現在地 HOME > 議論20 > 425.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
なぜ、思想(宗教)を語らざるを得ないか、計算機科学の観点から、概略をまとめます。
計算機科学は、計算機では解けない問題があることを、証明しました。1000年計算しつづけても、解けない問題があることを。
さらに、現在の計算機モデルでは、実際的には解けない問題があることも、証明しました。実際的に、というのは、明日の天気予報を求めるのに、いまから計算を始めると、明日の予報が出るのには、来年まで待たなくてはならない、というような意味です。(量子計算機は、この点を解決するかもしれませんが。)
仮に、人間の計算能力が、計算機と似たようなものとすれば、人間にとっては、計算という手順を使っては、解けない問題がある、ということになります。
そこで、どれほど科学が進展して、よりよいモデルを作成しても、思想(宗教)が関わらざるを得ない課題が残るわけです。
話しは、飛躍しますが、たとえば、1890年代、1900年代に、計画経済を行うか、市場経済でいくか、という課題が、ありました。当時は、計画経済を一度も試した事がなかった訳ですし、また、計算的に、計画経済の展開を解く事は、実際はできませんでした(今でも、実際的には無理です)。
結果、どうするかは、思想(宗教)的な判断とならざるを得なかったのです。
経済問題は、大抵が、計算機では、実際的には、解けないのです。
産業連関など、まじめにやれば、変数が多すぎます。仮に、わずか、1000の変数を使うとします。その一つの変数が、わずか、2つの値を取れるとします。制約を設けなければ、2の1000乗の場合ができます。計算機では、扱えません。
さらに、別の観点からは、本当の意味で、計算は不可能です。裏をかくケースを、計算しきれないのです。人のやることの裏を、その裏を、そのまた裏を、・・・。企業は、他の企業の出方の裏をとることがありますよね。債権、株式相場では、裏を行く、のが地でしょう。しかし、裏を行かないかもしれません。(一つの変数が、2つの値のどれかをとる、というように、予め、きめられないのです。)
経済学の発展で、より妥当なモデルを作成し、ましな予測を立てられるとしても、限界があります。
現在の日本の経済状態で、増税をしても大丈夫なのか、不況に転落してしまうのか、計算できません。(計算できれば、いろいろな意見がでなくて済みます。)
思想(宗教)の役割が、登場します。計算するケースの種類に、強力な制約を、思想が与えるのです。その強力な制約の中で、ましな答えを、計算して求める、というようにならざるを得ないのです。