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(回答先: 相対化する安全・・・選択肢の一つになった安全・・遅くてもよければ私鉄を 投稿者 ジャン 日時 2005 年 5 月 07 日 10:11:21)
ジャンさん、どうも。
安全を個人的に確保するだけでは不充分です。
安全を求める個人が集まって社会を制御する必要があるのです。
NPO安全協会を設立しませんか?
同じような趣旨のNPOは既にあるのかも知れません。
しかし、私は知りません。
であるならば自分が作ってアピールする事によって、もしそういう団体があれば連携していけばいいだけです。
今回の列車事故をきっかけに大きな反響があると思います。
例えば国は国民の生命を守ってくれません。
いい加減です。
国のJRに対するこれまでの指導も問題にしないといけないでしょう。
だからこそ個人が集まって安全性を追求する組織を作る必要があるのです。
労働組合とも連携する必要があるでしょう。
>相対化する安全・・・選択肢の一つになった安全・・遅くてもよければ私鉄を
安全第一を基本にすべきであり、スピードを求める利用者の傾向を批判しなければなりません。
また、利用者がスピードを求める社会的要因にメスを入れなければなりません。
基本的にスピードが金を生むというシステムに問題があるのです。
我々は安全が金を生むというシステムに切り替えるべきです。
>>http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/1021.html
>>投稿者 ジャン 日時 2005 年 5 月 07 日 10:11:21: tV9DFzLB7Zpg6
>(回答先: 安全を確保するシステムとは何か? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 5 月 >05 日 21:54:28)
> 上のほうでも書いていますが、商品は消費者の耐えざる選択の中で進化するのだか>ら、消費者の良識が安全に寄与するはずです。
その通りです。
我々は安全性を第一に考える消費者になるべきです。
スピードを犠牲にしても安全性確保に努めよという事です。
>ソ連・東ドイツ・中国などの「遅れた商品生産社会」の一つである国家資本主義では、>そうした市民が育っていなかったから、安全は守られないのでは・・。
消費者に選択の余地が無かったから生産者に対する規制が働かなかったのです。
> しかし、このところ日本で進んでいる事情は、安全の相対化であり、安全を個人の選>択肢の一つにすることでしかない。
そうですね。
安全確保は個人の力量でやって下さいという事でしょう。
何の為に税金を払っているのかと思いますね。
でも文句を言うだけでは始まりませんので個人が集まって安全性を追求する団体を作る必要があるのです。
その内、そのような様々な団体によって個人の生活の安全は守られるようになり、政府は何の為に存在しているんだろう?って事になるでしょう。
> インフルエンザの予防接種は、個人で選択することになって久しく、銀行のペイオフ>による、金融面での安全選択の自由、BSE全頭検査をせずにアメリカ牛肉を輸入解禁>>し、商品選択を自由にする。
情報を得ていない個人は極めて危険な状況に置かれる事になります。
その意味ではこの阿修羅掲示板のような危険を人々に知らせる機能が人々の拠り所となるでしょう。
しかし、アメリカ産牛肉なんて輸入すべきで無いし、食べるべきでもありません。
不買運動をしましょう。
ここでしてアメリカと仲良くする必要はありません。
危険なものを食べてまで仲良くするって正真正銘の奴隷ですね。
アメリカ奴隷ですよ日本国民は。
もうそろそろ主張してもいいはずです。
>中には、自前で検査済みの表示をするものもあるだろうが、高くてもそれを買うか否か>は個人の自由。鉄道も安全がよければ、私鉄を使え。
そういう事ですね。
貧乏人は危険を承知で買い物をせざるを得なくなる。
ある意味棄民政策ですね。
貧乏人は毒を喰らって死ねばいいという。
貧乏人は死を以ってアメリカとの同盟維持に貢献せよという事。
これはもはや戦争ですね。
食料戦争です。
> 利潤率の逓減で、安全社会は崩壊して、他の価値と比較選択する選択肢の一つになり>つつある。
利潤を上げなければ成り立たない企業が基本にあり、企業を成り立たせる為には安全性を犠牲にせざるを得ないという事です。
従って利潤追求を目的としないNPOや生協などの事業体によって経済活動をやっていく必要があるのです。
国家や地方公共団体も資本家の支配化に有る限りは利潤追求の道具にされるので安全性は確保できないのです。
国営か民間かの選択肢の中で、民間の中にはNPO、生協、株式会社の選択があるとういう風にしなければなりません。
> そんなことを、考えていました。
>>安全性をないがしろにする論理とは何でしょうか?
>1 利潤追求の論理(競争)
>2 官僚の責任転化の論理
>この2つが大きいと思います。
>JR西日本はこの2つ共が重なった為に事故が必然だったと思います。
>チェルノブイリではどうであったか?
