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(回答先: 「ホロコースト」について。竹中半兵衛さんへ 投稿者 たけ(tk) 日時 2005 年 1 月 29 日 17:42:00)
『夜と霧』について
『夜と霧』の旧版と新版を買ってきました。
実は、たけ(tk)は旧版を30年くらい前にも買って読んでいます。感銘を受けました。フランクルは誠実に事実だけを語っていると感じました。内容にも感動しましたが、このような問題に対して、誠実に語る態度にも、感銘を受けたものです。
その頃すでに「ガス室」の話がさかんに宣伝されていましたので、怖いもの見たさに買って読んだわけです。
しかし、その時の印象を記憶を頼りに再現すると
「フランクルはガス室を知らなかったのだ、考えてみれば、収容所の中の囚人が知り得ることではなかった、知らないことを書いていないとは、考えてみれば当然だ」
という感想だったわけです。それで、フランクルは非常に誠実な人であって、その記述は信頼に値する。人間はどう生きるべきかという大きなテーマの前では、ガス室の有無などという小さなテーマはかすんでしまうのだ、と納得していました。
それで、如往さんが↓のような形で『夜と霧』の話が出たので、かなり面食らいました。巻末資料については全く記憶がなかったからです。大昔の本を捜そうとしたのですが、やっぱり無理でした。
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/1080.html
> おそらく多くの人達に共通するものでもあるように、ユダヤ人にたいする関心を引き起こさせる切っ掛けにもなった、V・E・フランクル著『夜と霧』(霜山徳爾訳)を書棚から引っ張り出して、手元に置いています。
> そこで、前から疑問に感じていたことは、巻末資料のマイダネック強制収容所(ポーランド)のガス室と焼却炉に関するものです。主に、「1)二つの設計図は、その真偽も含めてどこの収容所の施設を基にして設計されたものか。2)マイダネック収容所において、ガス室と焼却炉が建設され、実際に稼動したかどうか。」、このニ点です。
それで、しょうがないので、新版でもいいやと思って書店に行ったら、旧版も並んでいた。お蔭様で久しぶりに名著と対面することができました。
で、読み返してみると・・、「ガスかまど」という表現で出ていたんですね。
収容所の囚人たちが「ガスかまど」の存在を信じていたのは事実のようです。
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囚人輸送があるということを、われわれが聞いたとする。・・「ガスの中に入れられる」ということを推測するのである。すなわちその輸送とは病人や弱り果てた人々から、いわゆる「淘汰」が、・・行われて、ガスかまど及び火葬場のある中央のアウシュビッツ体収容所で殲滅されると考えるのである。p.77
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しかしフランクル自身は「ガスかまど」の存在を本当に信じていたのかは疑問です。
これに相当する彼の体験が、p.149に次のように書かれている。
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「私は病囚の所へ行きます。」と私は彼に言った。同情の眼差しが彼の目をかすめた。恰も彼が私の不吉な運命を予感したかのように。……
・・私は口伝えの遺言をしたのである−−・・
次の朝、私は輸送隊と一緒に出発した。・・この輸送はまたガスの中へも行かなかった。そして本当に病囚収容所に行ったのである。p.149-p.151
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もし、フランクル自身が「病人は「ガスかまど」行きだ」と完全に信じていたのであれば、こんな決断はしないだろう。
フランクルは「ガスの中に入れられる」という噂を半信半疑で聞いていたからこそ「私は病囚の所へ行きます」という決断をしたのだ。
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貨車の中で不安に待っている人々の群れから突然一つの叫びがあがった。「ここに立て札がある−−アウシュビッツだ!」・・アウシュビッツは一つの概念だった。すなわちはっきりとはわからないけれども、しかしそれだけに一層恐ろしいガスかまど、火葬場、集団殺害などの観念の総体なのだった! p.84
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これに対応する、フランクルの体験は次のようなものだ。
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−−これからシャワー室に追い込まれた。・・しかしシャワーの漏斗から実際に−−水が滴り落ちてくるのを認めて喜んだ。p.92
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右側に送られた人々は、停車場のプラットフォームから直接にガスかまどのある火葬場の一つに連れていかれ、そこで彼らは−−そこで働かされている囚人が後に私に教えてくれた所によれば−−この建物は「浴場」である、とヨーロッパの数ヶ国語で記されているはり紙を見ることができた。・・その次に何が起こったかということについては私は語らなくてもよいと思う。それは信頼し得る報告によってすでに知られているとおりである。p.89
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これは伝聞である。伝聞を伝聞として語る態度は信頼できる。
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私はすでに長く収容所にいた仲間の囚人に、私の同僚や友人のPはどこへ行ったのだろうかと聞いた。・・「あそこでお前の友達は天に昇っていってらあ」と粗野に答えた与えられた。・・まもなく私は「手ほどき」をうけて理解しはじめた。
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フランクルは「・・と聞いて」「理解した」のである。
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囚人である六十余歳の在るブロック医師が自ら私に語ってくれた所によると、彼はガスかまどに入れられることにきまった彼の息子を助けてくれるように、ドクター・Mに哀訴懇願した。しかしドクター・Mは厳しく冷たくそれを拒否した。p.98
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これも伝聞だなぁ。
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すでにわれわれより一週間早くアウシュビッツに到着していた一人の知人が・・「ただ一つのことを君達に忠告する。それは、ひげを剃れ、ということだ。・・病気になるな、また病気のように見えさせるな。・・翌日はガス行きは受け合いだ。・・」(と忠告した)p.98
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これに対応する彼の体験がすぐ後に書かれている。
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少しの間、私は発疹チフスのバラック病舎に横たわっていた。そこはすべてひどい高熱で?妄状態の患者であり、彼らの多くは死につつあった。p.102
私は地面の上の堅い板の上に約70人の仲間とともに「静養中」であった。すなわちわれわれは病気と認定され、労働のために収容所を出て行進していかなくてもよかったし、点呼にも出なくてよかった。一日じゅうわれわれはバラックの中のその狭い場所に転がって過ごしてよかった。p.139-p.140
(医師として働きはじめたのち)私の夢を引き裂くものといえば・・新たに収容所に着いた薬を私の隔離病舎のために取りにくるようにと、私を病舎に呼び戻す声だけであった。−−その薬というのは、50人の患者の数日分が僅かに5錠(一度だけは10錠)の代用アスピリンかあるいはカルジアゾールなのであった。p.144
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フランクルは、自らの病人としての体験および医師としての体験から、病人として「選別された」病囚達が実際には病舎の中で死んでいるのを知っていた。確かに、まともな治療を受けることもできずに病舎の中のベッドで多くの病囚達が「淘汰」されてしまった、という事実も知っている。しかし、ガス室によって淘汰されたのではない。何日かの静養にもかかわらず「淘汰」されてしまったのである。
ところが、このように書いた後で再び次のように書いている。
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病囚達の運命はもうガスかまどに決まっていたのだ。p.147
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フランクルは病囚達が実際には病舎の中で死んでいるのを知っている、とするなら、ここでいう「ガスかまど」とは何を意味するのだろうか?
