこうだといって政権をとったとしても同じことの繰り返しになるとはっきりといえます。
ワヤク 問題は私有財産の廃止は一気にはできないという事です。
貨幣に対する統制をうまく行う事によって少しずつ進めていきしかないのです。
縄文 ここで私が言っているのは私有財産を廃止しないといっているのです。私有財産の廃止では百家争鳴となりうまくいくわけがないと言っているのです。他者の労働の私有化がすべての原因であり、それを人間社会から取り外せば全てがうまく行くといっているだけです。
縄文前々回 生産手段の社会的所有にいくまでの確とした論理を打ち立ててからでないと同じことの繰り返しになります。
ワヤク 私有では無く、国有でも無く、協同組合による所有という形態が考えられます。
実はそれは現実の生活協同組合が行っている事です。
生活協同組合の資産は組合員の所有であるからです。
回答はこれです。
縄文 それでも良いのではないですか。ただどういう訳か市場経済の中ではうまく伸びないように考えますが。つまり競争に敗れてしまう。それをどのように考えますか。
縄文前回 私が最初のとこで言った「日本国民党」創設のとこで、まだ考えていませんと言ったのはそのことです、いたずらに公安警察を刺激するだけです。
ワヤク 公安警察はどうする事もできません。
合法的活動に介入する事はできないのです。
私は合法的に革命を行おうとしているのです。
それは可能です。
暴力に寄らない人々の合意による革命です。
経済システム変革革命です。
縄文 私は合法的に革命を行うと、いっていますが。革命という言葉自体が阿修羅に危害が及びますよ。合法的という言葉を使った時革命という言葉も使えないような気がいたしますが。もし合法といったとしたらそれは革命ではなく変革ということだと思います。でも私は二党に任せるべきだと思いますが。
縄文前々回 確かにマルクス主義としてはプロレタリアーと(労働者)が団結し革命を起こし、つまり暴力的に政権を取るという事があります。それは背景となる時代的社会が現在のように民主的(現在も真の民主的社会とはいえないが)な要素が無いことから、またマルクス自身が人間を信じすぎていたという面があると思いますが、まさか労働者が政権を取った時一党独裁として、政治を動かす者が権力者になり民衆を支配するとは考えられなかったのではないでしょうか。
ワヤク プロレタリアート独裁の概念を問い直す必要があります。
巨大な国家という単位でプロ独をやるという事が官僚機構を作る事しかならないという事を充分に認識する必要があります。
縄文 私はプロレタリアート独裁とは一言も言っておりませんが。二党に政治を任せてみましょう。それにはプロセスとしての理論を打ち立てることです。そのようにすれば二党も安心して政権を取れるでしょうし、我々も任せられると思うのですが、いかがなものでしょうか。
ワヤク 少なくとも権力の交代のシステムは作っておくべきです。
縄文 また後でこのことに触れていきますが、簡単に言えば「あなたの行いは他者の労働の私有化に当たる行為ですよ」と注意をすれば権力(その社会では権力者は存在できるのか?)者は社会的な糾弾を受けるのを恐れやめざるを得ないのではないですか、
ワヤク そのような批判が通用するようなシステムが必要です。
というか批判以前に法律でそのような行為が不可能なようにすべきです。
縄文 当然だと思います。民主主義は民衆がこの党に任せられないと考えた時、政権が入れ替わります。地盤 ・看板・かばんを止めさせるべきでしょう。
縄文 その社会では百家争鳴は「あなたの行いは他者の労働の私有化に当たる行為ですよ」と言うだけで社会が纏まっていけるものと考えています。
ワヤク しかし、階級闘争論では無い、経済システム変革論者が勝利をしていれば世界はもっとよくなっていた可能性もあります。
