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(回答先: 『母権と父権』に沿って――江守五夫批判 投稿者 乃依 日時 2005 年 2 月 19 日 05:53:29)
マルクス主義の家族解体論を辿る
このレポートは家族解体論の行方と題して書き始められた、シャルル・フーリエが打ち出した共同体論の東西世界に与えた影響を考えるレポートの前半部分です。後半部分はおもに西側の問題を扱う予定でしたが、時間不足で中途挫折してしまったものです。そのため、当初の狙いとはやや異なったものになってはいますが、東側の問題として読むことも可能なので、ここに掲載してみました。
マルクス主義の先駆者たち
一夫一婦制家族(以下、家族と略す)の批判と、これを超えていこうとする試みが登場するのは私有財産制を廃止しようとする試み(その最初のものはフランス革命時のラジカルグループ・ジャコバン党の中にみられた)とまったく一体になっている。ところが、ロシア革命を経て一国社会主義の建設へと走ったソ連によって、この両者は分断されてしまった。この不幸な国の成立は世界の人々の不運をもたらした。家族が崇高な理念になり、人々への貴重な遺産であったマルクス主義を含む社会主義の理念までもが書き換えられてしまう。
その結果、マルクス主義者と称するものの多くが家族擁護派となり、性道徳に対する偏狭な説教をたれるようになる。そのため、家族を越えようとする者たちはマルクス主義の外に論理基盤を据え、いかがわしい観念論に戻ったり「マルクス主義の陥穽を埋める作業」などと称してマルクス主義の換骨奪胎に血道を挙げている。
そこでもう一度、マルクス主義の家族理論を、その先駆をも含めて整理しなおしておきたい。そこには、フランス革命以後の人権の歴史、家族に関する新たな考え方の発展を見出すことができるからだ。確かに、ロシア革命の壮大な実験は失敗に終わってしまった。その家族制度に対する挑戦もまた、頓挫してしまった。しかしその過程で積み上げられてきた人権に関する考え方の多くは、なお生命を持って世界に息づいている。その一部は北欧を揺るがせ、世界に伝播し、もはや誰もが無視し得ない考え方になっている。事実婚の容認、婚外子差別の廃止がそれである。が、ここではその背景にあったもっと大きな考え方、すなわち家族を超える理論の流れを追ってみることのなる。
「マルクス主義の先駆者」というとオーソドックスなマルクス主義者は即、ヘーゲルだのフォイエルバッハだのといい立てる。本当にそうだろうか。こうした反応の仕方はすでにマルクス主義を裏切ってはいないのか。ふとそう思うことがある。
マルクスにとって、自己の出所がどこにあろうと行きついた地平がドイツ観念論との決別だったことは確かだろう。なのにその先駆をヘーゲルやフォイエルバッハに置くことはマルクスへの不当な挑発ではないか。確かに彼の理論形成史的な側面から見るなら、子の挑発も不当とはいえない。だが、彼はこの理論形成史的な側面にとらわれることをもふくめてドイツ観念論として拒否したのだと考えられる。
マルクスの転換はフランスで起こった。机上の学問よりも進んでいる現実。生活の中で現在戦っている人たちの思いに賭けたのだ。そこではフランス革命からパリ・コミューンへと流れていく歴史の動乱の中、私有財産に対する明確な拒否と一夫一婦制に対するあからさまな挑戦とが、現実のものとなっていた。共産主義思想はここで芽生える。だから「マルクス主義の先駆」とは、当時のフランスの実際の活動と思想の点検からスタートしなければならない。マルクスがここで手に入れた“思想”とは、思想の擁護ではなく、活動の擁護なのだ。
ここで関心を引くのはマルクスとエンゲルスが最大級の評価を与え(あらゆる思想に対する批判を武器としてきた二人であるにもかかわらず)ている空想的社会主義者(一般にはシャルル・フーリエとサン・シモンだが、当時のフランスでの現実的な戦いの支えはシャルル・フーリエにあった)である。マルクスとエンゲルスの文献の中で、当時の労働者の戦いに圧倒的な影響力を持っていたフーリエ主義に対する直接的な批判は一語も見いだせない。これは極めて重要なことで「マルクス主義の先駆」をフーリエに置くことは決して不当なことではない。
シャルル・フーリエはジャコバン党左派のロマンチシズムの流れを継承していると思われる。そしてこの流れを『四運動の理論』と『愛の新理論』とで発表し、体系化している。と同時に、私有財産制の否定といって一夫一婦制への拒否と(世俗的な言い回しを使えば経済的利益と性愛的感応とが同一の原理にあることを初めて見いだした)を初めて理論づけた。その上、世界は変わりうるという弁証法、男と女は対等になりうるという近代的な人権思想に根拠を与えた。
彼は空想的な議論の体系化(ドイツ観念論に似ている)に全力を挙げたが、反面、現実の葛藤を決して無視しなかった。それどころか、常に現実から出発することを至上命題とした。フーリエを生んだのはき伝統的な思想ではなく、フランス革命後にも息づいていた現実的な人々の生き様であった。彼の思想形成は観念論ではなく、リヨンという都市に生きる人々の現実であった。そしてこれが私有財産制と一夫一婦制を同時に超える社会を展望する思想に結実するのである。
フランス第一の商業都市リヨンは資本主義の矛盾が最もラジカルに噴出していた。道徳の退廃が進行し、姦通や女性労働者の売春が日常化していた。この最終的な解決のために、1790年、マダムXなる美貎(と言われている)の女性が史上初の女性解放運動(秘密結社であって、その主張するものが何であったかは今もわかっていない)を組織したころである。
現実を重視するフーリエは正直にこう語っている。
「女たちは私に何度か新思想を吹き込んでくれた……。私は女たちの恩恵を蒙ること大であった」(『贋作産業論』)
家父長制原理がフランス革命後をも支配していた十八世紀末に、女性によって受けた恩恵をこうまで正直に語り切れるフーリエは大変な存在だと思う。空想的ロマンティズムはともかくとして、観念よりも現実を重視しようとしたマルクスが科学的な共産主義理論を樹立するためにフーリエ、もしくは彼に思想を吹き込んだ女たちの、現実を批判する現実的な目を無視できたとは思えない。彼はむしろ、これを継承した。私有財産制に対する批判はもちろんのこと、一夫一婦制に対する批判に関してもである。
「すべての働く男性と働く女性の団結」「すべての男女に対する労働権の保障」
この主張は男女の実質的な平等と、プロレタリア国際主義の登場を暗示している。これは 1843年、フローラ・トリスタンが書いた『労働者同盟』というパンフレットの一節だ。これがフランス二月革命と、その最中に出されたマルクス、エンゲルスの『共産党宣言』(1848年)の「万国の労働者よ団結せよ」のスローガンより五年前に書かれたものだということを知る必要がある。
