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(回答先: 貨幣論として、ワヤクチャさんとの議論 別にどなたでも議論いたしましょう 投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 2 月 07 日 11:01:47)
縄文ビトさん、こんばんは。
貨幣とは何か?
と問うよりも
現にある貨幣をどう取り扱うか?
の方が重要な気がします。
減価する貨幣を地域で導入する。
ドルの価値を下げる事によってアメリカの地位を落とす。
その為にアメリカの国債を買い支えする事をやめる。
IMFを解体する。(スティグリッツ)
地球規模で資産に対する課税を行う。
地球規模で所得税や為替・株取引税を導入
といった事が大事だし、現実的でしょう。
>貨幣論として、ワヤクチャさんとの議論 別にどなたでも議論いたしましょう
>http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/439.html
>投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 2 月 07 日 11:01:47: egUyw5BLxswRI
> ワヤクチャさんおはようございます。
> なにぶんにもパソコンがネットに繋がっている所と自宅とは違いがありますので返>信は月曜日となってしまいますので遅れてしまいました。
>>政治板で愚民党さんやODAウォッチャーさん達と「日本国民党」創設に向けて
>対話しておりました。
>私はまだ創設、そのことは考えておりませんが。
政治は待ったなしです。
我々の主張を実現する政党は常に必要です。
もし、現実の政党で我々に有利な政策を提案する政党が無ければ
我々は政党を作るべきです。
この事をやらずにいくら議論を繰り返しても政治は変わりません。
政治と議論は両方常に必要なのです。
>なぜならまずマルクスの問題点を解明し、未来社会はどうあるべきかを書く必要があ>るからです。
その事も必要でしょう。
しかし、政策立案能力無くして未来を語る事など考えられません。
マルクスのいいとこ取りをしながら具体的政策もきたるべき未来も同時に語って
いこうではありませんか。
>第一に言えることはマルクスが問題にしていたのは私有財産が不平等の原因であると>考えていたことです。
その通りです。
私有財産は他者の労働を買う事によって自己増殖を果たしました。
この自己増殖を止めるものは資本主義社会にはありません。
>それはマルクスノ「経済学・哲学草稿」の中の「阻害された労働」の項を見ても。そ>こに数多くの私有財産という言葉が出てきます。また私有財産が不平等の原因だとい>った歴史は非常に古く1516年に出版されたイギリスの政治家で思想家のトーマ>>ス・モアの『ユートピア』という小説の中に、世界のどこかに存在するユートピア島>について、その島の政治・経済制度および道徳、宗教のあり方を紹介する形として、>私有財産制度の否定と社会的な共有制について書いております。つまりマルクスの不>平等の原因は私有財産だという考え方が出発点になっています。
そうですね。
しかし、トーマス・モアはその島への行き方が分かりませんでした。
マルクスは労働者階級こそがその島へと行進する部隊だと思いました。
しかし、実際に出現したのは労働者階級の党を名乗る官僚独裁の党でした。
そして官僚の私有財産は巨大なものになったのです。
>そして私、縄文ビトは不平等の起源を他者の労働の私有化が発生の原因であると捉え>直しています。
貨幣によってそれは行われました。
>>NHK問題も目が離せません。イラクもですが。
>確かにその通りだといえます。
>>マルクスはシステムを問題にしたと思うのですよね。
>ところが後輩の「マルクス主義者」達はシステムの問題よりも
>階級間の闘争を重視する方向にシフトしてしまったのだと私には思えます。
>それで人間同士の対立の話に摩り替えられたと思うのです。
> このところも私は違うように考えています。マルクスの論理性の欠陥(私有財産の>否定)が多くの人々がいろいろな形で多種多様な方向性を引き出してしまい、収拾の>付かない状態を革命後の社会に持ち込んでしまったことで、意見の不一致から権力闘>争に始まってしまった。
生産手段の所有形態をうまく作り出せなかったということかと思います。
例えば国有であればそれは1人1人の労働者からは疎遠なものになってしまい
いつまでたっても労働者は賃金奴隷から脱出できなくなってしまったのです。
資本家に代わって官僚が登場しただけであり、労働者の無所有状態は同じでした。
>そこから勝ち残ったものが言論の自由があったのでは彼らの頭の中にあるマルクス絶>対主義的な考えでの社会主義社会が成り立たないと判断し一党独裁体制をより強化し>ていったと見ています。
一党独裁は労働者階級の利益を代表する党はたった一つでなければならない
という理論から生まれたものですが、この事が正しいかどうかの検証が必要です。
第一、国家という巨大な単位でたった1つだけの政党しか存在を許されないという事が
果たして現実に即しているのかどうかが問われなければなりません。
なるべく小さな地区の単位での自給自足的な経済が必要ではないでしょうか?
