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投稿癖がついてきたので、ついでに一つ入れてみることにしました。
続編? それはあるかないか・・・・・・
空耳当たりが適当だろうということでここに。
題材はなんと法然。 素人のテキトーな読書メモとしてご笑殺下さいますと幸いです。
なお宗派の人は寛大にお願いします(笑)。
私の実家の墓守も浄土真宗で、お金は御布施しておりますので(って関係ないか?)。
法然については、多数の詳細な著作があります。
だから詳しいことは省略。
以下の話のうち事実関係は主として梅原説(「法然の哀しみ」)に基づいています(もちろん主張内容は梅原さんにはまったく関係ありませんのでご注意下さいませ)。
法然は秦氏の出です。
秦氏は聖徳太子等にくっついて歴史を偽造し、古代文献を焼却し、物部氏を滅ぼすといった事を行いましたが、最後は政治力は縮減され、中枢から放逐されるに至り、技術や芸能にすがって生きる民となりました。
鳥取県から岡山県にかけて山岳部に秦氏の大きなコロニーが散在しています。
法然はここの小領主の息子です。愛情深く賢い子供だったそうです。
10何歳か(忘れた)で比叡山に入山し父母と別れます。
このときの母親の悲しみ方が異常だったと記録に残されています。
入山の1年くらい後に父母ともに殺害されてしまいます。
下手人は大方目星がつくのですが、誰も問題とすることはなく、
そのまま処理されてしまうのです。
当時は律令体制の緩んだ混乱期で、生活の糧である土地利用権の帰属について無数の争いがあり、
いわゆる「悪党」が土地を奪取する事例も多かったそうですが、
「法然の父はおそらく悪党だろう」
ということなんですね。
もともと根拠の薄いところで土地奪取を行って戦ってきたので、
どこかで一線を超えてしまい、
「地元の暗黙の了解の下に消された」らしいのです。
明敏な法然にはすべてがわかったんでしょう。
入山のとき、父母は、近いうちに殺されるであろうこと、これがこの世の最後の別れであることを知っていたわけです。
法然はこれを聞いて悲しみ、比叡山を下りて遊行して野垂れ死にしようとしたのですが、
師の叡空はこれを止め、とりあえず勉学することを勧めました。
すでにこのときに「念仏」の骨格が固まっているのがわかります。
「厭離穢土」
この律令制、身分制の桎梏下にあり、
わが父母を悪党(本来が無権利ということでしょう)の者として正当に処罰するような世間−これが穢土なわけです。
そのような悲劇をもたらす構造の否定−これが法然の課題となります。
念仏宗僧侶の遊行
悪人正機
といった要素も、すでに法然の出家の最初の段階で完成しているのが良くわかりますね。
後の人たちは法然のバリエーションみたいなものだったんじゃないか?
後の人と一つ違うところ−生涯不犯
法然は生涯、女性とセックスしていません。
法然の愛情も絶望もそんなに浅いものではないように思えます。
さて、末法の衆生(人間)はどうやったら極楽に往生できるのか?
法然によれば、念仏を唱えることによって「のみ」可能。
その根拠は、末法の人間に難しい修行は精神的、物理的に不可能だし、不適切で、
口で弥陀の名前を唱えるというやさしい修行のみが妥当な道なのだと。
当時の常識。
中国浄土教のスターは道綽、善導です。
彼らは観想念仏の立場なのだそうです(カンタン解説書ぐらいしか読んでませんが)。
美しい阿弥陀仏の世界を観念によってありありと実在させるという。
そのために厳しい修行を行いますし、綺麗な寺院や美術品を作りだしていきます。
日本の源信「往生要集」もその流れです。
私にはなんか少女マンガみたいな世界に見えます。
実際、善導は美青年で婦女子に大変に人気があったそうです。
今の日本では仏教で少女マンガはイメージ的にきついかもしれませんが・・・・・
仏はデブだからな。
源信は源氏物語にも、川に身を投げた浮舟を救い出して出家させる「横川の僧都」として登場してきます。
このへんはそのまんま少女マンガです。
浄土教典を普通に読みますと、浄土観想の話が多いわけで、別におかしな話ではないわけですね。
法然は、これを末法の人間にそぐわない難行として否定しました。
なんででしょう?