マルクスとエンゲルスは1844年、つまり『労働者同盟』が発刊された翌年、『聖家族』を執筆。エドガーバウアーのトリスタン批判に対して、彼女を全面擁護する論陣を張っている。『独仏年誌』の協力者であったアーノルド・ルーゲは『労働者同盟』の支持者でもあり、マルクスにジョルジュ・サンドとフローラ・トリスタンに合うことを奨めている。フローラ・トリスタンはマルクス主義思想の形成にあたって、ヘーゲルやフォイエルバッハ以上に貴重な存在だったともいえる。
では、このフローラ・トリスタンとはどんな人物であったのか。その後のマルクス主義が彼女を無視したことは許されないものがある。「マルクス主義の先駆」を語るに、彼女の位置はぜひとも解明されるべきである。
彼女は1803年スペイン貴族の娘としてパリに生まれた。だが、父ドン・マリアリ・トリスタンと母テレーズ・レーネとはジャコバン党左派の理念に共鳴。スペイン国王に対する婚姻の届けを拒否した。つまり、フローラは父の名を名乗りながらも〈私生子〉であった。そのため1808年に死去すると彼女は母とともにパリの貧民街に突き落とされる。スペイン法は〈私生子〉に対する相続権を認めていなかったからである。
マッチの箱やラベルの手書きを職にしながら彼女は母を支える。自ら賎民(バリア)と自称。〈私生子〉を理由に結婚にも敗れたフローラが世界の矛盾をトータルにつかみ得たのは当然だ。私有財産制と一夫一婦制を否定するフーリエ主義にのめり込んでいく。
1835年『他国の女性によい待遇を与える必要』を書いたのがきっかけで女性解放運動の先駆者になった彼女は、38年『賎民の遍歴』を書いて階級性にも目覚める。しかもこれを具体的ビジョンとして位置づけたのが1843年の『労働者同盟』である。労働者と女性の闘いこそ未来を開く、とした彼女はその後、フランス各都市を回って実際の組織づくりに精を出す。机上の論理をもてあそぶドイツ観念論とは全く異質の熱く燃えた女闘士だった。
翌44年11月、官憲たちが尾行する中、ボルドーの町で倒れた彼女は、41歳というまだ若い命を終えてしまった。しかし、彼女は確実に48年のフランス二月革命を準備した一人だった。若きマルクスにとって彼女のような生きざまこそドイツ観念論、ヘーゲル哲学をもう一つ転倒させる強烈なインパクトであったはずである。
当時、マルクスは『経済学哲学草稿(手稿)』を執筆しながら行き詰まって筆を折る(草稿の欠落部分を“散逸”とする人が多いが、それは誤りである。欠落部分は書けなかったのだ―この件に関しては、筆者に別の未発表論文がある)。この『草稿』は疎外を発展の契機として肯定するヘーゲル弁証法を転倒。本質存在を裏切る要因として否定する新たな弁証法を追求しながら、机上学問であるヘーゲル哲学を超えきれなかった。これを超えるためには哲学に対する現実の優位を確信する必要はあったのである。フローラ・トリスタンはこれを生きてみせた。「マルクス主義の先駆」を理論形成史としてだけとらえるのは誤りだ。ビビッドなものにひかれていくマルクスの心情。この心情を形成史としてとらえる時、「先駆」にフローラ・トリスタンを見ないわけにはいかない。彼女の『労働者同盟』にはその後のマルクスのすべてが芽生えていた。
これが理論の整合性を突破する現実の矛盾である。マルクスはエンゲルスとの出会いを契機に『聖家族』によって哲学と現実の価値観を転倒。『ドイツ・イデオロギー』で現実に賭ける思想を樹立する。疎外論という哲学概念を問題にすることから、物象化(物神化)論という現実的事象、現状の過程を分析・把握するという問題意識の転換をやってのけたことが象徴するように、マルクスはここで、ヘーゲル哲学の二重の転倒をやってみせたのである。『草稿』の行き詰まりはフランス労働者の現実の戦いと、これを支えるシャルル・フーリエ、フローラ・トリスタンの思想的な系譜によって突破された。マルクスとエンゲルスがその後の著作の中でフーリエを決して批判せず、フローラを擁護したのはしごく当然のことだったのである。
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マルクスが到達した地点
『経済学・哲学草稿』は私有財産の矛盾を労働と資本の対立として把握。この私有財産の運動に家族、国家、法律、道徳、科学、芸術などが支配されているとする。
「だから、私有財産の積極的止揚は、人間的生活の獲得として、あらゆる疎外の積極的止揚であり、したがって人間が宗教、家族、国家等々からその人間的な、すなわち社会的な現存へと還帰することである」として、家族の止揚を暗示する。
ただし、家族の止揚は他の自己疎外の止揚と同様「自己疎外と同一の道程をたどっていく」つまり、私有財産に対して普遍的な私有財産を対置しようとする運動となって現れ「結婚(それは確かに排他的な私有財産の一形態である)にたいして女性共有が、したがって女性が共同体的な共通の財産になるところの女性共有が、対置される」
ここではまだ妬みと均分化の要求が残っていて、これが競争心を作り出すこともある。粗野で無思想。時には下劣であることもあるが、この下劣さもそれまでの「私有財産の下劣さがあらわれる一つの現象形態であるにすぎない」
だが「歴史の全運動は、共産主義を現実的に生み出す行為―であるとともに、共産主義の思考する意識にとっては、共産主義の生成を概念的に把握し意識する運動でもある」だから、国家の廃止を通して「自己疎外の止揚」を自覚する次の段階では「人間の人間にたいする直接的な、自然的な、必然的な関係は、男性の女性に対する関係」であることが理解され、やがては「人間的本質の現実的な獲得としての共産主義」に至る。「この共産主義は、完成した自然主義として=人間主義であり、完成した人間主義として=自然主義である。それは人間と自然とのあいだの、また人間と人間とのあいだの抗争の真実の解決であり、現実的存在と本質との、対象化と自己確認との、自由と必然との、個と類との間の争いの真の解決である」とする。
『草稿』でマルクスが言わんとしたことは「私有財産として万人に占有されないあらゆるものを否定しようとする」粗野な共産主義を擁護。まずは私有財産の枠組みを破壊するしかないのだということ。さらに共産主義を枠組みと自分と相互に変えつつ完成に向かう運動ととらえ、カベー、ヴィルガルディルなどが自己を運動から引き出し、歴史に固定しようとするものは本質的であることを装ったえせ共産主義だということである。共産主義は共同の中身さえ、社会的歴史的な運動の中で作っていく。