フランクルのいう「ガスかまど」は、一般に言われている「ガス室」ではなく、病舎の中で死んで火葬されるという意味で「ガスかまど」という言葉を使っているのではなかろうか?
もう一つ、「いわゆるガス室」がなかったと思わせる記述がある。監督する側の人間が囚人を脅すのであれば「ガス室」で脅した方が効果的のような気がするのだが、何故かいつも死刑執行の方法は絞首刑らしい。
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(アウシュビッツに入った直後)われわれのバラックの監督囚人は挨拶の演説をした・・(不正行為をした人間を)、間違いなく「この梁に」(彼はそれを指さした)ぶら下げてやることを「誓って」保障した。p.92
(模範的存在とみなされるようになった後で)古い毛布のへりを切り取るというがごとき「犯罪」・・やどんな「窃盗」でもこれからはサボタージュとみなされ、絞首刑をもって罰せられるということが布告されていた。p.187
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読み直した後の結論も、「フランクルはガス室を知らなかったのだ、・・知らないことを書いていないのは、考えてみれば当然だ」という感想のままです。
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【新版について】
ちなみに、旧版は1947年つまり戦後3年目くらいの記述、新版はそれから30年後の1977年の改訂版だそうです。72歳にもなればいろいろ思い出すらしい。
新版の解説によると、『旧版には「ユダヤ」という言葉が一度も使われていないのだ』が『新版では、・・「ユダヤ人」という表現が二度出てくる』とのこと。
また、新版p.147の(人によっては「感動的な」)下記の文章は新版で新たに挿入されたものらしい。
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http://dewanokuni.hp.infoseek.co.jp/Review66.htm
「わたしたちはおそらくどの時代の人間も知らなかった人間を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を決定する存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りを口にする存在でもあるのだ。」
上記の文は改訂版で新たに挿入された一文である。
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* 内容はともあれ、新版は文体が肌にあわない。旧版の透き通るような緊迫感がなくなっている。
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【右側に送られた人々についての補足】
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右側に送られた人々は、停車場のプラットフォームから直接にガスかまどのある火葬場の一つに連れていかれ、そこで彼らは−−そこで働かされている囚人が後に私に教えてくれた所によれば−−この建物は「浴場」である、とヨーロッパの数ヶ国語で記されているはり紙を見ることができた。・・その次に何が起こったかということについては私は語らなくてもよいと思う。それは信頼し得る報告によってすでに知られているとおりである。p.89
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フランクルはアウシュビッツで最初に選別されて右側に行った人々の運命をもちろん知らない。↓の記事に出ているマリア・ファンヘルヴァーデンさんは左に行けた人なのかもしれない。
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http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/ausch5.htm
アウシュヴィッツに収容されたー人にマリア・ファンヘルヴァーデン(Maria Vanherwaarden)と
いう女性がいる。全く無名の人ではあるが、この人がー九八八年の三月に、カナダのトロントで述
べた証言は極めて興味深いものである。
彼女は、一九四二年にアワシュヴィッツ及びそこに隣接するビルケナウ強制収容所に収容された
のであるが、列車で移送される途中、同乗したジプシーの女性から、アワシュヴィッツに着いたら、
彼女たちは皆「ガス室」によって殺されてしまうのだという話を聞かされた。当然、彼女は、ジプ
シーが語ったその話に恐怖を抱いた。
興味深いのは、その後である。彼女の証言によると、アウシュヴィッツに到着すると、彼女た
ちは、服を脱ぐよう命令された。そして、窓のないコンクリートの部屋に入れられ、シヤワーを
浴びるよう言われたという。ここで、彼女たちの恐怖は頂点に達した。列車の中でジプシーの女
性から「ガス室」で殺されるという話を聞かされていたからである。ところが、彼女の頭上のシ
ャワーから出てきたものは、「ガス」ではなく、水だったのである。
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【巻末資料について】
ごめんなさい、何も知りません。僕も真偽を知りたい。