縄文 経済システム変革論者それは多分ケインズもその中に入るかと思いますが。でも、なんといっても政治を動かす力がないとだめですね。
縄文前回 マルクス主義の中に「百家争鳴」になってしまう要素がありどのようなことをやったとしてもムダだと考えます。
ワヤク そうですね。
解釈がいかようにでもできる要素はあったのでしょう。
それぞれが自分の理論に合わせてマルクスの都合のいい所だけを引用するような事をやってきたのでしょう。
資本論のような膨大な文献を作ればそれは避けられない事でしょう。
縄文前回 もし真理としての理論でしたら世界が同じようになっていたと思います。計画経済は資本主義国と社会主義国の差を広げてしまったものではないでしょうか。「経済システム変革論者」といえども計画経済に入らざるを得なかったのではないですか。
ワヤク そうです。
計画経済の一派です。
消費者主導型の計画経済であり、党官僚主導型では無いのです。
全然違ったものになります。
縄文前回 マルクスが描いた経済システムは資本主義経済では数年に一度の割で「経済恐慌が起きる」そこから経済システムを計画的に需要に応じた生産を行う。
ワヤク ところが、需要の把握が官僚には的確にできないのです。
また、その動機もありません。
適当に作って割り当てるだけです。
それでちぐはぐになってしまったのです。
市場経済の方がはるか真剣に市場把握をしようとするので需給バランスがうまくいくのです。
消費者主導型になれば需要と供給は完全に一致し、不良在庫などは発生しません。
配達型の生協に在庫が無いのと同じ事です。
店舗型はロスがあるので赤字に転化しております。
縄文前回 それが計画経済です。でも結果的には市場経済に敗れてしまったということです。
ワヤク マルクス主義者との論戦で敗れていった人の中にそのような人はいたでしょう。
「改良か革命か」という二者択一を迫られる論法に私は非常に胡散臭さを感じます。それらは二者択一ではなく、相伴って前進するものでは無いのでしょうか?
縄文 そこにはまだマルクス主義が完全だと思っているのではないでしょうか。
ワヤク 完全と思っておりません。
「革命と改良を同時に実現」が正しいスローガンであって
「革命か改良か」は革命勢力を分裂させる為の資本主義側の攻撃であったと思います。
縄文前々回 たぶん今よりも人権が無く支配者が、マルクス的に言えば搾取の限りを尽くしていたということがいえます。
ワヤク前回 それは何とも言えません。
歴史において「もし、マルクスがいなければ」という仮定に基づいて推測する事にはほとんど意味がありません。
実際に起こった事は1つだけの歴史であり、無数の要素の絡まり合いで歴史は動いているのであって、その中のたった1つの要素をのぞいたらどうなるかなんて考えようも無いのです。
ヘーゲル左派の中から同じような事を主張する人が代わりに出てきたかも知れません。
しかし、そんな事を言っても無意味です。
縄文前回 ヘーゲルは最終的には有神論に結びついていったのではなかったかと記憶していますが。
ワヤク そうですね。
当時は神を否定する事は弾圧を覚悟しなければなりませんでした。
ヘーゲルは内心は神を否定していただがあくまで肯定しているかのような
倒立させた論理をあえて展開していたのでは無いでしょうか?
縄文 そこからヘーゲルの観念論弁証法に対しマルクスの唯物論弁証法が出てきたと私の頭の中に入っておりますが。
ワヤク そう考えられております。
しかし、マルクスはヘーゲルを逆さにしただけでよかったというような事を書いていたのでは無いでしょうか?
すなわちヘーゲルは充分に分かりやすくお膳立てをやっていたのですよ。
無意識かも知れませんが。
縄文前回 やはりものを考えるには唯物論弁証法が科学的方法論だと信じています。
ワヤク しかし、唯物論の意味と弁証法の意味は非常に分かりにくいですね。
唯物論と言った場合、自分の意識作用を自覚している自分とは何か?