だが、ここでマルクスは矛盾には逢着する。共産主義は共同の中身を自ら作り出す。この運動に対して人間主義、自然主義の灯明を与えるのは、自己を歴史に固定しようとする者とどこが違うのか。もし「宗教、家族、国家、法律、道徳、科学、芸術等々は、生産の特殊なあり方にすぎず、生産の一般的法則に服する」のだとすれば哲学はどうなのか。マルクス自身の哲学もこれを免れ得ないのではないか。『草稿』の破綻はおそらくここにあった。マルクスもまた、運動よりも前に人間主義、自然主義という哲学的な価値を絶対的(超歴史的)に固定しようとしていたのである。
このことをマルクスは『ドイツ・イデオロギー』でこうまとめる。
「吾々にとって、共産主義は、つくりだされるべき一つの状態、現実がのっとるべき基準となる一つの理想ではない。吾々が共産主義と名づけるものは、現在の状態を止揚するための現実的な運動である。そしてこの運動の諸条件は、現に存在している前提からうまれる」
そのため、望ましい人間関係のあり方に言及することを放棄したマルクスとエンゲルスは家族について、その解体過程を描写。地上の家族が聖家族の秘密として発見されたうえは、いまや地上の家族そのものが理論的および実践的に絶滅させなければならない」として、明確に“私的所有の止揚”に並ぶ“個別的家政の止揚”“家族の止揚”という概念を打ち出すのである。
一方、1847年、エンゲルスによって書かれた共産主義者の綱領草案『共産主義の原理』はこう言っていた。
「婦人の共有は、まったくブルジョア社会に所属し、売春の形で現在、完全に存在している現象である。しかし、売春は私有財産に基礎を置くので、私有財産とともに消滅するだろう。従って、共産主義の組織は、婦人の共有を持ち込むのではなく、反対に、それを廃絶する」
だが、このテーゼは翌年の『共産党宣言』において根本的に修正される。
「ブルジョアの結婚は、実際には妻の共有である。共産主義者に非難を加えるとすれば、せいぜいで、共産主義者は偽善的に内密にした婦人の共有の代わりに、公認の、公然たる婦人の共有を取り入れようとする、という非難ぐらいであろう。いずれにせよ、現在の生産諸関係の廃止とともに、この関係から生ずる婦人の共有もまた、すなわち公認および非公認の売淫もまた消滅する」
これは回りくどいが、言っていることは『共産主義の原理』とまるで違う。婦人の共有をブルジョワ社会に所属するとは規定せず、公然たる婦人の共有を直接に批判してもいない。また、あくまでも消滅するのは現在の生産諸関係から生じる売淫に限られ(これは当然のこととして消滅する)、それ以外のことについて言及してはいない。未来を決するのは生産諸関係の廃止後を生きる人々が現実的に生成していく運動である。
『共産主義の原理』が根本的に書き替えられたのは、マルクスとエンゲルスの議論の結果であるだろう。そしてエンゲルスは、マルクスの説に屈した。というのも、史的唯物論に長けていたはずのエンゲルスの理論が、『原理』では破綻し、彼自身の感情が時代状況に迎合する形になっていたからである。感情はともあれ、この点をマルクスに衝かれればエンゲルスに反論の余地はない。
『共産党宣言』はまた、家族についてこう言い切る。
「家族の廃止! 最も急進的な人々さえ、共産主義のこの恥ずべき意図に対しては、激怒する。現在のブルジョア的家族は、何に基礎を置いているのか? 資本に、私的営利にである。完全に発達した家族は、ブルジョア階級にだけしか存在しない。しかも、そういう家族を補うものとして、プロレタリアに強いられるところの家族喪失と公娼制度とがあるのである。ブルジョアの家族は、この補足がなくなるとともに当然なくなる、そして両者は資本の消滅とともに消滅する」
このころ、家族の廃止、婦人の共有に対するブルジョアジーの攻撃、弾圧は極めて激烈になり、かのフーリエの弟子たちでさえ『愛の新世界』がフーリエの手になったことをひた隠しにしたほどである。
その中にあって『共産党宣言』は家族の廃止を、そして一夫一婦制の解体を強く主張していると読み取ることができる。ただし、マルクス主義の到達した地点から踏み外すことなく、極めて慎重に。
「一夫一妻婚家族が独立的に孤立した存在になることができるためには、どこででも家内的僕婢を前提としており、もともと僕婢はいたるところで直接的には奴隷たちであった」
「一夫一妻婚へ持ち込んだ原動力は―富の増大と、子どもたち―合法的相続人たち―婚姻した一対の本当の子ども―への富の伝達の欲望であった」
「一夫一妻婚家族について。まさに過去においてもそうであったように、それは社会が発展するにつれて発展し、社会の変化するにつれて変化しなければならない。それは社会制度の産物であり……両性の平等がえられるまでは、なおもより一層の改善がされうると想像されねばならない。文明のたえまない進歩を仮定して、一夫一妻婚家族が、遠い将来において、社会の要求にこたえることができないとしても、一夫一妻婚家族のあとにくるものの性質を、予言をすることはできない」
死の直前までマルクスがまとめていた『古代社会ノート』の一節である。ここでもまたマルクスは一夫一婦制の矛盾とその変化を示唆しながら、その先に来るものの予言を避けている。エンゲルスの『家族・私有財産及び国家の起源』はマルクスのこの遺稿の成文化として執筆されたものである。
では、この『起源』が一体どこまでマルクスの到達点を正確に書き記しているのかを検討してみよう。結論から言えば『起源』は背骨の部分でなるべくマルクスに忠実であろうとしている。が、先の『共産主義の原理』と『共産党宣言』の間のズレに見るように、エンゲルスの思いは未来決定的しであり、しかもブルジョワジーが依拠する共産主義批判の論理と同じ道徳論に乗ってしまう恐れを持っている。つまり、彼の思い入れが現れた部分は『起源』が矛盾にさらされる部分であり、マルクスの到達点を逸脱してしまう部分である。
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エンゲルスの危険な役割
『家族・私有財産及び国家の起源』がどのような骨格でできているのかをまず見てみよう。マルクスは『古代社会ノート』の中でモルガンの『古代社会』にある家族の発展段階を書き抜く際、五段階にまとめられていたものを四段階に整理し直す。それが何を意味するのかに踏み込み過ぎると単なる観念的な推理ゲームになる恐れがあるので目をつぶって先に行こう。モルガンによれば血族家族からプナルア家族、対偶家族へと進んだ家族制度の進化は、次に一夫多妻婚家族を経て一夫一妻婚家族に進むとする。マルクスはこのうち一夫多妻婚家族(家父長的家族)を牧畜生活が持ち込んだ特殊なものと考え、正統な発達史から外す。つまり伝播的発達史観にとらわれず、内的発達史観を樹立しておこうとしたのである。