> >階級間対立・国家間対立・民族間対立・宗教間対立などありとあらゆる人間集団>同士
>の対立は意図的に作られたものであるという感じが致します。
>対立を煽る思想があり、まんまとそれに乗せられてしまったのだと思うのです。
>確かにそのような面もありますが、やはりそこにも人間不平等の原因が理解できなか>ったからだと考えられます。たとえば宗教一つ取っても不平等の原因を物欲、つまり>私有欲、それは私有財産の否定に結びついていくからです。また国家間の対立で誰が>儲かるのかというときも一部の資本家であり。利益を得るのは国民全体ではないとい>えます。
個々人の利益をないがしろにし、巨大な集団の利益を優先するという欺瞞が
私有財産とセットにして行われてきました。
つまり、個人は経済的に支配され、政治的にも支配されてきたのです。
2重に支配されているにも関わらず、その事に無自覚であったのです。
>人間全体の利益になるには国家を超えた社会ができるかという一言につきます。
そうです。
それが地球社会です。
元々国家というものは存在しませんでした。
地球を様々な国家に分裂させる事によって権力者は分割統治してきたのです。
八百長をやらせて。
その事に我々はそろそろ気づく必要があります。
イスラエルのユダヤ人にも教えなければなりません。
あらゆる民族主義者や排外的宗教家や国家主義者に教える必要があります。
権力者はあらゆる対立軸を作り出して人間同士を殺し合いさせて管理してきたのです。
>当然、階級間対立も二つの階級、マルクスが言うのには資本家と労働者ということに>なりますが、これは人間の歴史全体に当てはめることは出来なく、ただ資本主義社会>の中での対立構図で考えていたからだといえます。
資本主義の中では確かに対立します。
しかし、資本家と労働者階級を憎しみ合うように誘導するのは間違いです。
これではうまくいきません。
資本家ともよりよき社会について対話すべきです。
>人間全体の歴史的な中で考えるとすれば私が言うように不平等の原因は「他者の労働>の私有化」の発生がそもそもの原因であったということになります。
それはそうですね。
> 民族間対立もお互いの民族の、利益になるかならないかということで対立を生んで>いるということになり、両民族とも平等の利益が成り立つならば対立は起きないとい>えます。対立している両民族に「人間とは何か」という学習が足りないのではないで>しょうか。
いや、やはり私有財産をどの民族が占有するかをめぐっての闘争でしょう。
そのような闘争が無意味になるような制度を作るべきなのです。
「減価する貨幣」などはそういうシステムです。
価値が目減りしていけば資本蓄積は不可能になるのです。
これは、ミヒャエル・エンデが紹介した貨幣です。
提唱した経済学者の名前はゲーテルだったかな?
ケインズも評価した経済学者です。
スイスで実際に発行されて景気を回復した地域通貨です。
>>>生産手段の所有の有無をめぐって人間同士が争うなんて本当は馬鹿げた争いだと
>思いますよ。
>この問題はもっと非暴力的に解決できるはずの問題であると考えます。
>それが「生産手段の社会的所有」路線です。
>マルクス以前の考え方、つまり資本主義的な考え方を一掃しないとこの問題は 解決し>ないと思います。
資本主義的な考え方ですか?
それは今人々が普通に持っている考え方なわけですね。
それを一掃するのですね?
そどうやってするのでしょうか?
そんな事よりも具体的政策の実現で少しづつ我々の考えを実現する方が近道では?
