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(回答先: 日本に来たユダヤの民 (古代日本謎の中東思想渡来考) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 2 月 07 日 16:28:30)
キリストの里 公園 (青森県 三戸郡新郷村)
http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/crist.htm
十和田湖から東へ県道454号線を車で45分ほど走った所に知る人ぞ知る『キリストの墓』があります。 ゴルゴダの墓で磔に処せられたはずの「イエスキリスト」の墓がなぜこの日本の青森に存在するのか。 この疑問に関しては、ここでは深く言及致しませんが…(^^ゞ
いきさつだけ紹介しますと… 茨城県磯原市に鎮座まします『皇祖皇太神宮』の初代官長「竹内巨麿」が、古代史研究家「鳥谷幡山」らと共にある日突然この村を訪れ「竹内家に伝わる古文書にキリストがこの村で106歳の天寿を全うしたとの記述がある」と説き、沢口家の敷地にあった「2つの土まんじゅう」を見つけ右側をキリストの墓「十来塚」左側をキリストの弟イスキリの墓「十代墓」であると断言してしまったからさあ大変。 村中が大騒ぎとなったそうです。
その後自称考古学者らがぞくぞく村を訪れ「キリストの遺書」が発見されたり地質学者で考古学者の「山根キク」女史が「光は当方より」の著書内でこの村のことが紹介されると マスコミはこぞって「神秘の村」とあおりたて「キリストの里 新郷村」として現在でも村人達に語り継がれています。
遺言書には、キリストが21歳の頃始めてこの日本に訪れ(十一代垂仁天皇の御代)日本の越中国で11年間日本語を会得しし、そのあと33歳で故郷に戻り日本の尊さを説いて回っていたんだそうです。磔に処せられたときは、実は弟のイスキリが身代わりとなりイエス自身は、シベリアから日本に船で渡り八戸へ上陸し「十来太郎大天空」と名を改め陸奥国 戸来村(今の新郷村)に移住し「ミユ子」という婦女を娶り三人の女子を授かり106歳の天寿を全うしたと記されています。
キリスト伝説の証拠として、良く引き合いにだされるものが毎年6月第1日曜日に催される「キリスト祭」で古くから村に伝わるとされる盆踊り「ナニャドヤラ」ですがヘブライ語で意味解けるとされていますが、事実は全く違うようで意味をなさないそうです。まして、国文学者の金田一氏の訛が転化した説も無理があり「謎」として残ったままです。
その他、古くからの風習として (現在では、お年寄りが伝えるだけで風習としては残っていないそうです。)
父親を『アヤ(ダダ)』母親を『アパ(ガガ)』と呼ぶ(アダ・エパと記す説もあるが発音の転記ちがいでしょう。)
子を初めて戸外に出すときに子供の額に墨で十字を書く
手足が痺れたとき人差し指にツバをつけて額に十字を三回書くと痺れがなおる。
一笑のうちに片付けられてしまう(苦笑)竹内文献を根幹にしている以上どうしてもそのあまりにも突飛な伝説には、辟易してしまう人も多いのではないでしょうか。
しかし、真偽は別として無視できない事実も存在している事は確かです。そして何よりも新郷村発行観光パンフレットには、以下のように記されています。
『60年以上経った今でも、神秘・ロマンとしてこの「湧説」を取り上げています。そして村民たちは純粋な気持ちでそれを信じ、言い伝えて今日に至っている。』・・・・と。
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