エンゲルスもこれに倣い、四段階の内的発達史観を採用する。ただし、アーリア・セムやゲルマンの文化的接触をうまく処理しているとはいいがたい。内的発達の動因(生産に根拠を持った矛盾)をしっかりつかめなかったために、その説明を伝播に頼ってしまうのである。だが、文化が伝播するためには受け入れる側の内的発達の動因がなければない。
さて、家族の四段階分類は、あの『資本論』の四分法を思わせる。あるいはその中の価値形態論(第一形態から第四形態まで)に奇しくも照応する。とすれば第四形態である一夫一妻婚家族は家族の終わりの始まりである。
そこでともかくもエンゲルスは家族発達史の最後を次の言葉で結ばなければならなかったのである。
「女の解放のための第一の先行条件は公的産業へ全女性が復帰することであり、それにはまた、社会の経済単位であるという個別家族の性質を除去する必要があることが、あきらかとなるであろう」
では資本主義的生産の一掃後における両性関係の秩序はどんなものか。これについてもエンゲルスはこう結論する。
「今日われわれが推測できることは、主として消極的な性質のものであって、おおむね、とりのぞかれる面だけにかぎられている。しかし、なにがつけくわえられるであろうか?それは、新しい世代、すなわち、その生涯を通じて金銭その他の社会的な権力手段で女の肉体提供を買うばあいに一度も出あったことのない男たちと、真の恋愛以外のなんらかの考慮から男に身をまかせたり、あるいは経済的結果をおそれて愛人に身を任せるのをこばんだりするばあいに一度も出あったことのない女たちとの世代が成長したときに、おのずから決定されるであろう。この人々がいよいよ現れてきたときには、彼らは、未来の世代のなすべき事がらについて今日の人間がどう考えているかには、まったく頓着しないであろう。彼らは彼ら自身の慣行を、そしてそれに応じた、各個人の実践にかんする彼らの世論を、みずからつくりだすであろう―それでおしまいである」
これもまた、共産主義の時代を生きる人々の具体的に生成していく運動である以上、正しいと思われる。問題なのは「とりのぞかれる面」の推測である。この推測部分こそエンゲルスの思い入れであるとともに、マルクスの到達点を逸脱してしまいかねない部分なのである。
「いまわれわれは、単婚のこれまでの経済的土台が、それの補足物である売淫の経済的土台とともに、確実に消滅するであろうひとつの社会的変革に向かってすすんでいる」との認識を示したうえで、彼は二つの有名な推測をする。
「きたるべき社会的変革は、すくなくとも耐久的で相続できる富―生産手段―の最大部分を社会的所有に転化することによって……売淫は消滅し、単婚は滅亡しないで、ついに―男にとっても―現実となる」
「性愛はその本性上排他的―たとえ現在この排他性が徹底的に実現されているのは女についてだけであるにせよ―であるから、性愛のうえにきずかれる婚姻は、その本性上、一夫一婦制である。……経済的な考慮―彼女自身の生活の心配、それにもまして子の将来に対する心配―がなくなるなら、それによって達せられる女の平等の地位は、これまでの全経験からみて、女を多夫的にするようにはたらくよりも、はるかにつよく男を真に単婚的にするようにはたらくであろう」
この文章は極めてわかりにくい。すべてが推測で書かれているが、これが民主社会下での変革を占うものなのか、資本主義社会の基盤を受け継いだまま生産手段の大きなものを国有にする社会主義社会を占うものなのか、それとも私有財産の一掃を果たした共産主義社会を占うものであるかがはっきりしないのである。
資本主義社会においても、経済的な考慮が不要な有力家族をもつ女の存在は、女を多夫的にするよりも、男を“真”に単婚的にするように働いてきた(もっともこれはタテマエ上,制度上のことである。ホンネはむしろ女を多夫的にしている。エンゲルスの全経験はあまりにも貧しい)。私有制下で発達した排他的性愛が一夫一婦制と矛盾しないのは当たり前のことである。エンゲルスがここでいう性愛とは、彼の定義によっても「古代のその性愛への踏み出しをたちきられたところ、そこから中世がやり直す。すなわち姦通から」とした性愛。騎士道精神の精華である「双方の心に、愛人を所有」したいと思いあう心(愛情)を前提とする。この感情は私有制社会の根っこなのだ。したがって、引用した第二の推定は、推定である必要がない。歴史的事実であり、今日的性愛の本質である。
と同時に、これを私有制を打倒した共産社会にまで延長することは許されない。推定はそうした誤解を生みやすい。
次に引用した第一の推定。これを社会主義社会に対する推定だとすれば、単婚が大多数の男にとっても現実となる可能性は多分にある。だが、私的所有を社会の基礎として受け継ぐ以上、売淫が消滅するはずがない。今日の社会主義社会を見ても、売淫が消滅したことはないし、目立った減少の事実もない。
問題はこれを共産主義社会に対する推定だと解した場合に生ずる。まずなによりも、経済基盤の異なる未来社会を推定することは許されない、というのがマルクスの到達点だった。推定はどうしても私有制=市民社会が押しつけた宗教、法律、道徳、哲学などの影を引きずるからであり、それが生成していく運動である共産主義を破壊する力として働くからである。
事実、エンゲルスも私有制=市民社会が生産した意識の上に立ってこの推定をしているにすぎない。ところが、この推定を共産主義社会を占うものだととらえてしまうと次の重大な問題が起こってくる。
第一に、一夫一婦制家族内部での男女平等の可能性や、婚姻締結の自由や離婚の自由への要求を共産社会の成立まで実現不可能なものとして延期してしまうことである。
第二に、一夫一婦制家族の矛盾を超えていこうとする闘いが、共産社会に託せる希望を奪ってしまって、資本主義社会(家父長制を含む)の根本的な変革を目指す他の戦線との間に分断を持ち込むことである。
前者は民主的要求であり、革命を待たずとも市民社会下で実現可能なものである。したがって、この要求に直接答えることなく、革命闘争のエネルギーに利用しようとするのは詐欺に近い。資本主義にとってはただ、よりベターであるにすぎないこの要求の実現延期に、革命運動の側が手を貸す結果になる。ところが、この程度のことが実現したところで、本質的な男女の平等が勝ち取られるはずがない。もちろん男女の解放も、である。
では、革命を持たなければ解決しようのない問題と何か。これこそ私有制が本質的に持っている家族を基礎とした差別と抑圧の構造であり、ここから生まれる矛盾である。