>また残念なことにマルクス主義では生産手段の社会的所有にはどんなことをやっても>私有財産否定の論理ですので、どのような政党が政権をとったとしても行き着く先は>百家争鳴となり同じことの繰り返しと見ますが、つまり後から詳しく述べますが日本>共産党が未来社会がこうだといって政権をとったとしても同じことの繰り返しになる>とはっきりといえます。
問題は私有財産の廃止は一気にはできないという事です。
貨幣に対する統制をうまく行う事によって少しづつ進めていきしかないのです。
>生産手段の社会的所有にいくまでの確とした論理を打ち立ててからでないと同じこと>の繰り返しになります。
私有では無く、国有でも無く、協同組合による所有という形態が考えられます。
実はそれは現実の生活協同組合が行っている事です。
生活協同組合の資産は組合員の所有であるからです。
回答はこれです。
>私が最初のとこで言った「日本国民党」創設のとこで、まだ考えていませんと言った>のはそのことです、いたずらに公安警察を刺激するだけです。
公安警察はどうする事もできません。
合法的活動に介入する事はできないのです。
私は合法的に革命を行おうとしているのです。
それは可能です。
暴力に寄らない人々の合意による革命です。
経済システム変革革命です。
>>>確かにマルクス主義としてはプロレタリアーと(労働者)が団結し革命を起こ>>し、つまり暴力的に政権を取るという事があります。それは背景となる時代的社会が>現在のように民主的(現在も真の民主的社会とはいえないが)な要素が無いことか>>ら、またマルクス自身が人間を信じすぎていたという面があると思いますが、まさか>労働者が政権を取った時一党独裁として、政治を動かす者が権力者になり民衆を支配>するとは考えられなかったのではないでしょうか。
プロレタリアート独裁の概念を問い直す必要があります。
巨大な国家という単位でプロ独をやるという事が官僚機構を作る事しかならないという
事を充分に認識する必要があります。
我々は特権的な官僚機構ができないようなシステムを作る必要があるのです。
それは、官僚に対する批判を保障するような体制でしょう。
多くの人が参加して合議して決定していくような計画経済が必要です。
それが消費者主導型の計画経済です。
コンピューターと注文後生産体制への可能か限りの切り替えによって可能です。
デマンドサイド経済です。
ブッシュ政権のサプライサイド経済の対極にあるものです。
ポール・クルーグマンも指摘しております。
>>権力を取った瞬間から腐敗は始まると思います。
>うまい汁を吸おうとするのです。
>それが人間の常であり「人民に奉仕する前衛党」神話などは権力を取るまで
>党員に犠牲を強いる為のデマゴギーであると考えます。
>つまり党権力者による党員の手段化です。
>確とした理論を打ち立てればその心配は無いと考えます。
少なくとも権力の交代のシステムは作っておくべきです。
>また後でこのことに触れていきますが、簡単に言えば「あなたの行いは他者の労働の>私有化に当たる行為ですよ」と注意をすれば権力(その社会では権力者は存在できる>のか?)者は社会的な糾弾を受けるのを恐れやめざるを得ないのではないですか、
そのような批判が通用するようなシステムが必要です。
というか批判以前に法律でそのような行為が不可能なようにすべきです。
>その社会では百家争鳴は「あなたの行いは他者の労働の私有化に当たる行為ですよ」>と言うだけで社会がまと纏まっていけるものと考えています。
>>同じものです。
>一刀両断ですね
官僚主導型経済という意味では旧ソ連も日本も同じです。
社会主義なる概念の内容はそこでは極めて曖昧です。
>>しかし、階級闘争論では無い、経済システム変革論者が勝利をしていれば
>世界はもっとよくなっていた可能性もあります。
> マルクス主義の中に「百家争鳴」になってしまう要素がありどのようなことをやっ>たとしてもムダだと考えます。
そうですね。
解釈がいかようにでもできる要素はあったのでしょう。
それぞれが自分の理論に合わせてマルクスの都合のいい所だけを引用するような事を
やってきたのでしょう。
資本論のような膨大な文献を作ればそれは避けられない事でしょう。
>もし真理としての理論でしたら世界が同じようになっていたと思います。計画経済は>資本主義国と社会主義国の差を広げてしまったものではないでしょうか。「経済シス>テム変革論者」といえども計画経済に入らざるを得なかったのではないですか。
そうです。
計画経済の一派です。
消費者主導型の計画経済であり、党官僚主導型では無いのです。
全然違ったものになります。
>マルクスが描いた経済システムは資本主義経済では数年に一度の割で「経済恐慌が起>きる」そこから経済システムを計画的に需要に応じた生産を行う。
ところが、需要の把握が官僚には的確にできないのです。
また、その動機もありません。
適当に作って割り当てるだけです。
それでちぐはぐになってしまったのです。
市場経済の方がはるか真剣に市場把握をしようとするので需給バランスがうまくいくのです。
消費者主導型になれば需要と供給は完全に一致し、不良在庫などは発生しません。
配達型の生協に在庫が無いのと同じ事です。
店舗型はロスがあるので赤字に転化しております。
>それが計画経済です。でも結果的には市場経済に敗れてしまったということです。
上記によるものです。
>>マルクス主義者との論戦で敗れていった人の中にそのような人はいたでしょう。
>「改良か革命か」という二者択一を迫られる論法に私は非常に胡散臭さを感じます。
>それらは二者択一ではなく、相伴って前進するものでは無いのでしょうか?