これじゃ貴族様やその婦女子、それからお坊さんくらいしか救われそうもないからです。
そりゃまあそうだろうな。
しかし仏教って最初から国家鎮護−律令体制護持のためなんだよ。貴族大事なんだよ。
法然から見たらこれは敵だよね。
それだから、浄土を観想する修行とか、寺を造って絵画や装飾で浄土を再現するとかいうのが、往生の要件では困る。
それで口で唱える念仏。
ところがこれは仏典にはあんまりでてきません。
阿弥陀仏の請願が何十個もある中の一つとして出てくる。
観想念仏みたいに詳細な説明はないわけです。
この点で無理がある。
それ以前に宗派の祖として認めているはずの善導と全然違う。
これでは善導を倒すことになる。
そこで自分の考えを出す前に迷った法然の夢に善導が現れて、ゴーサインを出します。
怪しいぞ。
法然は自分が嘘つきなことを知っていたわけです。
しかし口称念仏でなければ絶対に駄目だという確信があった。
そこで善導を夢に引張出してゴーサインを出させたと。
後で奈良仏教の学者は法然を論難し続けます。
お前は善導と全然違うことを言っているぞと。
法然は回答しませんでした。
もちろん間違っているのは法然なんです。
修行を積んだり、浄土を創造する努力が極楽往生の功徳とならないわけがないという論難。
法然は回答しませんでした。
それが絶対にできない人々にしか関心がなかったからです。
悪党でも罪人でも口称念仏で救われる(むしろそちらが救われる)のはおかしいという論難。
秩序紊乱だ、善行はどうなるんだ、ということですね。
法然は回答しません。
それじゃあ、秩序の運動(崩壊)によってゆっくりと殺され続ける人々はどうしてくれるんだ、とそういいたかったのでしょうか?
こいつの腹には1物あるぞ。
ってあたり前かあ。女じゃないから(笑)。
人間には往生の種を持つもの(仏性)と事実上ないもの(断種)があるという論難。
法然は答えません。
断種を認める仏教など許さない、というのが真の回答か?
これは本当に高僧なのか、聖人なのか? ある意味怪しいわけです。
私はありきたりのことを書いているような気もしますが、これでもできるだけオーソドキシーを目指しているのだ(笑)。
しかし、法然がありきたりの聖人に見えないのだ。
まともな学者にすら見えん。
このお方は、中東からきた秦氏の血が列島の風土を母として生んだ革命家だ。
そう考える。
だから中東みたいな徹底性と、どこか縄文的とも見えるような大衆性とを帯びた造作物を作り出した。
法然が念仏修学を選んだとき、その観念世界も、現実世界とまったく同様に、身分のある者が救われ易い世界だったのですが、
法然はそれを生涯かけて一点で決定的に食い破ったわけです。
法然の作り出した口称念仏は、血の池にあえいでいたであろう彼の父を救済した。
いや、救済の可否はともかく、彼はそのために1日に7万回、念仏を称え続けました(本にはその目的は明記してありません。私が聞いたことです(そんなわけないか))。
つまり身分制度−律令体制が食い込んだ観念世界を破砕している。
律令体制は大陸から帰化人によって持ち込まれたもので、
身分制度を固定し、中央集権的−官僚的にしたものであって、
太古日本的には「異物」でしかありません。
ここには太古からの制度も含んで大陸よりは穏やかに運用したからか、
意外に長持ちはしましたが、早晩列島から排泄される運命にあったと想います。
律令体制後期の揺らぎと争いの多発は、この制度がやっぱり体質に全然あっていないことを如実に示しているのではないか。
法然の父も、悪党とは言え、この体制崩壊の中でつぶされてしまった哀れな犠牲者とも言えそうです。
法然はこの硬直した身分制度を観念世界で破砕した。
そしてすべての人間に仏性があり、断種などないという最澄の結論を再確認し、
別の時代を開いたようです。
この精神は、縄文世界にはやはり近しいものがあるのではないか(と言っても精神世界ははっきりわかりませんが)。
更なる激烈な秩序混乱が戦国を生み出したとき、
法然の革命思想は、関西に本当に革命軍を作り出しました−一向宗
易姓革命(頭の取り替え)じゃない、別種の革命の実現、可能性?
普通東洋で革命って易姓革命か、あるいは無革命かどちらかなんでしょうけど、
これはちょっと違うようだ。
こちらについては実は不勉強なんですが、一向宗は興味深いもののようです。
これが、一方では「被差別部落」の誕生へ。
他方では、関が原から徳川幕府の誕生−身分制度の別の形での再生へ。
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