「分業をそのものはまた家族における自然成長的な分業と、たがいに対立する個々の家族への社会の分裂とにもとづいている」と『ドイツ・イデオロギー』はいう。それはまた「家族の利害と、たがいに交通するすべての個人の共同利害との矛盾」を引き出し、「人間自身の行為はかれにとって一つのよそよそしい対立的な力となり、そしてかれがこれを支配するのではなく、これがかれを抑圧する」し、家族の利害と共同利害との矛盾を調整するために「国家としての幻想的な 『一般』利害による実践的な干渉と制御を必要なものとする」
具体的には女の性が“産む性”と“快楽の性”とに分裂させられ、後者が家族を通して国家の干渉下に置かれることがそのひとつである。マルクスは私有制を労働と資本の対立に置いたが、これと同じことは性と家族の対立によっても起こる。そして資本に絡め取られた労働が労働力(生産)と遊び(消費)に分裂させられるように、この性は“産む性”と“快楽の性”に分裂し、どちらもが物象化して商品価値を持つと同時に、彼女自身にとってはよそよそしい対立物となる。また「一般」利害による生活の制御ができない人間関係に対しては「特殊」な干渉を不可避なものとする。これは家族を持てぬもの、持たぬ者への差別と弾圧になって現れる。
こうしたことは確実に唯一の“産む性”である女に強く襲いかかる。この男女差別を一掃するためには、私有制の廃止、家族制度の解体が前提になるのである。つまり、こうした要求こそ本質的な要求であり、革命的要求、つまり革命運動と一致して戦線を組みうる、また組まねばならない部分なのである。
一般にマルクスよりエンゲルスの方が女に理解があるとされている。だが、これは間違っていよう。たとえばもし、母権制社会の樹立とか女人政治制とかを主張する闘いが登場したとしても、その要求が現実に存在する矛盾から出発し、具体的な解決を目指すものであるならば、マルクスはこれと敵対しないであろう。一方、エンゲルスは未来社会に対する自己の幻影、つまりは理想の人間観を盾に抵抗する可能性がある。
フランスの労働者たちがその時代の限界にとらわれて婦人の共有を叫んだとき、『共産党宣言』はこれを否定せず、「共産主義者は、婦人の共有を新たに取り入れる必要はない。それはほとんど常に存在してきたのだ」と受け、この主張を「ここで問題にしているのは、単なる生産用具としての婦人の地位の廃止だ」と置き換えた。一夫一婦制家族の本質が夫による、あるいは国家の意思を代行する家族制度による女の私有であるととらえたマルクスは、ここからの女性の解放を見据えようとしたのである。
そして私有制と一夫一婦制家族を打倒する革命は、やがて生成する運動である共産主義社会の下で、女の性の分裂を最終的に止揚し、あるがままの自己を取り戻すはずであった。
ところで、その後、共産主義の女性論に厚みを与えたベーベルとコロンタイの思想は、エンゲルスの戸惑いの影を持たない。二人が二人ともエンゲルスの迷いを完全に超えてしまう。エンゲルスの女に対する優しさ(エンゲルスが考慮する女は私有制下の妻でしかない)、思い入れ程度では女の解放は実現するはずがなかった。というよりも、すべての女の解放をエンゲルスの思い入れの限界の中に閉じ込めしまう恐れがあった。
倒さなければならないのは家族である。しかし『家族・私有財産及び国家の起源』はこれを「社会の経済単位であるという個別家族の性質」すなわち“個別的家政の止揚”を暗示する程度にとどめてしまった。“家族の止揚”(家族は妻の存立基盤であるため,エンゲルスには打倒できないのだ)はついに明言されないのである。
目次へ
家族解体論を裏切ったソ連官僚制
ベーベルとコロンタイ
近い将来の性関係の変化について、エンゲルスはブルジョア道徳に反しない限りでの慎重な展望しか打ち出せなかった。それは意識の革命の道徳の革命を伴わない一種の改良主義であるが、この展望実態は意識や道徳の革命を伴う共産主義社会以前の発展段階として読む限り、必ずしも間違っているとはいえない。エンゲルスの時代以降、ブルジョア社会、もしくは社会主義社会の歴史はタテマエ上確実に彼の推測どおりに動いた。性愛はそれが現実的であるかはべつとして、男にも単婚を要求する力であった。
ただ、エンゲルスの記述が決定的におかしいのは両性への単婚の強制が、エンゲルスの時代における一切の矛盾(とりわけ両性の差別)を解決するかのごとくイメージされることである。単婚の強制によって拡大する矛盾を同時に読み取り、記述することが次の時代を導く。これを怠った彼は、たとえ「遠い将来において、単婚家族が社会の要求をみたすことができなくなったばあい、そのつぎにあらわれるものがどんな性質のものであるかを、予言することは不可能である」というモルガンの」の『古代社会』の引用で『…起源』の第二章を閉めようと、無責任のそしりは免れない。予期可能な時代を描写する以上、そこでの矛盾も予期できるはずであり、これを描き出すことこそ、マルクス主義の使命であったはずである。これを怠った彼はこのことによって歴史を止めてしまった。
ともあれ、エンゲルスのこうした限界をベーベルはやすやすと超えてしまう。『婦人論』で彼はエンゲルスに倣って社会主義社会を男女の経済的な平等の上に立つ婚姻締結の自由、離婚の自由の実現としてとらえる。そのうえでさらに「将来の婦人」(第28章)を展望してしまうのである。
「この章はごく簡単でよい」という遠慮がちな一句から始まるのはやはりマルクスの思想を踏まえてのものだろう。だが、これに先行する数章で、ベーベルはエンゲルスのいう“個別家政の廃止”を大きく超え、個別家族の中身、すなわち保育、教育、家事に対する家族の分業の廃止を見通してしまう。彼にとって“個別家政の廃止”は同時に“家族の廃止”だったのである。
べーベルはこの章で、ジョルジュ・サンドが『性交の自由』を地で生きた女性であったことを“偉大な魂”を持ったゲーテを引き合いに出すことで弁護したファンニー・レーワルトを批判してこういう。
「市民的社会では恋愛の自由の実現はとうてい不可能であるが、しかし将来は社会の全員が、今日ではただ物質的にも精神的にも特別に恵まれた人たちにだけ許されるのと同じ社会的条件の下に置かれるのだから、だれでもみな同様の自由の可能性をもつに違いない」
つまり“偉大な魂”によって「性交の自由」を弁護する必要はさらさらなく、だれにでも開かれるのだといっている。べーベルの展望では(性愛ではなく恋愛が支配する社会では)男を真に単婚的にするようにはたらくよりも、女を多夫的にするようにはたらくのである。
彼はもう一歩踏み込んだ結論を出す。自由な恋愛が許されると「人々はほしいままに淫欲に耽り際限なく子供を産むことになるだろう」というマルサス主義者の主張を、根拠のないものとして一掃するのである。物質的にも精神的にも豊かになると、出産数はむしろ減少する、として自由な恋愛を弁護するのである。