という事が問題としてあります。
意識作用を全て物質の運動だと言ってみたところでどのようにしてそれが行われているのか少なくとも私には分かりにくいです。
弁証法も全てが関連を持って運動しているという世界観以上のものを導き出すのは難しいです。
縄文 私が考えますには唯物論とわ科学的に問いかけ回答を出すでいいのではないですか、回答(本質)を出す段階が弁証法です。あくまでも直感的なものを廃していく。それが唯物論だといえます。上記「自分の意識作用を自覚している自分とは何か?」ということではそれが真の自分だということです。そこから自分が持っていた今までの知識を疑い、自覚した真の自分の意識で全てを組みなおす。それが思想ということだと思いますが。ただし他人から見た時独断といわれるようではだめです。
縄文前前回 残念なことにソビエト社会にしても、中国・東ドイツ他、諸々の国にしても社会主義が失敗してしまった。何がその原因を作ったのかを、これから出来る範囲内で書いていきますが、ただ、言えることは社会主義がだめで資本主義が人間の社会だという風潮は木を見て森を語ることに過ぎないということになります。
ワヤクチャ それは言えません。
少なくとも社会主義は資本主義の中から出てきた実験としてあったのですから。市場経済に変わるシステムを我々は作り出さなければならないのです。
縄文 社会主義思想というのは資本主義以前から考えられていたと思いますが。ただ、マルクスに言わせればそれ以前は空想的社会主義だということですが、唯マルクス主義も結果的には空想の域を出なかったのではないかといえますが。
ワヤク前回 社会主義がだめなのは特権官僚を生み出したからでしょう。 一党独裁の必然的帰結です。 資本主義もまた貧富の差の拡大を抑制できないという意味においてダメなのです。
縄文 社会主義がだめなのではないと言い切れます。
ワヤク そうですね。社会主義一般がダメなのではなかったです。
過去に出現した一党独裁型社会主義がダメだっただけです。
縄文前回 現在の役人(国家公務員・地方公務員)にしても社会主義的な要素の中で終身雇用性が守られていますが、それはあくまでも支配者側についてきた歴史の中でのことであり、この先の資本主義社会が生き残っていく中では民間企業化されていくと判断できます。
ワヤク 民間企業化されてうまくいくとは私は思えません。
要は国民が監視できなかったという問題なのですから。
縄文 資本主義社会では民衆の監視システムはありません、民衆は監視されるだけです、この阿修羅にしても監視の目が光っております。
縄文前回 つまり利潤追求の中では公務員といえども契約社員化されていくとよんでいます。 それが小泉総理の郵政民営化論だといえます。本来我々民衆のチェックが入れば済むことだからです。
ワヤクチャ その通りです。
縄文前回 公務員にしても我々民衆のチェック機能が入らないのが原因ではないでしょうか。そこから公務員は支配者側に従属した組織から出発したために、彼らは民衆の上に君臨すると勘違いしているのです。
ワヤク 日本ではそうですね。
政権がどうなろうとその政権の上にいる存在のように振舞ってきましたら。
縄文 これから民営化の手が公務員といえども自分達に降りかかれば我々に助けを求めてくるはずです。
ワヤク 郵便局の職員と我々は連帯すべきですね。
それもまた日本国民党の課題です。
民営化は郵便局の合理化を進めるでしょう。
その事によって首になる職員が出てくるだろうし
サービスも低下するでしょう。
過疎地の郵便局は廃止されると思います。
また、コンビニ化で労働は強化されるでしょう。
縄文 確かに労働は強化されますね、ただし特定郵便局の局長が世襲というのは考え物です。
ワヤク 郵便局の職員の方、投稿をお願いします。
縄文前回 まだまだ書きたいことはありますが少しずつ出していきます。
縄文前回 また議論しましょう。それから様ではなく、さんで行きましょう
ワヤク はい。縄文ビトさん。
よろしくお願いします。
縄文 こちらこそお願いいたします。ワヤクチャさんとは馬が合いそうですね。以前の調和人さんと同じように見えますが。たぶん私の思い違いでしょう。