>そこにはまだマルクス主義が完全だと思っているのではないでしょうか。
完全と思っておりません。
「革命と改良を同時に実現」が正しいスローガンであって
「革命か改良か」は革命勢力を分裂させる為の資本主義側の攻撃であったと思います。
>>>たぶん今よりも人権が無く支配者が、マルクス的に言えば搾取の限りを尽くして>いたということがいえます。
>>それは何とも言えません。
>歴史において「もし、マルクスがいなければ」という仮定に基づいて推測する事には
>ほとんど意味がありません。
>実際に起こった事は1つだけの歴史であり、無数の要素の絡まり合いで歴史は動いて
>いるのであって、その中のたった1つの要素をのぞいたらどうなるかなんて考えよう>も
>無いのです。
>>ヘーゲル左派の中から同じような事を主張する人が代わりに出てきたかも知れま>ん。
>しかし、そんな事を言っても無意味です。
>ヘーゲルは最終的には唯神論に結びついていったのではなかったかと記憶しています>が。
そうですね。
当時は神を否定する事は弾圧を覚悟しなければなりませんでした。
ヘーゲルは内心は神を否定していただがあくまで肯定しているかのような
倒立させた論理をあえて展開していたのでは無いでしょうか?
>そこからヘーゲルの観念論弁証法に対しマルクスの唯物論弁証法が出てきたと私の頭>の中に入っておりますが。
そう考えられております。
しかし、マルクスはヘーゲルを逆さにしただけでよかったというような事を書いて
いたのでは無いでしょうか?
すなわちヘーゲルは充分に分かりやすくお膳立てをやっていたのですよ。
無意識かも知れませんが。
>やはりものを考えるには唯物論弁証法が科学的方法論だと信じています。
しかし、唯物論の意味と弁証法の意味は非常に分かりにくいですね。
唯物論と言った場合、自分の意識作用を自覚している自分とは何か?
という事が問題としてあります。
意識作用を全て物質の運動だと言ってみたところでどのようにしてそれが行われて
いるのか少なくとも私には分かりにくいです。
弁証法も全てが関連を持って運動しているという世界観以上のものを導き出すのは
難しいです。
>>>残念なことにソビエト社会にしても、中国・東ドイツ他、諸々の国にしても社会>主義が>失敗してしまった。何がその原因を作ったのかを、これから出来る範囲内で>書いていきますが、ただ、言えることは社会主義がだめで資本主義が人間の社会だと>いう風潮は木を見て森を語ることに過ぎないということになります。
それは言えません。
少なくとも社会主義は資本主義の中から出てきた実験としてあったのですから。
市場経済に変わるシステムを我々は作り出さなければならないのです。
>社会主義がだめなのは特権官僚を生み出したからでしょう。
一党独裁の必然的帰結です。
>資本主義もまた貧富の差の拡大を抑制できないという意味においてダメなのです。
> 社会主義がだめなのではないと言い切れます。
そうですね。
社会主義一般がダメなのではなかったです。
過去に出現した一党独裁型社会主義がダメだっただけです。
>現在の役人(国家公務員・地方公務員)にしても社会主義的な要素の中で終身雇用性>が守られていますが、それはあくまでも支配者側についてきた歴史の中でのことであ>り、この先の資本主義社会が生き残っていく中では民間企業化されていくと判断でき>ます。
民間企業化されてうまくいくとは私は思えません。
要は国民が監視できなかったという問題なのですから。
>つまり利潤追求の中では公務員といえども契約社員化されていくとよんでいます。
> それが小泉総理の郵政民営化論だといえます。本来我々民衆のチェックが入れば済>むことだからです。
その通りです。
>公務員にしても我々民衆のチェック機能が入らないのが原因ではないでしょうか。そ>こから公務員は支配者側に従属した組織から出発したために、彼らは民衆の上に君臨>すると勘違いしているのです。
日本ではそうですね。
政権がどうなろうとその政権の上にいる存在のように振舞ってきましたから。
>これから民営化の手が公務員といえども自分達に降りかかれば我々に助けを求めてく>るはずです。
郵便局の職員と我々は連帯すべきですね。
それもまた日本国民党の課題です。
民営化は郵便局の合理化を進めるでしょう。
その事によって首になる職員が出てくるだろうし
サービスも低下するでしょう。
過疎地の郵便局は廃止されると思います。
また、コンビニ化で労働は強化されるでしょう。
郵便局の職員の方、投稿をお願いします。
>>まだまだ書きたいことはありますが少しずつ出していきます。
>また議論しましょう。それから様ではなく、さんで行きましょう
はい。縄文ビトさん。
よろしくお願いします。