ここで想起して欲しいのは『資本論』がマルクスの壮大な構想のほんの第一章にすぎなかったということだ。そしてこの最終章は『人口論』で終わるはずだった。もちろんマルサス主義の打倒である。戦争の原因を人口増に求めようとするマルサスに対して,マルクスは資本の活動に求めようとしたのである。
ベーベルはマルクスの『資本論』執筆の動機とはまるで異なった観点から,マルサス主義の打倒というおなじ結論に達するのである。ベーベルの『婦人論』にはもはや、家族を温存する余地はなかった。
だが、べーベルは半歩越えすぎた。推測し得ない地平にまで踏み込んだことはいいとしても、社会主義を中間に設定しながらその矛盾をさらに展開させるのではなく、その自然的な発展として共産社会を展望してしまったからだ。これでは跳びすぎて、地に足がついていないといわざるを得ない。この危うい足場で苦闘したのがコロンタイである。
『三代の故意』『赤い恋』『働き蜂の恋』などの文芸作品によって多夫的な女たちの生きざまに深い理解と支持を寄せたコロンタイは、決して一般に言われるごとき“飛びすぎた女”ではなかった。彼女は、ロシア革命家で現に出現し、日商し始めたまぶしいものたちをいかに守るべきかに腐心していたといえる。だから「ミツバチの恋い」においては解明できな共産主義者面をしていても男は信用できない、との警告を忘れてはいない。理論よりも分裂した現実に心を砕く。
だが、この矛盾を女が労働および革命的任務の遂行において男並みになることで超えようとしたことが、彼女の主張をテクノロジカルなものにしてしまう。『母性と社会』で彼女は明確に『家庭は必要でなくなった』という。しかし、その根拠を男女の生活上の思いから証明するのではなく「家庭経済は国家のためにならないから、家族にも必要ない」として、男女の思いを国家の必要に預けてしまう。と同時に、国家に必要のないものは私事であるとして、その間を媒介する社会を無視してしまう。家庭の廃止を国会に頼んでしまうのである。
「人の評価はその社会への有用性によってになされるべきであり、恋愛や結婚という私生活によってされるべきではない。……恋愛や性的欲望の満足は簡単でささいなことである。あるいは、人は恋愛する必要はない。ただ性関係を必要に応じて結ぶだけだ」(『経済の進化と婦人労働』)
後半はきわめてラジカルであると同時に、一面の真理をついている。だが、前半の社会とは国家であり、国家の要請である能率・効率を無批判に認めてしまう。また、媒介である社会を見落とすことで社会がもつ規範力、私事に介入する力を甘く見すぎて(だからこそまた、純粋な私事など立ちようがないのだが)いる。
しかし、戦時共産(その実、社会)主義社会下にあっては、こうした主張でしか男女個人の思いに介入しようとする国家意志と対決する方法がなかったのかもしれない。コロンタイズムがボルシェビキの実戦部隊である若い人々、コムソモールの中で圧倒的な支持を受けた事実は、歴史が理念であるよりも現実であることをなによりもよく証明する。コロンタイはエンゲルスなど鼻にも引っ掛けず、マルクスが出発した地点、すなわちフローラ・トリスタンやジョルジュ・サンドの闘いの継承へと帰ろうとするのである。それは戦いの現実を支えることだった。
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革命下における家族論争
1917年、ロシア革命の実を結ぶとボルシェビキ主流派は家族廃止論を打ち出した。また、革命闘争の渦中で、事実上家族が解体していったことはトロッキーの『日常生活の諸問題』やコロンタイの革命小説の中でも明らかにされている。
この事情は1929年、つまり24年にレーニンが没し、26年にトロッキーを追放して台頭したスターリンが支配の座を固める年に公式出版された『革命ロシアにおける恋愛・結婚・家族の問題』においてさえゼシカ・スミスがこう書いていることでもよくわかる。
「サヴエート政府の建設者たちの間では、所謂結婚なるものは国家と共に将来消滅するであらふと一般的に認められている」
これをレーニンの言葉に置き換えればこうである。革命直後の1917年12月19日、「
結婚の解体について」という布告を出したレーニンが1919年、婦人労働者会議の席上でいった言葉だ。
「立法化にあたっては、男女の地位を平等化するために必要な一切を考慮した。われわれの誇りうる点は……もっとも進歩的と称される国々と比較しても、理想的と呼ぶにふさわしいものといえよう。それにもかかわらず、それはほんの序の口にすぎないといえよう」
この一文を読む際に大事なことは、当時ソ連が自らを共産主義国と名乗ってはいなかったことだ。ソ連は自国の体制を民主主義的社会主義と呼んでいた。つまり、レーニンはここでソ連を資本主義の生産した意識の上に乗った社会主義国と位置づけていることがわかる。だから進歩的と称される資本主義国家と理想の上での比較ができる。理想そのものは資本主義社会の遺産であるからだ。と同時に、この段階でも男女の完全な法的平等は実現できたと宣言する。
では、法的平等が序の口に過ぎないとはどういうことか。1919年、婦人労働者のある会合でこういっている。
「諸君は皆完全なる平等の権利を以ってしても尚、婦人は抑圧されているということを知っている筈だ。何となれば彼女たちの双肩には、家庭の全負担が落ちかかっているからである。家庭労働は……婦人の進歩に助力し得る如何なる要素をも含んではいないのである」
つまりレーニンは社会主義段階の位置づけがやや不明瞭だったエンゲルスよりも明確である。ただ、マルクス主義の公式通り、未来社会の像をあらかじめ指示することを避けている。この点で彼はコロンタイの発展段階を無視し、共産主義の理想像をいきなり実現しようとする動きと対立する。とはいえベーベルの主張を継承。これを一度も批判しないばかりか擁護している。ベーベルは理論として社会主義段階を設定していたからである。
コロンタイの家族解体論に反対して、レーニンがクララ・ツェトキンに語った言葉は、したがって彼が家族擁護論者であったことを証明するものではない。多くの共産主義家族論が、これを持ってレーニンを家族擁護論の旗手として利用しているのは極めて悪質なデマ、ないしは主張の歪曲である。
このことを別の革命家の口から語ってもらおう。党統制委員会三婦人の一人、スミドヴィッチはこういっている。
「私たちはまだ子供達に彼等が受くべき筈である社会的訓練を与へるには、あまりにも貧乏です。……それ故他にやむを得ぬ理由がない限りは、家庭は子供を教育する核心として保存されなければなりませぬ。私共が、子供達の為に充分な設備があり、よく管理されている機関を持っているとしたら、子供達は大多数の過程に於けるよりどんなに幸福であるかといふことは疑ふ余地はありません」