>ソ連のアメリカとの軍事技術競争と官僚の無責任が重なったと思います。
>人間の健康に対する配慮という点で、国家間や資本間の競争や
>官僚の自己保身は大きな障害となっているでしょう。
>という事は我々が安全を確保する為には利潤追求が無い、競争が無い、官僚がいない
>制度を構築する必要があります。
>個々人がより多くの生産手段を所有し、簡単に使用できる生産手段を確保する事によっ>てこの3つはクリヤーできるのです。
>平均よりも必要以上に生産手段を所有しようとする人に対しては課税を強化してならす>必要があります。
>協同組合と税制の完備によってこれは可能です。
> ○生産する側のみの論理では、生産物やサービスの改善はありません。
確かにそうです。
ですから生活協同組合という消費者主導型の組織で生産を管理しようと提案しているのです。
>生産物やサービスを評価する立場が必要です。
その通り。
>生産物が商品として流通上で存在する社会にあっては、それは商品の購入者であり、購>入の選択によって改善が実現されます。しかし、常に利潤確保という使命を帯びている>資本主義においては、必ずしも良識は実現せず、税制その他の経済外強制によって、そ>れらの価値を実現しようとすることもあります。
安全性が低い商品に高い課税をするという事が必要です。
例えば合成洗剤に対する課税を行なうべきです。
安全性評価税という考え方です。
合成洗剤に対する課税で徴収した税金は石けん使用推進の為の事業に助成されるべきです。
安全を推進する税制を作るべきなのです。
原発関連産業に重税を課すという事も検討するべきです。
NPO安全協会で安全確保の為の税制を提案しましょう。
政党の政策に反映させましょう。
> 環境主義者たちは、グリーン商品を多数作り出し、それに助成していくような方法を>考えました。いまでは、価格が高いにもかかわらず、ほとんどの公共機関では再生紙が>使われている。
そうですね。
こういう事をどんどんやっていくべきです。
木造住宅を作っていくという事も必要です。
安全ファンドを作って資金調達をしましょう。
> そのような方法で、安全もまた、社会全体の常識にしていく方向が必要なのか?
具体的な取り組みで社会常識化していく必要があります。
環境問題も今から25年ほど前までは少数の好き者がやかましく言っているだけの問題でした。
今は随分メジャーになりましたね。
枝廣順子さんとか数多くの活動家のお陰です。
> それとも悪しき規制緩和として、安全を選択肢の一つにまでして、企業活動の自由を>広げるのか?
個人の選択に全てしてしまう方向は危険です。
知らされていない個人は危険な生活を強いられる事になります。
>>官僚は事故を誘発します。
>安全性を確保するモチベーションに彼等は欠けるからです。
>よって官僚支配による社会主義では事故は多発するでしょう。
>ソ連や中国の様々な公害がその証拠です。
>中国の大躍進運動などは惨憺たる結果だったようです。
>つまり官僚は机上の空論を実行するから恐いのです。
> ○官僚に限らず、自分で自分を客観的に批判して、より高度な躍進をとげることは困>難でしょう。生産側からのみ判断することが問題です。
そうですね。
作る側はどうしても甘くしようとしますからね。
「これぐらいいいだろう。」という。
消費者の厳重な監視の目が必要です。
その為にも生協でやっていく必要があるのです。
>>独裁も避けたいですが、民主主義とは何なのか?独裁を防ぐものなのか?
>という問題意識を持っております。
>結論としては意識的な政治を行なわない限りどのような形式であってもダメだという事>です。
>意識的な政治とは、自分が掲げる政策の結果についてとことん正確なシミュレーション>を提示するという事です。
> ○民主主義も機能不全に陥っているような気がします。
おまかせ民主主義は民主主義ではありません。
政治家におまかせで民主主義が機能するはずがありません。
代議制民主主義の問題であり、地域での直接民主主義組織が必要なのです。
住民投票はその1つの試みです。
>>政府批判は東(ドイツ)の方が困難だったでしょう。
>メディアが一元化されているからです。
>現在は資本主義社会においてもメディアの一元化が進められているのでかつての東側と>同じような状況が作られつつあると思います。
>ホリエモンの動きもそのようなメディア一元化の中でよりいい位置に自分がついていた>いという表れなのでしょう。
> ○メディアと権力が結びつくことは避けたいですね。
というかメディアが権力そのものなのです。
政治権力とメディア権力があるのです。
NHK問題は政治とメディアという2つの権力が癒着している問題なのです。
それを他のメディア権力である朝日が叩いたという事であり、権力闘争そのものです。
> それにしても、スキャンダルしかおわなくなったらメディアもおしまいです。
そうです。
しかし、どうしてもスキャンダルの方が読者が買う為にそうなってしまうのです。
読者の啓蒙が必要であると同時に、重要な事を報道するメディアを我々が創る必要があるのです。
>>いわゆる社会主義圏では国民が生産について文句を言う事はタブーでしたでしょう。
>配給のようなものであり、与えられたものに満足するしかなかったと思います。
>まして国策の原子力政策を批判しようものなら収容所行きでしたでしょうね。
> ○そうですね。
>>そのような仮定は無意味であり、ソ連では民主主義は無く、国政を批判できる事業体>も皆無でした。批判的な個人が活動できる場を作る事が必要なのです。
>日本ではまだそれが可能なのです。
> ○ほぼ同意します
>>資本主義と競争していたから安全性を無視したのです。
>世界全体が社会主義(協同組合)社会にならなければ競争と支配は無くなりません。
>その為の戦略を私は考えているのです。
> ○そんなに大きく考えなくても、一つずつ安全について考えていけばいいのでは?
1つずつやっていくと同時に世界全体のあるべき組織も展望する必要があるのです。
そういう組織を作る為にも1つ1つの安全性追求運動があるという事です。
もちろん個々の課題の解決自体意味がある事ですが。
> いわれていることが分からないわけではありませんが、少し唐突な感じがしま>す。
おっしゃる事はよく分かります。
しかし、どのような小さな行動も世界全体に連動しているという事なのです。
>>重要な問題提起に感謝します。
>安全性を追求するような社会のシステムとは何か?
>共に考えていきましょう。
> ○よろしくお願いします。
こちらこそ。
>>安全性を追求するNPOを作りませんか?
>今回のJR事故の犠牲者の家族と共に。
> ○機会があれば、そのようなNPOについてご紹介ください。
できれば一緒に作っていきたいのですが。
問題意識を持った者同士で作るしかありませんので。
ネットで呼び掛けていきましょう。