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戦中、左翼がなし崩しに自己を日本に同一化して、自己を取り戻したかのような言辞をした事には違和感を感じる。結局、その日本というのは権力者の論理ではないのか?それは本当の魂の深部からの声だったのか?私はあの転向には嘘を感じている。やはり、昨日まで階級闘争論をぶっていた者が、あっけらかんと日本に同一化して戦争賛美する姿には違和感を感じる。闘わない大人への不信。胡散臭さ。日本というものにずっとなじめない違和感を感じていた。
もし、彼ら大人達が日本への同一化に納得しても、その姿に私は一歩引かざるを得ない。この違和感を払拭するために、私は国外に出る必要があるかも知れない。私は日本民族主義者の掲げる正義がどうしても信頼できないのだ。しかも、それは深部からの不信であって、決して侵略戦争云々以前の生理的な問題があるのだ。謝罪をするとか、しないとか、ではないのだ。謝罪しようがすまいが、私=日本というのにどうもなじめない者がある。その原因はいずれ突き止めねばならぬ。ただ、こういう不信は1994年の羽田内閣発足以後急激に高まった事も確かだ。政治家、官僚、大人というものにいかがわしさを感じ始めた、まさにその時だった。
この国への反発はアメリカや中国への反発ほど分かりやすいものではない。中国や北朝鮮などの独裁国家では鎖は見える。だからこそかえって、独裁政権への怒りはストレートに表現でき、自分は弾圧されているんだという意識も持てるだろう。ところが、この国は関係という見えない鎖で縛るのだ。一見、「お前は自由だ。これはお前の自由意志だ」という形で日本への同化が促される。倒す独裁政権がないか、見えないのだ。鎖が見えないが故に、倒すべき対象が見えないが故に、生殺しのような苦しみがある。ぐびぐびと真綿で首を絞めるように、見える人権侵害がないまま、日本への同化が強制されるのだ。では、私は日本人でなければ、何なのだ?ペルー人か?結局、日本への回帰をせざるを得ず、また狭い所に閉じ込められるのだ。社蓄人間ヤフーから抜け出すには?
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