「未来に就いては新しい経済的形態が人間関係の新しい形態を創造することを知っています。その中の幾つかは、私共は意識的に作りつゝあり、その他の事は只生活それ自身が如何なる形態が最善であるかを立証するに従って形成され得るのみです」
この語り口がいかにレーニンに似ているかはじっくり検討してほしい。ともあれ社会主義段階にあって、家庭の保存は唯一、子供の教育という一点において、理想ではなく必要悪として認められるものなのである。しかも、やむを得ぬ事情がある場合はこの限りではない。こうして、経済的な事情が許すようになれば、すなわち集産的労働が定着発展し、共産的労働に移っていくようになれば、暫時家庭は廃止されていくべきだということが、ボルシェビキ主流派の公式理論だった。この線に沿って、社会主義下における家族法の大改革が次々と断行されるのである。
1918年、「民事婚姻、子および民事登録簿の実施に関する布告」「離婚に関する布告」「民事登録、婚姻・家族および後権の権利に関するロシア共和国法典」が相次いで出された。これを18年法とよんでおく。この特徴は結婚と離婚の自由、財産及び家族内における夫婦の平等、非嫡出子と非嫡出子の同権である。だが、これらの特徴はすべて立法上のタテマエとしてなら資本主義社会下でも可能なものばかりである。問題は自由な結婚と離婚を登録によって保護した場合、実際上、非嫡出子と嫡出子との間の差別はなくならない。それは翻って女性の地位を再び脅かすだろう。ここに子供の養育を家庭に頼らなければならない貧しいソ連の矛盾があった。
18年法を誇ってはレーニンは「男女の地位を平等化するための必要な一切をを考慮した」といった。それにもかかわらず「婦人は抑圧されていると云うことを知っている筈だ」とも語った。つまり18年法は「結婚の解体」による女性の家庭からの解放を目指す「ほんの序の口にすぎない」のである。子を家庭の私的所有に置く限り、非嫡出子と嫡出子との間の差別は続く。子の養育は「十分な設備があり、よく管理されている機関を持った」共同社会が担わなければならないのである。
ソ連は1926年、この矛盾をもう一歩縮めるために同棲の承認、つまり結婚を登録だけに限らない法改正に踏み切った。
26年法改正の急先鋒はコロンタイだった。彼女は「合法的妻と非合法的妻との間の凡ての区別を除去する為に、結婚の登録なるものはあるべきでなく、子供達のみを登録すべきである」とし、保育園と母の家建設のため全成人に年2ルーブルの課税を行えと主張した。
「概して婦人は無登録結婚を保護することを主張し、全国から集まった婦人団体はそれに賛成の決議案を提出した」
主流派のクルスキー、クレリンコ、ブランデンブルグスキーらもこれを支持した。
「私は深く確信している。吾々はすべての点に於いて事実上の結婚を登録結婚と平等化し、或いは後者を全然排除するときがくるであろう」
こう説明したクルスキーは26年法の制定委員である。だが、婚姻関係にはある程度の安定が必要と主張して人民委員会が挿入した「結婚の証明」という条項に対し、クレリンコは削除を要求。
「吾々は、登録は経済的平等の下にある社会主義社会に於いて必要であらふとは考えていない。吾々は現在は登録を、それ自身の中に何らかの価値を有する物としてよりも、寧ろ或る物に対する手段として保存してゐるのである。併し乍ら、尚未だ共産主義社会はないと云はれてゐる」
無登録婚の保護に反対する先頭に立ったのは、その後、スターリンの寵児となるリャザーノフである。彼は26年法を小ブルジョア的、無政府主義的法案であると決めつけ、こう主張した。
「結婚は個人的行為ではない。それは深い社会的意義を有する行為であって、社会によって干渉と統制とを要するものであると。それは社会の視るところでは制裁の伴ふ一の形態であることを彼等は知らねばならぬと」
一人の農婦が立って反論した。恋愛できる年齢でもなくなったリャザーノフに発言する資格などない、と。こうして追い詰められた保護反対論に立つ男たちはついに本音をはいた。モチッシュはこう怒鳴った。
「どちらを向いてあって、男が非難されてゐるんだ! だが、家庭が崩れるのは、大抵の場合女が悪いのだ。……女には、亭主がぼつぼつ年老けるのが目につく。若い奴は歌を唱ひ、手風琴を持ってやって来る。すると三人も四人もの子供を亭主に残して、若い奴とずらかるんだ。……奴らはなんかといえば党婦人部に駆けけ込んで行く。そして亭主の悪口をつく」
争われているのは、結婚の崇高なる理念などではなかった。それは反対論者たちのかくれミノであるにすぎなかった。
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ソビエト革命の風化と家族
クレリンコの反対にもかかわらず26年法は妥協的な産物として成立した。何をもって「結婚の証明」すなわち未登録婚=同棲と認めるかを、裁判所の判断に任せるのではなく、法定したからである。つまり登録婚と同等の保護が与えられる未登録を、今後
「夫婦であることを双方が認めること、共同生活、同棲の際に共通の家計の存在、第三者(の個人的文通および他の書類による)に対する夫婦関係の公表。さらに、状況による相互扶助、子供に対する共同の養育」(ゲ・スベルドロフ『ソビエト家族法』)のあるものに限定した。しかし、これではこの安定的な未登録婚の外で生まれた子に対する社会的差別はやはりなくならない。一歩前進しはしたものの、それはもっと前進する必要があったのである。
だが1930年、スターリンが全権を握るや急速な引き戻しが始まる。貨幣の公然とした復活から、家庭内における私有財産の承認と事実上の相続復活。そして家庭間競争のエネルギーを利用して経済五カ年計画に着手していく。まずは生産至上主義のために家族が利用された。国家はコロンタイの主張とは裏腹に家族を必要とするのであった。個別家政さえもが復活させられることとなる。
リャザーノフはスターリンの政策を援護するため、エンゲルスの政敵カウッキーの主張を武器にした。カウッキーは1902年『農業問題』でこう言っている。
「現代の文化は炊事のかまどや洗濯場以外にも家族の絆を認めているのであって、個別家政の消滅は、ただ単に、家庭が経済的単位から純粋に倫理的な単位へと変化するということを意味しているのにすぎない」だからまた「唯一特定の男性個人との結合や共同的生活においてのみ満足を見いだす性愛……のための個別の家庭を必要とする」
これに対し、ヴォルフソンはこう反論した。カウッキーのいう経済的単位としての家庭から倫理的単位としての家庭へ「という言い方は、大きな混乱を呼びおこすものである。家庭がその経済的性質を喪失することは、それが社会的に廃止されることと同じである。社会的=経済的職能を失った『倫理的単位』としての家庭というものはナンセンスである」
カウッキーの主張は踏み越えすぎてはいるもののエンゲルスの思いに似たところがある。一方、ヴォルフソンの主張はマルクスにより忠実であると同時に、唯物弁証法に正しく照応している。
家政という社会的、経済的役割を失った人々の関係はもう国家によって“家庭”と名指される対象ではない。逆に“家庭”を目指すことをやめない国家とは、倫理的単位といおうが、結局は社会的=経済的役割である個別家政に期待し、利用しようと企んでいるのにほかならない。つまり、カウッキーの主張はナンセンスであった。もちろんスターリン=リャザーノフの狙いも倫理の樹立を隠れ蓑にした個別家政の国家的利用であったことは言うまでもない。
スターリンへの国家権力の集中と、帝国主義戦争の予兆による国家権力の肥大化は、ヴォルフソンを家族の死滅を主張する最後の学者にした。そして彼さえもが36年には転向を強いられる。マルクス主義は国家と家族を廃止する前に、こうして“死滅”した。
翌37年には家族を国家の有用な一単位とした、この位置づけ変更を持って待ってましたとばかりに、ソ連教育界の実権派A・S・マカレンコの『愛と規律の家庭教育』が登場する。彼は言う。
「ソビエト国家に生きる私たちは……ソビエト社会全体とソビエト法にたいして格自の家庭にたいする責任をになっているのである。だからこそ、わが国の親たちは各自の家庭で大きな権力を持っており、また権威を持たねばならない」
「権威なくしては教育者となることはできない。……権威の意義そのものは、それが何ひとつ証拠などを必要とするものではなく、それが年長者の疑うべからざる風格として、その力およびいわば子どものふつうの眼に見える価値として、うけとられるところにあるのである」
こうしてマカレンコは、家庭内権威の復活、能力主義学力の信仰、欠損家庭の差別、褒賞制度の肯定、人格を社会的地位・役割によって判断することの奨励、立派で厳格な規律の承認……といった危険なあらゆる主張に理論的根拠を与えることになる。ソ連の官僚たちは革命によって手に入れた地位の保守に向かい、反動的な政策を打ち出すにいたったのである。家庭復活の狙いもここにあったといえる。
『裏切られた革命』でトロッキーもこういう。
「現在の家族崇拝を生み出した最も強い動機は、疑いもなく、諸関係の位階制度を安定しようとする官僚の要求であり、権威と権力を支える4000万の視点〔家庭〕によって青年を訓練しようとする官僚の要求なのだ」
家族廃止論の放棄は当然、法律上の反動的な改革になっていく。1936年、失業者がいないタテマエの社会主義社会では、女性は母となるよろこびを拒否する権利はない、という支離滅裂な理由によって中絶が禁止される。それはまた「われわれには人々が必要だ」とするソ連の戦時社会主義の国家的要請が女の基本的な権利を踏みにじり始めたことを示している。
ソ連政府は同じ年の4月、共産主義青年同盟の綱領で次ぎのように宣言させている。
「男性と女性のあいだの真の平等を基礎として、新しい家族が生まれつつある。そして、このような家族の繁栄はソヴィエト国家の関心の対象になるだろう」
家族は復活に向けて突っ走り始めた。それも女性差別と婚外子差別を伴ないながらである。つまりこの綱領はただ、家族に対する国家の介入を公式に宣言させたにすぎない。36年の中絶禁止法の制定が、その第一歩であった。
1944年1月8日、ロシア共和国最高会議幹部会令が発布された。戦時体制下で国家秩序の昂揚と出生人口の増大による国力の増進。この国家的な使命が家族制度を強化するために人民の生活を統制したのである。
事実婚を否定、離婚を裁判所の監視下に置くとともに、〈私生子〉の父はソビエト国家であるとし、差別の社会的解決を放棄。単なる社会福祉(国家補助)の問題に押し込めてしまった。家族を社会の基礎単位とした差別社会をなくすより、被差別者に福祉と称するお涙金を与えるほうが安上がりだと踏んだからである。
また、44年の法は母子関係の異常な強調をやってみせる。「母性英雄」の名誉称号の制定、「母性名誉勲章」「母性徽章」の設定などである。そして家庭教育を重視。マカレンコの効率主義(国家にとっての)教育をさらに展開。男の子は父親に、女の子は母親に教育されることを理想とする性差別固定路線を突っ走る。家族制度強化論の正体はいつでもこんなものなのである。
ソビエトが家族制度の強化を国是とした44年は記録されるべきである。この年はまさに共産主義革命が挫折した年である。家族の死滅を否定したこの国は、人民の生活に対する国家の統制を超歴史的に肯定した。その結果、共産主義の向かうべき理想である国家の廃止が幻になってしまったことになる。暫定的な体制である民主的社会主義は、共産主義に脱皮する前に国家社会主義に転化。世界の人民を裏切ったのである。
ソ連の官僚たちは44年法の案出に当たって、エンゲルスを逆手にとった。エンゲルスが慎重に避けてきた未来。これをソ連は実践し、その結果、新しい時代に生きる人たちが一夫一婦制を選んだのだ、という論理である。ソ連の御用社会学者、ア・ゲ・ハルチェフはこれを次のように説明する。
「我々がこの未来を資本主義の核心からではなく、それを超えると未来が始まる境界線から見るかぎり、われわれはもっと具体的な結論を引き出しうる。まさにそれゆえに新しい党綱領では、共産主義下の両性関係ばかりか、共産主義的家族についても云々され、この党綱領に関するフルシチョフの報告の中でも、『家族の意義は、共産主義への移行期には減少し、やがて家族が消滅すると考える人々は、まったく見込み違いである。実は、共産主義社会の下で、家族は強められ、家族関係は全く物質的な打算から解放され、崇高な純潔さと恒久性を持つようになろう』と率直に指摘されている」(『ソ連邦における結婚と家族』)
「この結論は“最初の共産主義者たち”の見解に反するものではなく、その理念の発展であり、重要なことは社会主義と共産主義を目指す闘争を通じてソビエト国民と共産党が豊かにした諸経験の一般化を基礎とするものなのである」
ここにいたって、ソ連は“家族の廃止”を完全に放棄した。しかもソ連は、過渡期におけるやむをえない理論としてこれを打ち出したのではなく、自らを共産主義社会と名乗り始めた。そうした中での発言なのである。これが“最初の共産主義者たち”の見解に反するものであることは論を待たない。
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